- 人の生き方について考える時、素敵な視点はないものでしょうか。
- 実は、お料理に触れることかも。
- なぜなら、食べることは、それすなわち生きることだからです。
- 本書は、料理家・土井善晴さんによる、お料理を通して人にふれる1冊です。
- 本書を通じて、人や文化、美に至るまで、人を取り巻く視点を感じることができます。
どれだけ変化を受け入れられるか!?
土井善晴さんは、著書の中で、お料理を通じて、文化、歴史、そして人の生きざまに至るまで、さまざまな深みに読者を連れて行ってくれます。それは、お料理というのは、人間の根源的な活動であるという事実によるものではないかと思います。土井善晴さんの言葉に触れることで、人が人としてあるために何が、大切なのか、ということを深く考えるヒントを提供してくれます。
私たちは、お料理についてどれだけ知っているでしょうか。レシピ?栄養素?健康?いろいろな情報がやり取りされる社会において、いくらそれらにたくさん触れたとしても、自らの体験による気付きがなければ、本当の知っているに遠いのではないかと思われます。
知っていることでも、知っているだけでは、本当にわかっていないのです。
見た以上は、学びなおさなければならない
自ら気づくためには、感受性を磨き続ける必要があります。そのために、自らをつねに変わり続けられるような、環境に置くことが大切です。人は絶え間ない環境の変化に対して、自らを適応していこうと自然と本来的には考えられる生き物だと思われます。新しい職場や、新しい生活環境に、自然と馴染んでいくさまを見ていると、それは事実なのだと信じられます。
環境は絶えず変化をしています。だから、私たちも過去に固執するのではなく、適切に捨てて、新しいものを吸収し、自らを新陳代謝していく発想を大切にしたいものです。
捨てなければ掴めない。
見た以上は、学びなおさなければならない
モノや思い出もそうかも知れませんが、ものごとの見方についてもこれは当てはまるでしょう。自分が見ている世界で世界は構成されています。だから、自分が変わることができれば、世界を変えることができます。
結論を急がない!?
料理がわかるということは、それすなわち、自分が食べること、家族が食べることを理解することにつながっていきます。食べるということは人そのものであるというお話もあります。英語のことわざで以下のような言葉をご存知でしょうか。
“You are what you eat.” 「あなたはあなたの食べたものでできている」
英語のことわざ
生きることと食べることはとても近いし、イコールであるとも言ってよいです。つまり自分と家族(という日常の食べるの単位)を常に知ることは、生き様につながっていくということになります。
何をすればいいのか?という情報は現代社会に溢れています。
あらゆるレシピ、料理の新しいテクニック、食材、スパイス、栄養や健康、ダイエット、美味しいレストランに至るまで、ありとあらゆる料理や食べることに関する情報が流通しやすいコンテンツとなって、日夜、人にリーチするのを待ちわびています。
これらは、Howの部分が限りなく多い。結局そうした情報に触れ続けることで、Howの情報を常に求め続ける身体になってしまうように思います。本当に必要なのは、WhyやWhatを考えることなのではないかと思います。人生が自分に何を期待してるのか、その先に、生きる意味(Why)をいかに見出すのか、という視点がない限り、この人生という長く短い時間をよりよく生きることは難しいのではないか、と疑問に思ってしまいます。
土井善晴さんが、高村光太郎さんの素晴らしい詩をご紹介してくださっています。
火星が出てゐる
要するにどうすればいいか、といふ問は、折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因に生きる事、それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、もう一度頭を高くあげて、この寝静まつた暗い駒込台の真上に光るあの大きな、まつかな星を見るがいい。
(「火星が出てゐる」――高村光太郎)
拙速に答えを求めていくのではなく、自らの頭や感性を動員して、考えることの大切さを感じることができます。
結果ではなく今という人生の道中に目的があるのです。心が自由になるからうれしくなるのだと思います。
「楽しい」じゃなくて「うれしくなる」
この人生の過程こそを目的的に生きられるようにするには、どんな心構えが必要なのかを考えてみたいと思います。
「喜び」は「努力」と釣り合う!?
生きることを考え、そして幸せをいまここで感じるためには、真剣に活動していくことが大切でしょう。その時に、一つの視点としてお料理を含む家事について検討してみましょう。
家事にある「喜び」と「努力」は表裏一体のものであり、同一視できます。料理をすれば、台所は整った状態から逸脱するし、生活を続けていれば部屋の様子は変わっていきます。でも、それをそのままにしているのでは、よりよい食べるや生活するという活動が遮られてしまいます。
家事の「喜び」を得て、よりよく食べ、生きるためには、それなりの「努力」が伴ってくるのです。料理をすれば清掃が必要になるだろうし、あるいは、部屋の掃除や整頓だって大切でしょう。これらの活動自体が重要であることを身にしみて感じ、そうした「努力」も含めて「喜び」を見出すことがキーなのかもしれません。
なにかを得るためにあ、なにかをしなくてはならないのです。
「喜び」と「努力」は一つのもの
このごくごく当たり前の事実にもう一度、丁寧に向き合うことが大切なのではないかと感じます。これを当たり前として感じることができれば、努力は単なる苦労から脱します。
結果の喜びだけを受け取ろうともがくのではなく、努力も含めて喜びにつながっていく過程であるとみなし、楽しんでいけるようになれば、なにか新しいものごとを見立てられる自分を養っていくことができそうです。
喜びと努力は釣り合う関係ですが、喜びと苦しみではバランスは取れません。
「喜び」と「努力」は一つのもの
自分一人で、その努力に邁進することも大切ですが、例えば、お料理であれば、家族とともに参加してひとつの努力を、ひとつの喜びに変えていく過程を楽しむことができます。
そうした過程をたくさん経ていけば、もっとも身近な人と、かけがえのない信頼関係を作ることができ、そうした人はいまここに実際に幸せを見出すことも、容易になるのではないかと思われます。
幸せが目に見えないのは、それが状態だからです。
自ら動くところに「幸せ」が生まれる
いまここでどれだけの幸せを感じる意志を持てるかどうか、いかがでしょうか。
生き様については、こちらの1冊「【世界をガラリと変えよう!?】自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学|しんめいP」も大変素敵な視点を提供してくれます。ぜひ本書と合わせてご覧いただき、自らを見立てる視点を得ていただくヒントになればと思います。
まとめ
- どれだけ変化を受け入れられるか!?――変化の世界を自らも変化させて自然に生きてみましょう。
- 結論を急がない!?――答えを求め続けるのではなく、問い続ける姿勢が大切です。
- 「喜び」は「努力」と釣り合う!?――努力は、苦しみではなく、喜びとともにある道です。