【「半身」で生きよう!?】なぜ働いていると本が読めなくなるのか|三宅香帆

なぜ働いていると本が読めなくなるのか
  • どうしたら、閉塞の社会でより良く生きることができるでしょうか。
  • 実は、「半身」がキーかも。
  • なぜなら、それこそが、人が生きるということだから。
  • 本書は、20~21世紀の労働を俯瞰する中で、現代社会の病にきりこむ1冊です。
  • 本書を通じて、生き方・働き方にヒントを得ることができます。
三宅香帆
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なぜ本が読めなくなるのか!?

本書は、三宅香帆さんによる「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いかけをきっかけに、働くの意義意味とそして、バーン・アウトしてしまいがちなスタックする社会・・そして、そんな社会に向かって、どのような働き方が突破口になるのか、について説いた意欲的な1冊です。

俯瞰した視点を持てば、20世紀私たちは、常に自分の外側にいるものと戦ってきました。例えば、他国との戦争、政府への反抗、上司への反発などなど。自分ではないものに対する抵抗が、新しい物語を生みだし、それを頼りに生きることができました。

国家や企業が、生きるストーリーを提供してくれていた時代です。しかし、時代が下るにつれて、様相が変わってきます。

21世紀の今日・・私たちはどう生きているでしょうか!?なにか外側のものと戦っているでしょうか。

しかし21世紀、実は私たちの敵は、自分の内側にいるという。

最終章 「全身全霊」をやめませんか

新自由主義的な世界観の中で、外部から人間を強制しようという力は働きません。むしろ競争心を煽ることで、あくまで「自分から」闘いに参加させるようにします。私たちは、自己決定のもと、駆り立てられて仕事を目的的にとらえて、生きること=人格を磨くもの=仕事というスパイラルへと落ち込んでいきます。

新自由主義社会では会社に強制されなくとも、個人が長時間労働を望んでしまうような社会構造が生まれている。

最終章 「全身全霊」をやめませんか

情報化によって横のつながりが密になったことも要員です。SNSをひらけば、インフルエンサーや身近な個人が発信するキラキラした情報に日常的に触れることができ、これらの情報がカンフル剤になって、さらに社会での活躍への背中をおします。

自由であることは、実は苦しくもあります。自ら生きる意味を見出し、自ら行動指針を決めて、自ら行動の責任を取っていくような考え方で動いていくということです。

20世紀にどうしても欲しかった「自由」を私たちは獲得しながらも、その「自由」によって、知らず知らずに自らを苦しめているのかも知れません。

私たちが陥る構造とは!?

私たちは自ら頑張ろう!としてしまう社会を生きています。ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーがつくった言葉に「トータル・ワーク」があります。生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会をこのように呼びました。

結果、全身全霊をかけて、自分の文脈を特定の1つのテーマに全集中をして取り組んでしまいます。全集中をするということはとてもラクなことです。仕事だけはつらい!と思うかも知れませんが、人はなにかに盲目的に集中しているときほど、安心感を覚える瞬間はありません。それだけをやっていればいい!という状況に安堵を覚える生き物なのです。

全身、自分の文脈をひとつに集約させた何かにコミットメントするのは、楽なのだ。

最終章 「全身全霊」をやめませんか

特に日本社会は、他国と比べても長時間労働を推奨する環境になっています。労働者1人あたりの採用・解雇・教育訓練費用などのオーバーヘッドの固定費が高いことが指摘されています。新卒で何もわかっていない若い信心を採用し、かれらにとにかくお金をかけて会社が育て上げて、定年まで働いもらう構造を取っていたために、コストが潤沢にかけられています。やめない前提の投資になっているからです。

日本企業は、他国に比べて面倒見が良いのです。それはつまり、1人あたりのコストとして計上されて、それを回収する力学が働きます。

景気がよく右肩上がりの時代は問題ないですが、景気が後退する局面においては、リスクになります。人件費を減らさなくてはならないのです。人を減らすのに、仕事の内容やボリュームを変えることができないため、1人に頑張ってもらう必要が出てきます。

調整弁として「残業」を活用することも労働者を苦しめるきっかけになっています。普段の運営では残業代を支払っておいて、高給を約束しておいて、景気が後退したタイミングで1人あたりの残業代を減らすことで、利益創出の調整弁として機能させます。

残業はそもそも仕事が終わらないからやるべきものだったわけではなく、残業代を支払うことを前提として組み立てられた日本企業の必要悪だったのだ。

最終章 「全身全霊」をやめませんか
三宅香帆
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半身社会とは!?

こうした、構造的・精神的な問題に対して、著者・三宅香帆さんは、全身全霊ではなく、「半身」で関わっていく、そのかわり、関わる世界や軸を広げていくことをすすめます。

ひとつの文脈に全身でコミットメントすることを称揚するのは、そろそろやめてもいいのではないだろうか。

最終章 「全身全霊」をやめませんか

「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることです。仕事や趣味や家事、などなどさまざまな場所に居場所をつくることです。さまざまな文脈の中に生きている自分を自覚し、他者の文脈を取り入れて、柔軟に生きていく世界観を知ることです。

私たちはさまざまな文脈に生かされています。仕事だけに生かされているわけではないということを知りましょう。

「半身」だからこそ、他者の支えが必要になります。「半身」だからこそ、他者への理解が楽しくなります。「半身」だからこそ、読書を通じた他者の文脈の取り込みができるようになります。

半身社会は他者との協力が不可欠だし、自分の調整も常に必要になる世界です。だからこそ、バランス感覚が必要になり、時に難しいこともあるけれど、社会で生きるということは、そもそもそういうバランスを知り、バランスの中で、上手に進んでいくということなのかも知れません。

半身こそ理想だ、とみんなで言っていきませんか。
それこそが、「トータル・ワーク」そして「働きながら本が読めない社会」からの脱却の道だからである。

最終章 「全身全霊」をやめませんか

仕事をしながら、半身で、他者の理解や、読書をしていくことは面倒なことかも知れないし、難しいことかも知れないし、時にしんどくなることもあるかも知れません。でも、1つの中に自分を埋没させていくしんどさに比べると、可能性ある世界観が広がる生き方であることは間違いないと思われます。

労働観については、こちらの1冊「【資本主義をハックせよ!?】ビジネスの未来――エコノミーにヒューマニティを取り戻す|山口周」もとても刺激的です。ぜひご覧下さい。

まとめ

  • なぜ本が読めなくなるのか!?――自ら余裕のない働き方へ向かうからです。
  • 私たちが陥る構造とは!?――トータル・ワークという人生全てが仕事の世界観です。
  • 半身社会とは!?――人が人の文脈をクロスオーバーに生き、支え合う余裕のある社会です。
三宅香帆
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