- どうしたら豊かな人生を送ることができるでしょうか!?
- 実は、秘訣は、モノや情報への依存体質を抜け出すことかも。
- なぜなら、精神世界を整えることで、幸せを感じやすくなるからです。
- 本書は、持たないをテーマに人生を考える1冊です。
- 本書を通じて、自分自身のものごとの向き合い方に触れることができるでしょう。
ちょっと立ち止まってみる!?
前回の投稿「【持たないことで、持つことになる!?】[持たない]|枡野俊明」に続き、今回も枡野俊明さんの本書『[持たない]』のレビューを進めていきたいと思います。モノや情報があまり、過剰生産されている今だからこそ、ちょっと立ち止まって、過剰消費や浪費をしない体質を作っていくことです。そのことによって、自らの感受性を養い、幸せを感じやすい状態へと目指すことができます。
まず、ひとつのことに集中をしてみることです。いま・ここを大切にして、集中する時間を作ってみましょう。さまざまな情報に左右されて、注意散漫、あるいは、マルチタスキングをするのではなく、1つのことを丁寧に行ってみることが大切です。
例えば、食事をするときには、食事と向き合うこと。掃除をするときには、掃除と向き合うこと。それだけで余計な考え方が入り込み、魔が差すことから自分を遠ざけることができます。
ひとつひとつの振る舞いや動作に心配りしていくことで、ものごとを見極め、丁寧に対処するクセを養えます。ものごとに集中して、ものごとと一つになることは、とても心地よいことです。集中力を磨いてみましょう。本当に大切なことが見えてくる瞬間があります。
ものを持つときは想像力を生かす――百人の手を経て、自分に届いたと思う
28 ものを持つときは想像力を生かす――百人の手を経て、自分に届いたと思う
モノをひとつとっても多くの人が関わっています。それらの製造過程や販売過程に思いを馳せ、そのものが、今本当に必要なものなのかを、丁寧にジャッジしてみることです。そうすれば、過剰にモノを手に入れたり、持つことを避けられます。あるいはムダにすることだって避けることができます。多くの人が関わっているモノを粗末にすることは、そのものに関わる多くの人とのご縁を粗末に扱うということになってしまいます。
次から次にものを消費するのではなく、常に一歩立ち止まって、「このものにはどんな思いが込められているのだろう?」と想像してみるのです。
28 ものを持つときは想像力を生かす――百人の手を経て、自分に届いたと思う
人付き合いで大切なことは!?
自分を過剰に取り繕うという姿勢も持たないことが大切かも知れません。人がもっともイキイキするのは、その素が表に出たときです。人と接するときも堂々と、素の自分でいることができれば、互いに無理をすることのないより良い関係を育むことができます。
ただし、素のまま全開では、お互いに当然相容れないことだってあるので、軋轢を生んでしまうことになるでしょう。大切なのは、「相手を慮る気持ち」を大切にしながら、過剰に自分を取り繕う気持ちを捨て去ることです。
相手に好きになってもらわないととか、相手はこういうことを思っているのかな?という感情に過剰に取り憑かれるのではなく、相手のことを真に思って、自分の気持ちと素直に向き合ってみるということです。
相手にはどの程度、個性を出していいものか、人間性を見せていいものか、検討することが大切でしょう。これを図ることが、「間合いを取る」ということにつながっていきます。
その前提となることは、「相手のことをよく理解する」ということです。相手ありきでものごとを考えていけば、円滑なやり取りと関係を育んでいくことができるでしょう。
まず相手の話を聞くことも大切です。こちらの1冊「LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる|ケイト・マーフィ」もとても大切な心構えを教えてくれます。おすすめです。
素を見失わず、恕を忘れず。
33 素の自分でいることを忘れない――相手との間合いを読み、自分らしさを出していく
自分の素を理解していることも同時に大切です。それがなければ、相手とのより良い関係を築くための自分という大切な個性がなくなってしまいます。また、恕というのは、『論語』にある言葉ですが、「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」という意味です。つまり、自分がしてほしくないことは、相手にもしない、というのがこの意味になります。
してあげたのは、自分がしてあげたかったからでしょう。だから、見返りや報酬だって、過剰に求めることが良いこととは限りません。してあげたことで、自分の思いは十分に実現した、と考えてみることです。自分がしたことをスパッと忘れて、次に行けば、もっとよりよいご縁を迎えることができます。そうした執着心を持たないこともよりよく生きる秘訣です。
素直な生き方とは!?
そもそも、人は本来何も持たないものです。
本来無一物
36 最期は何も残さない――人生を生ききったといういう心は残る
この禅語は、人は本来、塵も埃も何もついていないまっさらな心、すなわち仏性のみを持っているという意味です。また、拡大解釈をすれば、私たちが持てるものはなにもないし、それで良いのだという読み方もできるかも知れません。
何かを保有するというのは、幻想なのかも知れませんね。とてもバーチャルなもの。モノも、お金も、名声も、それを保有することは、とても非現実的なことなのです。それを現実として捉えて、ものごとに積極的に関わっていくことができる人間という生き物は本当にすごいです。ただし、すごいのですが、それだけにこだわってしまえば、自分の素性とことなる世界を生き続け、いつか歪みが増えて、生きづらくなってしまいます。
大切なことは、執着や所有に対して、俯瞰して見つめること。
そして、そうした時間をたくさん積み重ねていくことが、よりよい人生につながっていると信じる気持ちです。
人生を生ききったという心。
36 最期は何も残さない――人生を生ききったといういう心は残る
やるべきことをやりきったという心。
それが最期に充実感、満足感、そして幸福感をもたらすのです。
この枡野俊明さんの言葉にふれて、こちらの1冊「【適度なリスクと、シンプルな管理!?】経済評論家の父から息子への手紙|山崎元」を思い出しました。財を残すは、災いのもとです。人は何も持たずに生まれてきて、そして何も持たずに旅立つのですね。病の中で、子どもに書き記した山崎元さんの言葉に触れるたびに、人生とは何かについて考えるざるを得ません。
こうした、考えるきっかけをたくさん与えてくだささる先人と著者に、本日も感謝。
まとめ
- ちょっと立ち止まってみる!?――ものごとに向き合う時間を丁寧に作ってみましょう。
- 人付き合いで大切なことは!?――素の自分を大切に、そして、常に相手を思いやりましょう。
- 素直な生き方とは!?――人は本来何も持たず、そのことで、仏性を宿していると知るのです。