- 現代社会を逆説的に俯瞰してみると、何が見えてくるでしょうか!?
- 実は、人と共に生きるという大切なコンセプトかも。
- なぜなら、人は完全な自由からは幸福を見出しにくいからです。
- 本書は、そんな「逆説」の効用に関する1冊です。
- 本書を通じて、いろいろなことを本当!?と考えられる得る力を養えるでしょう。
今回の投稿は、前回「【資本家の原点は、禁欲!?】逆説思考~自分の「頭」をどう疑うか~|森下伸也」に続き、こちらの1冊「逆説思考~自分の「頭」をどう疑うか~」を取り上げたいと思います。今回の投稿では、現代社会のインサイトに触れていきます。
近代から現代に至る社会の変化とは!?
現代社会の中心的な価値観は、逆説的に捉えることで、輪郭をはっきりとさせることができるでしょうか!?私たちの現代文明は、いまどんなポジションにあり、今後どのような課題に直面するでしょうか。
むかしは、人が一人生きていくことはとてもむずかしいことでした。まず自然の猛威から身体を守らなければならないし、加えて、生きていくのに最低限のカロリーを摂取するのにも事欠いていました。人類の時代は、そんな過酷な時代と共にあったといっても過言ではありません。
近代になり、職業選択や居住の自由が進みました。このことで、生産性が爆発的に上がり、さらに生産性を向上させるスパイラルへ突入させました。
もはやここでの「もたれあい」は、かつてのように直接的なものではない。
第6章 文明という逆説
分業をすることで、人は過度に直接的に関わらずに生きていくことができるようになりました。生産性と引き換えに、直接の関係を限りなく少なくてもすむ、「自由」を手に入れたといってもよいでしょう。
個人主義のメリデメとは!?
「しがらみ」や「束縛」からの開放感をたっぷり享受できる一方、「きずな」や「連帯感」は非常に実感しにくいものになってしまいました。
「しがらみ」や「束縛」からの解放はうれしいが、「きずな」や「連帯感」が薄れたり切れたりしてしまうのは寂しいし心細い。
第6章 文明という逆説
個人主義が社会に浸透すればするほど、人は孤独を感じることになり、寂しさに悩むようになります。人が安全に、文化的な暮らしを担保させていくには、孤独と引き換えにしなくてはならない、そして、孤独が幸福を遠ざけているとしたら・・人は、何のために、生きていくのか、という問いに結びついてきます。
「みなさん、自分本位に、自分勝手に、自分の好きなように生きていいですよ」とする個人主義は、当然のことながら「そのかわり、失敗したりして困っても、人頼みなんかしないで自分のちからでなんとかしてね」とささやきます。
幸福とは!?
仮に徹底的に利己心を貫き、しかもその利己的な欲望をすべて満たしたとして、それでひとは100%幸福になれるものだろうか。
第6章 文明という逆説
自由を謳歌できるが、人とのつながりが相当に乏しくなった人生・・祭りの後のような寂しさの中で、人は幸福を感じることができるのでしょうか。
そこに何が欠けているのかといえば、それは生きがいである。
第6章 文明という逆説
生きがいとは人生至高の目的です。大切なことは、自分の利己的な欲望を満たすことだけでは、生きがいは得られないということです。真の生きがいになることは、利己的に生きることではなく、その反対に、誰かの役にたつということです。誰かが自分のことを必要としているという実感が、幸福をもたらしてくれます。
これからも、分業的な社会は変わらないでしょう。でも、資本主義というコンセプトが主導するままに、私たちは、ひとりで生きていく人生を望むのでしょうか。あるいは、そんな見えない力にあらがうことで、新しいコンセプトを作り上げることができるのでしょうか。
そんなことを、「自由」と「幸福」の逆説から考えることができます。
まとめ
- 近代から現代に至る社会の変化とは!?――分業により人との直接的なつながりが乏しくなりました。
- 個人主義のメリデメとは!?――自由と引き換えに寂しさを感じ続けます。
- 幸福とは!?――誰かに必要されることです。