- 社会生活の中で、どうしたら「自信」がわいてくるのか?初めて挑戦すること、なれないこと、難しいこととどう向き合ったらいいのか?誰しもこうした課題と向き合っているでしょう。
- 実は、自信をつけるために行う自分自身の「向上」活動もやり方次第では、間違った方にいってしまうかもしれません。
- なぜなら、外からの影響で自分が変わらないように自分の殻を厚く厚くしてしまっては、自己満足の追求になってしまい、ますます他者との競争の中に陥ってしまうからです。
- 本書では、曹洞宗僧侶の藤田一照氏が、いかに自分という存在を考えるかについて説いてくれます。
- 本書を読み終えると、「自信」をいかに持つかについて、新しい考え方に触れることができるでしょう。
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本書は3回に分けて取り上げています。今日は前回(「【ラクがいちばん!】考えすぎない生き方1|藤田一照」)に続き2回目です。今日の投稿では、「自信」と自己をテーマに藤田氏の言葉から、仏教のコンセプトについて触れます。その中で、自分のノウハウをもって介入をし、対象先をよりよくしていく「コンサルティング」という業務に重ねてみたいと思います。どのような心構えでコンサルティングにあたりたいものなのか、について考えてみます。
私たちは、全体に「溶けてつながっている存在」です。
仏教がいう自己というのは、周りから切り離されて単独で存在しているような閉じたあり方ではなく、周りと交流しながら開かれたあり方で存在しているということです。
第2章 自分をひらく
私たちの「一般的な」考え方では、自分自信というものは確固たる殻があって、外の世界、例えば、他者とか自然とかそういうものとは切り離されている存在だと認識しています。著者は、この私が以外のものがバラバラに存在している世界の見方を「分離のヴィジョン」と呼びます。
そして、この「分離のヴィジョン」は仏教において否定されています。
仏教には、「縁起」という言葉があります。すべてのもの・ことは、数限りない条件が寄せ集められて、刻々に形作られているのであって、不変であるということはありえないという考えです。
だから、他者から切り離された確固たる自分というものは存在し得ないのです。それを存在させようと考えることから、無理が生まれて、緊張して、生きづらくなってしまいます。
私たちが、知らずしらずのうちに生きる土台にしてしまっている根本的な思い込みに対して、別の解釈もあるのだということを知りましょう。
キーは、「閉じる」のではなく、「ひらく」ことです。
「固く凝集したようなものとして感じられる」といいましたが、それは文字通り、心身の余計な緊張や力みとして、具体的に現れています。
第2章 自分をひらく
自分を閉鎖システムとして捉えてはいけません。全宇宙の作用によって、たまたまいま形作られている存在で、常に移ろいでゆくものとして捉えましょう。
そうすれば、余計な緊張やストレスを感じなくてすみます。
大切なことは、「つながりを見出していくほうがきっと本当なのだろう」と思って生きていくことです。この心構えのもと生きていると少しずつ幸せの方向へ向かっていけるのだと、著者は言います。
そして、「自信」もその中で湧いてきます。
外から閉じて、一生懸命、自分の殻をしていく方向性では、本当の「自信」は得られません。反対に自分をひらき、自分で「いる」ことに対してのみ「自信」はうまれます。他者との繋がりのなかで、どうしても自分だけの特徴が際立つでしょう。自分は唯一無二の存在で、全世界から祝福されて、いまここにある、これが確固たる「自信」になります。
そういえば、過去の投稿「思いがけず利他|中島岳志」で取り上げさせていただいた中島氏の著作『思いがけず利他』でも同じような見解がありました。中島氏は、「他力本願」という言葉でこれを説明していました。
「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではありません。大切なのは、自力の限りを尽くすこと。自力で頑張れるだけ頑張ってみると、私たちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そうして、自己の絶対的な無力に出会います。
『思いがけず利他』 中島岳志
自分の絶対的無力に出会う過程というのは、もしかしたら本書、藤田氏の伝える「殻をただかためてつくるのではなく、柔軟にひらいて」向き合う姿勢への転換のことかもしれません。
あらゆることに対してオープンでいることを心がけましょう。
何が起こるかということに対してオープンでいること。評価することから離れることです。相手の反応に対して、なんの評価もせず、良いとも悪いとも思わず、それにのめり込みもせずに、「ああ、そうなんだ!なるほどねえ」って起きたことから学んでいくんです。そこには失敗も成功もなくて、何が起きてもぜんぶ成長の糧になる。だから失敗したらどうしようとか、何がなんでも成功しなきゃ、といった力みはいらないし、そうしれば、何が起きても傷つきようがないでしょう。自分勝手な期待をしていないから、裏切られるとか落胆するということもない。ただそういうことが起こったんだなと受けとめる。
第2章 自分をひらく
私は、ここを読んで、まさにコンサルタントに必要な心構えじゃないかなと思いました。コンサルタントは、妙な仕事です。他者の中に介入して、何も知らない立場から、いろんな作用をしかけるのですから。また、コンサルタントという語感に込められた期待値は、案件が変われば全く異なってくることも、とらえどころがなく、難しい仕事にしてしまっていると思います。
とにかく、勉強をして、その内容を押し付けようとしてしまうのが、人間の性であるとおもいます。でもそれではないけませんね。
相手ありきのことであるのはもちろんなのですが、こちらの引用の藤田氏の言葉のように、柔軟に構え、良くも悪くも断定しない立場でより良く見て、聞いてをしなくてはいけないと思いました。
もっというと、コンサルタントは常に自分との闘いでもあるのです。こうしないと、認められないかもという思いを捨てながら、でもどうしたら介入先のよりよい気付きの機会になれるか、の常にせめぎ合いだからです。
でも、もしかしたら、そんなせめぎあいも自分自信の勝手な幻想なのかもしれませんね。もっと、自然体に、自然とそうしてしまうような間柄を作っていくことが、本質なのかもしれないと思いました。
この点をもっともっと考えていく必要があるのではないかと思っています。
もっと、オープンに他者とすべてと向き合っていく、そのオープンの中で、自分だけの使命を自然と見つけていくことがいかに大切かを考えています。
自分中心の小さな物語のために動くのではなく、もっと大きな物語の中の、かけがえのないお役目として働く。
第2章 自分をひらく
今ここにこうして、海と一つとしてある波として自分にしかできない大きなミッションに全力を尽くそうとする。
どんなシチュエーションにもオープンでいられるから、自分から積極的に何かをしようとしなくても、状況が求めることに自由に応じることができる。
自分以外の誰かのために、自分を役立てていくことができるし、自分を必要とする人々のためにいつでも手が空いている状態でいられる。
自分がやらなきゃいけないことが、内側から自然に湧いてくるし、個人的な好みや損得を超えた、すごく良い働きがスッとできる。
勉強して、資格をとれば、「自信」が湧いてくるものだと思っていました。でも、それではなくて、本当の「自信」というのは、他者と関わり合う中で、自分が素直でいられる時、自分が自然でいられるときに、ふと立ち現れているものなのだということに気づきました。
まとめ
- 私たちは、全体に「溶けてつながっている存在」です。――自分を殻に守られた閉じた存在としてではなく、あらゆるものの繋がりの中でたまたまいま形作られている存在であると考えてみましょう。
- キーは、「閉じる」のではなく、「ひらく」ことです。――縁起の中で、生かされ生きている存在として、繋がりに対してひらくほうが、自然です。
- あらゆることに対してオープンでいることを心がけましょう。――オープンな心でいろいろなものごと、人と付き合う中で、自分だけの使命感がきっとみつかります。
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