- 生き方のヒントとして、どんな哲学の着眼点が大切でしょうか!?
- 実は、ひとつ、「観念」を疑うことについて、考えてみるのはいかがでしょう。
- なぜなら、私たちが生きる中で、現実と想像・妄想が溶け合ってしまい、そのことが、私たちの悩み・苦しみにつながっていることも、多々あるからです。
- 本書は、白取春彦さんによる、世界の哲学者の思考へのいざないです。
- 本書を通じて、生き方を考える多くの手助けを得られます。
観念は”リアル”か!?
哲学の世界から、生きるためのヒントを得ましょう。ひとつの大きな視点は、「観念」を疑ってみるということです。
不幸になるのは難しくはない。現実になすべき事柄を放り出して意味の曖昧な観念や概念を追い続けるならば、確実に不幸になる。
1 幸福は現実の中にのみ存在する
観念とは、つまり、次のような判断のようなものだとしても良いでしょう。
- できる/できない
- 好きだ/嫌いだ
- 成功だ/失敗だ
- わかる/わからない
- 得だ/損だ
- やや良い/やや悪い
- 早い/遅い
- 優れている/劣っている
- 美しい/醜い
- 若い/老いている
- 難しい/易しい
- 明るい/暗い
- 軽い/重い
などなど……私たち、日常生活で使っている形容詞・副詞は、人間の脳が、”常識”あるいは、自分の”価値観”に照らして、勝手に判断した妄想です。
不幸や幸福という言葉だって、観念です。
ところで、ここに記した不幸も幸福も、意味のはっきりしない観念だ。言葉のみ輝きをまとって宙空に浮いている。そして、いつまでもその真の意味は濃い霧の中だ。
1 幸福は現実の中にのみ存在する
観念の落とし穴とは!?
観念というのは、空想・妄想・想像でしかないということです。それは、あなたの頭の中で作られて、他者となんとなく共有され、社会に存在しているように見える幻想です。
世間的な人々の眼には、世界はすっかり出来上がって凝固しているかのように映っている。そういう彼らの価値判断にしたがえば、病気や事故、身体不自由や死はまちがいなく不幸なことに分類される。彼らはまるで、人間の全員が病気になり、最後には必ず死ぬことを知らないかのようだ。
4 自分の人生を採点しない
世間の価値判断をとりあえずでも自分の思考基準や価値判断として抱いている限り、この人生は途切れのない「戦い」「苦労と気遣い」「思惑のさぐりあいと心配」の連続となってしまいます。その生み出された苦労も、実は幻想であるのです。
みずから、幻想をいだき、幻想に苦しめられる人生の負のスパイラルを招くようになってしまうのです。
あるいは、そういった幻想から逃避するように楽しみ・趣味に逃げて、人とのつながりを断絶する生き方もあるかもしれないです。ただ、そうした生き方も現実を生きていることにはなりません。
観念に縛られないためには!?
観念に縛られないようにするためにはどんな考え方が大切でしょうか!?それは「脳」をかえることです。
自分の脳を変え、人生を戦いの場ではなくする方法はいくつもある。
4 自分の人生を採点しない
自分の認識の仕方をまるごとかえること。
今まで抱いてきた世間的な価値判断を捨て、これからの日々に起きる事柄をすべてあっさりと受け入れてしまうという方法です。具体的には、相対的な考え方と言葉を自分からすっぱりとっぱらってしまうことです。
自分や他人を含めた現実の事柄に、自分から価値判断の色付けをしないのです。
すると、洞察力と理解力ががらりと転換します。自分に明瞭にわかるようになります。いままで凝固していたかのような世界が動き出す感覚を覚えます。
いままでは、難しいことや厄介事としか思えなかった仕事や用事、日々の問題を含んだことがらが、ある種の面白いパズル、新しいオモチャのように見えてきて、それらに対処するのに何の苦労もなくなります。
なぜ、そういう変化が起きるかというと、自分の手がけるものが世間的なルーティンワークから独自の創造活動に変化したからである。
4 自分の人生を採点しない
良い・悪いを捨て、中庸を見つめるのは、仏教でも説かれる精神です。こちらの投稿「【メリットたくさん!?半分にする効用とは!?】半分、減らす。―――「1/2の心がけ」で、人生はもっと良くなる|川野泰周」もぜひご覧ください。
まとめ
- 観念は”リアル”か!?――頭の中だけの、幻想であり、現実ではありません。
- 観念の落とし穴とは!?――観念は、世界を固定的に見せます。
- 観念に縛られないためには!?――観念を捨て、日々を独自の創造活動にするのです。