- どうしたら、新しい一歩が踏み出せるでしょうか。
- 実は、ほんとうの意味で生きるとは、どういうことなのかを見つめてみることが良いかも。
- 岡本太郎さんは、繰り返し、繰り返し、前衛的であることの姿勢をいろんな言葉で語ってくれています。
- 本書は、そんな岡本太郎さんの芸術を見立てる1冊です。
- 本書を通じて、生きることの意味について、新しい視点を得られるでしょう。
芸術、即、人間!?
美しい絵を描くことが芸術でしょうか、素敵な彫刻を作ることが芸術でしょうか、岡本太郎さんは、そんな職人・生産活動としての芸術を否定します。では、何が芸術なのか・・?それは本当の意味で生きることだといいます。
人間のほんとうの生き方が芸術なのであって、芸術は、人間本来の生きる意味のように、無目的的である。
芸術、即、人間。
今日の芸術は、うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
という岡本太郎さんの言葉からは、商業芸術に対する批判を知ります。
本当の芸術は、人の生活に物理的と言えるほどの強大な力と変化を与えます。知らないあいだにすべてのものの見方、人生観、生活感情が根底からひっくりかえったり、いままで「常識」や「型」にしたがって疑いもしなかった周囲が、突然なまなましく新鮮な光に輝き始めます。
いかに無目的的に生きられるか!?
人間は幼い頃から、人生をどうつらぬくべきかというスジを、意識・無意識に模索する。
生きる絶望を彩ること、それが芸術だ
生きていく瞬間、瞬間に、絶望があるとも、岡本太郎さんはいいます。
絶望は虚しいものですが、絶望のない人生も虚しい。絶望を誰しもがマイナスに考えますが、そこから、いかにプラスに考え捉えられるのかに挑戦しなくてはならないのです。
私は絶望を、新しい色で塗り、きりひらいていく。絶望を彩ること、それが芸術だ。
生きる絶望を彩ること、それが芸術だ
いかに無目的的に、生きることとや、社会と対峙できるか、それと闘いながら、絶望を感じながらも、これを彩れるか、それが芸術が生まれるところなのです。
内藤礼さんの「O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか」での、一節を思い出します。
「制作のために島に滞在中のことでした。集落を歩いていたら、お年寄りが集まって棺桶をつくっていたんです。ひとが入ると破れてしまいそうなくらいうすっぺらい板を組み立てて、工作みたいな感じなんだけれど、四隅には金紙を切った飾りつけがされてあって、素朴ながらきれいで心がこもっているんです。
少し歩くと、あるい家のまえにおばあさんの遺影が飾られていて、ああ、このおばあさんの入る棺桶なんだろうなと思いまし。亡くなったばかりのおばあさんの棺桶を、近所のおじいさんたちが、悲痛そうなふうでもなく淡々と道端にしゃがみこんでつくっている。もちあわせの金紙でせいいっぱい飾りつけて。その光景に激しく心が揺さぶられて、わたしもそんあふうに送られたらどんなにいいだろうと思いました」(中略)
このエピソードには、美しいものはどこから生まれるのか――アートはどこから来るのか――という問いにチアする作家の確信的ともいえる答えが孕まれている。かけがえのないひとが入る棺を飾りつけようと思う心は、自己表現でも見せびらかしでもない、無心の祈りである。
O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか|内藤礼
内藤礼さんが、直島で見た、無目的的であることと、岡本太郎さんの言う、彩りがすこしリンクして見られました。
この内藤礼さんの本は、2018年の水戸芸術館での展示「内藤 礼――明るい地上には あなたの姿が見える」で、手にしたものです。5年経ちますが、水戸芸術館の近くの小さな喫茶店で、読んだときの感覚を今でも覚えています。
8月のむっちゃくちゃ暑い夏の日でしたが、水戸芸術タワーからの青々しい田畑と鮮烈な夏の青い空に輝く積乱雲、そして、内藤礼さんの展示と、直島の祈りの本、これらのイメージがふとした時に、思い出されます。
なにか繰り返し日々の生活の中で、感じ続けるものがあるのかな、と思います。芸術とまでは言い難いものですが、小旅行の中で見たり、聞いたり、感じたことが、その後の心情に影響を及ぼしているのだと思います。
内容は外側にある!?
表現「方法」が新しいからと言って、ものごとの捉え方や考えが新しくなるかというとそんなことはありません。大切なのは、内容です。
「形式・技法→新しい内容」というスジはまちがいだ。「内容→形式・技法」こそ正しい方向である。そうでないと、一見新しかったり、シャレたようでいて、意味のないモダニズムに陥ってしまう。
内容は内ではなく外にある?
内容は、作品の内部とか、作家個人の内的世界とか、精神のドラマだけを意味しているのではなくて、逆にそれと対峙する外の世界、社会的な諸条件、そしてその作品が現実的に社会に及ぼす反響、そのはたらきかけをいいます。
社会に対する働きかけ、というのはひとことでいえば、時代と対決し、社会と対決していくことです。岡本太郎さんは、今日、多くの絵画が社会的諸条件に対してなんら矛盾を感じていないと、いいます。
激しく燃えるような対峙姿勢、そして生き方の中に、芸術とはなにか、人は何に心を動かされるのか、その可能性はなんだろうかということについて、考えるきっかけを得られる1冊です。おすすめです。
いま、改めて若い世代で岡本太郎さんの本が手に取られているそうです。私も何冊か、ご紹介しています。ぜひこの機会に、お手にとってみてください。
まとめ
- 芸術、即、人間!?――生き方を考えることが大切だ、流されてはいけません。
- いかに無目的的に生きられるか!?――打算的になるのではなく、一生懸命に環境に対峙してみることです。
- 内容は外側にある!?――環境との対峙の中に、あなたが見出されます。