- 世の中を生きて行くのに、よりよいヒントをあるでしょうか!?
- 実は、仏教の世界観にヒントがあるかもしれません。
- なぜなら、仏教はこれまでの2000年以上の歴史の中で、常に人の心と世界の関わりについて説いてきたからです。
- 本書は、スリランカ出身で、テーラワーダ(上座仏教)仏教長老であるアルボムッレ・スマナサーラさんによる世界観の1冊です。
- 本書を通じて、人生で大切にするべきことを考え方のヒントを得られます。
私たちの身体を構成しているものとは!?
私は、私だ!という考え方は、硬直的な思考のもととなります。「私というのは、ここに実在する」というのは、間違いかもしれない、というのが仏教の考え方です。
仏教では、私を構成するのは次にあげる5つの要素だとされています。これをまとめて「五蘊(ごうん)」と呼びます。
1.色蘊(rupa-kkhandha ルーパッカンダ)
これは、肉体を構成する物質のことです。物質の最小単位「素粒子」的なものを表しているとされています。
さらに細分化され、地(質量を作るエネルギー)、水(素粒子をひっぱりまとめる役割)、火(熱によって形象を変化させるエネルギー)、風(ひきはなすエネルギー)に分かれます。素粒子は、瞬間でも同じ場所にとどまっていることを、知りません。私たちの身体もこれらの素粒子で構成されているわけですから、たえず入れ替わりをして、構成要素が変化しているととらえることができます。
2.受蘊(vedana-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)
これは、感覚です。私たちの身体には6つの感覚があって、ものにふれると現れます。感覚は、常に変化し、一定であることはありません。ものに触れなければ、感覚は生じません。眼に光が触れたときに感覚が生じているのです。指で触れるとそのときに感覚が生まれるのです。
3.想蘊(sanna-kkhandha サンニャーッカンダ)
感覚から生じる概念のことです。私たちは、感覚で感じたものをなにかの概念にするのです。たとえば、カバンに触れた瞬間にカバンという概念が立ち上がります。あるいは、音楽を聞けば、それが常に概念になり続け、更新され続けるのです。常に変化する感覚を通じて、概念が変化し続けていきます。
4.行蘊(sankhara-kkhandha サンカーラッカンダ)
これは、衝動のことです。なにかをしたい!と思う気持ちのこと。私たちには、つねに何かをしたいという気持ちがあって、その気持は常に変化しています。
5.識蘊(vinnana-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)
指で机を触れるとこれは机だ!と認識します。そして、その移ろいは、とどまることを知らずに変化し続けていきます。
私たちの身体は五蘊でできているのですが、それらはすべて常に変化しているということになります。
五蘊の無常は、たとえようがない
「五蘊(ごうん)」はつねに移り変わる!?
上述の通り、「五蘊(ごうん)」は、常に変化していきます。
感覚的に理解して観るために、アルボムッレ・スマナサーラさんは、噴水にたとえます。少し長めなのですが、とても大切な世の中の見立て、と思いますので、引用させていただきます。
「噴水がある」というのは世間の合意です。実際には水が絶えず流れていて、固定した噴水の実体はありません。一度流れた水は二度と戻ってくることがありません。一回きりで人生は流れ、噴水は流れているのです。
この噴水には、五蘊と同じく五つのノズルがあります。そこから噴出した水が高いところで一つにまとまって、派手に落下していると想像してください。
それぞれのノズルから飛び出す水は無常です。色も、形も、量も、流れる速度も、温度も違います。水の分子も、それを構成する水素も酸素も、それを構成する素粒子も違います。その一切が常に変化しています。この無常なる五つの流れが一つにまとまって、どーっと落下しているのです。その大きな水の流れは、どうしようもない無常です。すべてが常に変化しているので、何もかも一瞬であり一度きりです。それを世間の合意で、無理やり「噴水」と言っているのです。「私」と言っているのです。
水の噴き出し方を変えると、水の姿が変わります。ノズルの形を変えれば、水は高くも、低くも、遠くへも飛びます。
私たちも同じです。私がちょっと気に障ることを言っただけで、皆さんの身体は瞬時にカチッと変わってしまいます。私たちは、この噴水のような自分を生きているのです。
だからヴァジラー比丘尼は、「五蘊で自分ができている。それを生命という世間の合意がある。それだけですよ」と言ったのです。
五蘊の無常は、たとえようがない
五蘊は、一瞬たりとも停止することがなく変化しています。だから、「これが私!」といえるものは何一つないということに気がつきます。永遠不滅の魂もありえませんし、永劫不滅もない。つねにあるのは、「瞬時に生滅」している事実なのです。
つねに移り変わるということは・・!?
常に移り変わること、それがすなわち「苦」を生んでいるのです。
無常たるものは苦である。
苦②現象があっという間に消えること
あらゆるものは瞬間的なもので、固定したものではありません。すべてはあっという間に消えてしまいます。この現象はあっという間に消えるということを、「苦」と仏教では定義します。さらに、このあっという間に消えていくことに抗うことで、さらなる苦が生み出されてしまうのです。
この世にある限り、苦を伴います。これを認め、この感覚を、観察することを、仏教では推奨します。感覚によって導き出される概念や思考や思いなども、すべて幻想で、絶えず消えていくものです。
修行者は、何かを志向するたびに「ただの思考だ」「思考は悪魔だ」と発見すればいいのです。それだけで悪魔(自分の中に現れる雑念や苦しみの感覚)を退治して、解脱の道に入ることができます。
「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
よく感じながらも、考えない。よく見ながらも、考えない。常に、移ろいに身を任せながら、ただそこにあることを認めていく、それが仏教がおすすめする世界と自分との関係性なんですね。
みなで、ともに解脱を目指しましょう!
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まとめ
- 私たちの身体を構成しているものとは!?――色、受、想、行、識です。そしてこれらは常に変化します。
- 「五蘊(ごうん)」はつねに移り変わる!?――つまり、私はつねに変化し続け、固定的ではないのです。
- つねに移り変わるということは・・!?――それが「苦」の正体です。