- 仏教に貫く教えって、複雑でしょうか!?
- 実は、ひと言で言えちゃうんです。
- なぜ、複雑に見えるかというと数千年の歴史の中で、多くの解釈が付与されているから。
- 本書は、白取春彦さんの視点で、仏教の原点をひもとく1冊です。
- 本書を通じて、ブッダが見た生き方のエッセンスに触れられます。
仏教は、「縁起」と「空」!?
仏教の根底のキーワードは、「縁起」です。加えて、その「縁起」から自然発生する「空」という概念も大切にします。これらは、抽象的なものです。仏教とは、哲学だからです。
そして、究極、仏教の教えとは、次の一言で、解釈されます。
仏教をひと言でいえば、「縁起」を身にしみて知ること、これしかない。
「縁起」とは何か
「縁起」と「空」の解像度を上げると・・!?
「縁起」とは、すべてのものが関係しあって互いの存在を支えている。ということです。
この世のどこを見ても、いっさいを縁起の理が貫いている。これがブッダの悟りである。
「縁起」とは何か
「空」とは、他との関係があってこそ成り立っている「状態」を指す言葉です。
この世のあるどんなものも他との関係なしには決してここにはありえない。
「色即是空」の「空」の意味
つまり、「空」はないことを意味するのではなく、ものごとが互いに限定したり依存したりして、存在している状態を指します。そして、そのつながりの関係を「縁起」というのです。
「縁起」の世の中の状態が「空」。この世界観を知覚することが、「悟り」です。
「空」は幻ではなく、現実の現象です。世界とはこういう現実の集合になっているのだ、と気付くことが、仏教の骨子です。
そして、「縁起」や「空」の世界観を使って、苦しみや悩みからの解放を志向するのが仏教というコンセプトです。
仏教がすすめる「生き方」とは!?
仏教では、すべての現象「空」は、「縁起」が作ったものだと解釈されます。
これを認めるならば、状況を変えることは簡単であろう。
仏教のキーワード――「縁起」と「空」
悪い状況ならば、悪い縁起がつくった現象である。そこから脱したいのなら、悪い縁起を排するようにすればいい。
まず、自分の心の向きや行いを変えることが、悪い縁起を根本から排除します。言葉、思考、行動は常につながって(「縁起」)いるので、根本から排除する必要あるというわけです。
自分の心は、実は少しも秘められてはいない。身のまわりにたくさんある鏡に映っているのである。
心を覆う五つの煩悩
良く生きようと努力して生きていく人生は、尊く、美しいものです。赤ちゃんや子どもが眩しいのは、打算などなく、より良く生きようとひたすらしている姿を私たちが感じるからです。
尊さ、美しさ、は必ず誰かが見ていて、生き方の美しさにあこがれて、その人も努力を始めるのです。だから、自分の努力はよい縁起を作っているのです。
はっきりと見えなくても、それは良い縁起である。
仏教のキーワード――「縁起」と「空」
「縁起」がなければ、世界はないので、「自分」という存在も、関係性を断てば、そこに存在し得ないということになります。つまり、ここで何がわかるかというと、「自分」さえも確固たる内発的な何かに、意識や身体が結果的についたのではなく、外からの「縁起」が、「自分」という結果を構成したのです。そして、それは常に揺れ動きながら、「自分」の構成を変えていきます。
自己は無であると同時に、関係性の中では有となる。言いかえれば、関係性の中でこそ、自己は有として存在する。
「縁起」に目覚めて自由になる
命があるのも、関係があるからです。「お世話になっています」という挨拶は命の確認と感謝となるのです。
仏教が「縁起」と「空」を悟れと勧めているのは、感謝する生き方を創造するためなのである。
「縁起」に目覚めて自由になる
この命も、生きる手応えもいただいたものである、そう気づいたとき、澄み切った安心が自然と生まれてきます。
悟りとは、難しいものではなく、日常に溢れているはずです。「縁起」と「空」の世界観を知ることが悟りであるならば、きっと、誰しもに実は身近なものではないでしょうか。
反対に「悟った」からといって、煩悩が消えることはないのです。煩悩が生まれたとしても、世界観を持っているから、動じなくなるのが、「悟り」です。
煩悩が顔を出してきても、それをあたかも自分から離れた他人事のように見ることができるからなのだ。
心を覆う五つの煩悩
「縁起」と「空」を悟っていきるとは、泥沼からさっぱりと出て、何にもおもねることなく、わずらわしさを感じることなく、今のこの自分の人生を全力で生きるということにほかなりません。
どんな人が安らかなのなのか・・・ブッダが語っています。
……偽ることなく、貪り求めることなく、ものおしみせず、傲慢にならず、嫌われず、かげぐちをを事としない。
……快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、
……利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執(もうしゅう)のために他人に逆らうことがなく、美味に耽溺することもない。
そういう人は、常によりよい行為をしているはずです。
行為によって納付となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭(やと)い人となるのである。
行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。
……世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。――進みゆく車がくさびに結ばれているように。
岡本太郎さんの言葉を思い出します。「【芸術、即、人間。】誰だって芸術家|岡本太郎」もぜひご覧ください。人は一生懸命に、無目的に生きるからこそ、人間であり続け、それが芸術と呼べるものとなる・・・。
まとめ
- 仏教は、「縁起」と「空」!?――その世界を知ることが「悟り」です。
- 「縁起」と「空」の解像度を上げると・・!?――良い縁起の中で生きることを志向します。
- 仏教がすすめる「生き方」とは!?――あらゆるものに感謝して生きる生き方を勧めます。