- 個人で生きられる自由を手に入れたはいいけれど、反対に自由が私たちを苦しめている気がする・・
- 実は、「小舟」に私たちはたとえられるかも知れません。
- なぜなら、一人ひとりが自分の生き方を見つけ、航海を続けていくようでもあるからです。
- 本書は、心理士である東畑開人さんによる心の取り扱いに関する書です。
- 本書を通じて、小舟化する社会の中で、人はいかに心の問題を抱え、向き合うための可能性を見つけられるのか、カウンセリングの現場のような筆致で、じっくり向き合うことができます。
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小舟化する社会とは!?
僕らは今、無数の小舟がふわふわと浮遊している世界で生きている。
まえがき 小舟の海鳴り
それぞれの小舟は、ときにくっついたり、ときに離れたりするけれど、本質的にはポツンと放り出されている。
これがこの本の原風景。
本書は、ものがたりでもあり、そして心理士の方の目線による社会を考える書でもあります。時に静まり、時に時化る大海原を社会にたとえ、そこを行く舟に人生を映しています。読み進める中で、このメタファが度々登場し、情景としても極めて美しい構成になっています。
私たちは、想像以上に自由な社会を生きています。人類はこれまで、強固に繋がりを保つ中で、生存してきました。そうでなければ、生きながらえなかったからです。しかし、文明化も極まる中、ひとりでも容易に生命を維持することが可能になりました。社会システム自体を一人で生きて行くのに最適化しているともとれてしまうかもしれません。
つながりの小舟化は僕らを自由にしてくれました。だけど、そこには負の側面もある。
4章 つながりは複数である シェアとナイショ
大船での「愛すること」が、安定と引き換えに不自由を受け入れていたとするなら、小舟化した「愛すること」は自由と引き換えに不安定を受け入れなくてはなりません。
生き方について、過剰な介入が減った一方で、私たちは立つ瀬を自ら作らなくてはいけなくなりました。
心の補助線とは!?
僕の小舟には六本の棒のようなものが入っている袋があります。そこには文字が書かれている。
1章 生き方は複数である 処方箋と補助線
「馬とジョッキー」
「愛することと働くこと」
「シェアとナイショ」
「スッキリとモヤモヤ」
「ポジティブとネガティブ」
「純粋と不純」
僕の役割は、これら6本の補助線を必要に応じて引っ張り出して、それがどういうものであるかの説明をすることです。
これらの補助線を適切に用いて、東畑開人さんは、カウンセリングに当たるといいます。例えば、「馬とジョッキー」。意のままにならない馬と、その馬を意のままにしたいジョッキーです。この2つの機能が押し合いへし合いしながら、みんなの心は営まれているのです。
世の中を生きる処世術的な本がたくさん出ています。「前向きに進みましょう」「船底を探すのです」「自分に打ち勝つ」「とにかく動け」の4つに分類できます。「前向き」「打ち勝つ」方向はジョッキー推しの処世術で、「船底」「動け」は馬推しの処世術です。世の中の処世術は大きく2方向に大別されるのです。しかし、実際には、いずれの処世術にしたがってみたととしても「ジョッキー推し」一択となるというのです。なぜなら、社会がそれを求めるからです。つまり、主体性を持って、自立して生きることを強要しているのです。人生のはじまりから終わりまで(終活)、自分でコントロールできるものであるかのように、イメージさせられます。自分で自分の小舟を上手にコントロールしなければならない今、私たちは常に心を「ジョッキー」優勢で置いて置かなければならない・・。
ジョッキー礼賛の社会に生きる僕らは他者を危険な存在だと感じています。
4章 つながりは複数である シェアとナイショ
つながりは、ポジティブなイメージで覆われていますが、実は、そんなことないのです。よくよく思い出してみると、私たちの心がひどく傷つくのは、他者とつながり方によるためです。つながりは、儚く、くるしく、辛いもの。深層心理学者のフロイトは人生を2つに分けると「働くこと」と「愛すること」だとしました。私たちは、「働くこと」を小舟化する中で、ついぞ、「愛すること」も小舟化する必要を迫られています。
人生に補助線を引くこと、「働くこと」と「愛すること」に分かれました。「働くこと」とは何らかの目的のために「する」ことであり、「愛すること」とは「敵ではない」と感じられる他者と共に「いる」ことでした。
3章 人生は複数である 働くことと愛すること
「愛すること」は、「敵ではない」ことを感じられるかがポイントです。そして、これを考えるために、「シェアとナイショ」の補助線が現れます。傷つきの扱いの仕方がシェアとナイショで変わると言います。シェアのつながりとは傷つけない関係のこと。傷つけられることはないと安心していられるので、「いやなやつ」にならずに「自分らしく」いられます。一方で、ナイショのつながりは傷つける関係です。互いに傷つけ合いながら、研磨され、一緒にいられる形に変わっていきます。
「自分らしさ」を守ることは、心の健康のためにはとても大切です。つながりによって、非自分的なものが入り込んできた時に、それによって自分に過剰なダメージを与えないように考えること、あるいは、時には、その非自分を抱え込みながら、新しい自分になっていくことを許容してみる試行も必要かもしれません。
スッキリが、排泄。モヤモヤが、非自分の抱え込みによる、自己変革です。あまりにモヤモヤを内包すると、心に支障を来すので、基本は、スッキリ。でも、周りにいる人次第では、モヤモヤを抱え込むのも時に必要なのかも知れません。
このような、論点を優しい印象で、深く、説いてくれているのが本書の特徴です。
心の取り扱いの仕方とは!?
私たちが生きる目的は、「幸福」にあります。
幸福とはあらゆる目的の背景に潜んでいる「メタ目的」なのです。
7章 幸福は複数である ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純
幸福とは何なのか。それを東畑開人さんは、このように説きます。
幸福とは何か。
7章 幸福は複数である ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純
複雑な現実をできるだけ複雑に生きることである。
過去の投稿「【焦るな!耐えろ!】ネガティブ・ケイパビリティ|帚木蓬生」を思い出します。ネガティブ・ケイパビリティとは、複雑な状況を生きるために、耐える力のことでしたが、まさに「複雑な状況を、複雑なまま受け入れ、解釈し続ける力」であるとも説かれていました。本書の内容とも触れるところがありました。
余談ですが、この本を読みつつ、ドラマ『大豆田とわこと三人の元夫』を観ると、理解がさらに深まるところがあると思います。登場人物のこんなセリフもまた違った角度で聞こえてきます。
人を傷つけるのって、他人だから、
中村慎森 @ドラマ『大豆田とわこと三人の元夫』
慰めてもらうのも、他人じゃないと。
まとめ
- 小舟化する社会とは!?――個で生きていく時代です。私たちは自由の功罪を味わっています。
- 心の補助線とは!?――7つの補助線を用いて、心のあり方について語られています。
- 心の取り扱いの仕方とは!?――複雑な状況を複雑なままで取り扱い続けることにあります。
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