- どうしたら常識にとらわれずに生きていけるでしょうか!?
- 実は、疑い、問い続けることが大切かもしれません。
- なぜなら、人や社会は惰性で存在してしまうからです。
- 本書は、そんな生き方に関する新しい視点を提供してくれます。
- 本書を通じて、新しい生き方の視野を得られるでしょう。

たくさんの選択肢は良いことなのか!?
たくさんの選択肢があるのだからわたしたちは自由だと勘違いしているのだろう。
3 創造的に生きるということ
本当の自由について考える必要があります。自由とは野放しのことではなく、自分に理由があるということです。自分に理由があり、他人に理由がないということですから、自分の人生のハンドルを握り、自分の時間を使い、自分の目指す方向へ向かうことが、自由なのです。
この点を間違わないように、フォーカスしてみましょう。
だから、「選択肢」についても慎重になる必要があるでしょう。
選択肢って、そもそもなんでしょうか。自分で作り出しているものならば、良いのかもしれませんが、往々に他人や社会に提供されるものになりがちではないでしょうか。
それは、本質的に選択肢なのか?ということです。自ら選択肢を生み出し、その上で、選択していくそういう生き方がポイントかも知れません。
意思決定を自らに引き寄せるためには、自分の考え方を客観的に知ることです。あるいは自分の考えのクセを知ることも大切かもしれません。そうしたメタ認知のために、ぜひこれらの投稿「【人間OSの高め方とは!?】リフレクション(REFLECTION)自分とチームの成長を加速させる内省の技術|熊平美香」「【踊る!「人の心理」とは!?】行動経済学の使い方|大竹文雄」もご覧ください。


時間は流れるものなのか!?
時間とは何でしょうか!?それは、勝手に流れるものでしょうか!?
でも、時間の感じ方には、長い短いがあります。
もしかしたら、時間というのは、感じるもので、長短が自由自在になるものかもしれません。
フロー体験という言葉があります。適切な負荷を肝心ながら、熱中している時間のことです。自分の興味関心領域であることが前提となるでしょう。
フロー体験については、こちらの投稿「【あなたの人生戦略は!?】フルライフ 今日の仕事と10年先の目標と100年の人生をつなぐ時間戦略|石川善樹」もぜひご覧ください。

時間の長さが意識されるとき、私たちはだいたい次のような状況にあるでしょう。
- 散漫
- 齟齬
- 反撥
- 焦慮
- 食い違い
- 非理解
- 不同調
- 不調和
- 敵対
- 不安
- などなど
一方、時間を感じないときは、だいたい次のような状況でしょう。
- 同化
- 同調
- 協和
- 理解
- 集中
- 専念
- 夢中
- 一心
- 宥和
- 感応
- 流れ
- などなど
自分が何かと完全に調和しているときは時間の流れをほぼ感じなくなるということだ。
9 もっと調和の時間を持て
時間や世の中との調和を目指した時、私たちは、時間を感じなくなる・・。世の中と一体化する体験とはどんなものでしょうか。
世界や世の中の全体性を考えるあるいは、感じるとき、ひとつのガイドラインとして仏教を見つめてみることも良いかもしれません。こちらの投稿「【今を生きるには、新しいOSが必要!?】青虫は一度溶けて蝶になる|藤田一照,桜井肖典,小出遥子」「【毎日が楽しい修行!?】ブッダが教える愉快な生き方|藤田一照」もぜひご覧ください。



才能とは何なのか!?
才能とは、所与のものとして語られるきらいがあります。
でも本当にそうでしょうか!?
才能とは、何かをやりとげることだと、白取春彦さんは語ります。
才能とはそんな目に見えないものではなく、漠然としたものでもない。才能とはきわめてはっきりとしたもの、現実として目に見えるものだ。
14 才能とは何事かを「為(な)す」ことだ
だから、才能とははっきり目に見えるものです。絵の才能があるから画家になれるのではなく、描いたから結果として画家になる。文章を書けるから小説家になるのではなく、小説を書いたから小説家になる・・、その主従についてアンテナを立ててみましょう。
同じ視点を岡本太郎さんも持っています。こちらの投稿「【芸術、即、人間。】誰だって芸術家|岡本太郎」でも説かれていました。

だから、自分に才能がないと思ったりしないことだ。才能がないなら、自分に才能を植えつければいい。自分に才能を植えつけるのは簡単だ。何かを為せばいい。徹底してなしとげればいい。すると、そのことが自分の才能になる。
14 才能とは何事かを「為(な)す」ことだ
まとめ
- たくさんの選択肢は良いことなのか!?――本質的な自由と向き合う中で疑いを持ちます。
- 時間は流れるものなのか!?――時間には流れるものではなく調和の中からもたらされるものです。
- 才能とは何なのか!?――所与ではなく、為すことから結果として生まれるものです。
