【毎日が楽しい修行!?】ブッダが教える愉快な生き方|藤田一照

ブッダが教える愉快な生き方
  • どうしたら、豊かな人生を送れるでしょうか。
  • 実は、ブッダの教えにヒントがあります。
  • なぜなら、ブッダの教えには、「平安を目指す道」ではなく、「道こそが平安」なのだという根本的な考え方があるためです。
  • 本書では、東京大学で発達心理学を学び、アメリカでスターバックスやフェイスブックなので坐禅を教えた経験を持つ、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんが、ブッダの教えを丁寧に紐解いてくれます。
  • 本書を読み終えると、残念ながら、これまでの(思考を持つ)自分には戻れなくなってしまうかもしれません。
藤田一照
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ブッダの教えの根本を「オーガニック・ラーニング」で見つけましょう。

仏教の「学び」は、学校の授業のような「学び」とは様相が異なります。たとえるなら、学校へ行く前の、赤ちゃんの「学び」です。生まれたばかりの赤ちゃんは、好奇心を持って周囲のものごとに触れるうちに、いろいろなことを自然と身につけていきますよね。本人に学ぶという意識があるわけではなく、周りの大人も特別に何かを教えようとは思っていません。

第1章 ブッダの「学び」とは

アメリカで坐禅を教えられたご経験を持つ、著者ならではの言葉で「オーガニック・ラーニング」があります。

赤ちゃんのように環境に好奇心を持ち、その中から、自然と生きる学びを得ることが、ブッダの教えでもあり、また、彼の実践でもあったというのです。

ブッダは、その名もゴータマ・シッダールタといい、とても裕福で不自由のない暮らしをしていた方でした。でも、ある時、ふと「老・病・死」を知り、これと向き合わざるを得なくなってしまったことから、出家をします。

出家をしてから、瞑想や苦行などを試しますが、それもしっくりとこなかったといいます。苦しい行を行き詰まりから諦め、ふと腰をおろした菩提樹のもとに、座り、そして、考え方をガラリと変えます。

なにかの目的を目指して行う行為ではなく、全てを受け入れることに道があるのではないかと。

これが、「樹下の打坐」です。

この打坐を通して、煩悩という悪魔と向き合います。もっというと、悪魔の存在に気づけたのです。世の中に生きる多くの人には、悪魔(煩悩)が存在していることすら、気づくことができません。まずは、自分こそが悪魔であると気づくこと、そして、それを認めた上で生きることすべてが修行なのであると気づくことが、彼にとっての開眼でした。

ドゥーイングモードではなく、「ビーイングモード」でいきましょう。

修行というと、苦しみがつきものだといいますが、そんなことはないのだと、著者は語ります。

目的に向かって駆り立てられるドゥーイングのモードと違い、ビーイングのモードでは、ことさらやるべきこともなく、あらためて行くべき場所もありません。その代わり、今ここに存在して、そこで起きているあらゆることに気づき、ゆっくり親しむことができます。

第3章 頑張らない坐禅

まさにこのビーイングモードであるのが、修行だといいます。ビーイングモードは、何かを求めることがありませんので、緊張することもなく、非常にリラックスしていられます。すべてを受け入れる態度で、自分を守り闘うのではなく、自分をことさらひらいていく態度を取ります。

結果を得ようとする瞑想や苦行から、ありのままを受け入れる樹下の打坐へのシフトを、今ここの自分の心身で行うのが坐禅です。

第3章 頑張らない坐禅

岡本太郎さんは、人生は「常に自分との闘いだ」と語りました。でも、闘う真剣さは感じながらも、辛さは微塵もかんじなかったんです。むしろ、楽しんでいるというか、そうあることを不思議と受け入れているというか、そんな感じです。もちろん、社会に対する批判的な目はありながらも、人に対して、愛をもった眼差し(本で読むだけだから想像)は、どこかブッダのほほえみすら重なって見えるようです。

ブッダにも、岡本太郎さんにも共通するのは、自分が常に変わっていくということを肯定することです。自分というものには確固たるものはなくて、世の中や社会の中で、変わっていって良いもの、むしろ変わり溶け込むことが自分という感覚を持つことに、道があるように思えました。

ぜひ、過去の投稿「【自分の人生を引き受ける覚悟はあるか?】自分の中に毒を持て|岡本太郎」もあわせてお読みください。

愉快に生きるヒントは、「触れてよく観てみる」ことにあります。

ブッダは、「闘う」でもなく「逃げる」でもない、第三の道をしめしています。それは、「触れてよく観る」ということです。

第4章 愉快に生きるためのヒント

問題や困難に出会うと、本能的に「闘うか、あるいは逃げるか(fight or flight)」というリアクションを起こしがちだといいます。これが有効な場合もありますが、生きている限り、誰も避けることができない問題(「老・病・死」など)には、効き目がありません。

だから、そんなときこそ、すべてを受け入れるビーイングの態度で、それをよく観察することがいいのです。そこにこそ真実の生き方を学ぶヒントがあるのかもしれないという心構えを持つことが、愉快に生きるためのヒントです。

答えがはっきり出ないことが、生きるということでもあると思います。なぜなら、人生こそが平安の道であるからとも捉えられるからです。

私が推測するに、そこから生まれた洞察は、「平安への道はない。平安こそが道である」ということのように思います。平安を目指す苦しい道を歩くような修行ではなく、道を一歩一歩すでに平安があるような修行でなければならなかったのです。

第3章 頑張らない坐禅

ゴールを想定しては、そこに行き着くまで、幸せになれません。ではなくて、すでに今ここにあること(ビーイング)が愉快で幸せなことであふれているのだと気づくことができるかが大切なのです。

藤田さんは、「ネガティブ・ケイパビリティ」をとりあげています。藤田さんは「しない能力」と言っているそうです。考えを追わずに、正しい姿勢と静かな呼吸で座り続ける坐禅に必要な能力だそうです。

昨日の投稿「【経営者の味方になってくれる力とは!?】見えないものを見る力|大平浩二」で取り上げた書籍『みえないものを見る力」で、大平氏は経営者こそ、ROEなどのデータで追える結果を重視するだけではなくて、プロセスにこそ価値を見出すべきだと語っておられました。

どうも私たちは、資本主義を突き詰めてきた中で、生きる本質を失っているようにも思います。生きることとはなんだろうと、気づきを得る機会が極めてすくない。と言ったらいいでしょうか。社会や会社や目標や目的に縛られすぎていても、本当に豊かな人生は手に入れることができません。だれもそれを与えてくれないからです。

大切なのは、いま、ここ、にある自分と向き合うこと。学ぶことで、変わり、成長することを愉快に思って受け入れること。が大切なのでしょう。

まとめ

  • ブッダの教えの根本を「オーガニック・ラーニング」で見つけましょう。――なにかの目的を目指して行う行為ではなく、全てを受け入れることに道がある。
  • ドゥーイングモードではなく、「ビーイングモード」でいきましょう。――ビーイングモードは、何かを求めることがありませんので、緊張することもなく、非常にリラックスしていられます。
  • 愉快に生きるヒントは、「触れてよく観てみる」ことにあります。――すべてを受け入れるビーイングの態度で、それをよく観察することがいいのです。そこにこそ真実の生き方を学ぶヒントがあるのかもしれないという心構えを持ちましょう。

いまこうして、本を読んで、投稿を書いていることも坐禅かもしれないと思いました。「姿勢を整え、呼吸を整え、心の状態を整え」、「愉快な学び」を得るために続けていこうと思いました。

藤田一照
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