【情報化社会の功罪!?】映画を早送りで観る人たち|稲田豊史

映画を早送りで観る人たち
  • 映画や動画コンテンツを早送りしてみることありますか?
  • 実は、これって現代の消費社会を考える切り口かも。
  • なぜなら、本来的には実時間かかるコンテンツ消費さえも早送りするということは、そこにやんごとなきインサイトが紛れているからです。
  • 本書は、なぜ現代人は動画コンテンツを早送りしてみるのか?という切り口から、稲田豊史さんによる調査研究とその結論に触れられます。
  • 本書を通じて、情報化社会のソーシャルインサイトを一緒に考えてみませんか?

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映画を早送りして観る人たちがマスに!?

サブスク系コンテンツ・サービスをみなさんは、契約されていますか?エンタメから学習素材まで幅広く利用できる、とても便利な世の中になりました。昔(ほんの数十年前まで)は、コンテンツといえば、映画館で映画を見ることくらいだったはずです。それが今では、スマホがあれば、いつでもどこでも、どんなコンテンツでもリーチできます。さらに、「あなたにはこんなコンテンツがおすすめ!」といってAIがおすすめしてくれたり、そのコンテンツに関する評判や評価も、定量・定性どちらも気軽に入手できる、とんでもない情報化社会を私たちは生きているのです。

マーケティング・リサーチ会社のクロス・マーケティングによる2021年3月の調査によれば、20~69歳の男女で倍速視聴の経験がある人は34.4%、内訳は20代男性が最も多く54.5%、20代女性は43.6%。

序章 大いなる違和感

実に、経験者ベースで言うと、3人に1人。20代では半数程度と、倍速消費が浸透しているといいます。しかも、これは講義動画など、効率的に情報を収集する内容のものだけではなくて、映画やドラマなどの本来ならば「鑑賞」をしたいと思えるコンテンツにまで及んでいます。

なぜ、早送りをするのか!?

なぜ、コンテンツを早送りするのでしょう。その大きな要因として、まずは、リーチできるコンテンツ自体が世の中に氾濫しているという事実があります。当然、人生の時間は限られているわけですから、母数を増やすことは出来ません。一つでも多くのコンテンツに触れたいのであれば、コストパフォーマンスならぬ、タイムパフォーマンス(タムパ)を追求する必要があるのです。この結果、私たちは、倍速という技を身に着けました。そして、サービサーももれなく、倍速機能拡充でこれに応えます。

しかし、単にコンテンツが増えたというのは、理由の一端でしかありません。もっと深くに、コンテンツを消費せねば!と躍起になっている私たちのインサイトが隠されています。

それがずばり、社会との接点が情報である、情報化社会特有のものであると私は、本書から感じました。皆が良いという情報を知っておくことが、社会での生存率を高めることになるのです。たとえば、学校で特定の番組やイベント動画を知らないがばっかりに、仲間に加えてもらえないなどということが、これまでよりもより顕著になっているようです。

つまり、私たちは、皆が良いとするコンテンツに群がり、とにかくその結末・概要を知りたいと願うようになっているのです。そこに、情緒や行間というものはなく、とにかく「わかりやすさ」が追求されます。なぜなら、鑑賞ではなく、もやは情報収集だからです。

芸術――鑑賞物――鑑賞モード
娯楽――消費物――情報収集モード

第1章 早送りする人たち――鑑賞から消費へ

「わかりやすさ」への違和感

「わかりやすい」ことは本当に価値なのでしょうか。稲田豊史さんも本書のなかで取り上げるライターの武田砂鉄さんによる『わかりやすさの罪』という本があります。

武田砂鉄
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著書『わかりやすさの罪』には、劇作家・演出家の鴻上尚史のぼやきが紹介されている。鴻上が「最近の演劇の観客はずいぶん変わってきた」と言うので、武田がどう変わったのかを聞いたところ、鴻上は困ったようにこうつぶやいた。「芝居が終わってから、結局は誰が悪役なのですか、って真顔で聞くんだよ」

第2章 セリフで全部 説明してほしい人たち――みんなにやさしいオープンワールド

本来的な鑑賞を放棄して、情報を収集したいという意識の現れを見ます。面白いと言うには、勇気がいる。他者の批判を浴びるかもしれないし、自分の趣味趣向が疑われるかもしれない。でも、「わからない、わかりにくかった」で切り捨てれば、それで一定の距離を保てる。というのです。

さらに、この「わからない、わかりにくかった」という言葉や評価は、作者に直接届けられる世の中にもなりました。SNSがあれば、誰もが作者にリーチできるのです。作者だって、見る人のことを考えれば、すべてをわかりやすく整えたり、かならず説明を入れたり、そういう工夫をしたくなるのが人情でしょう。

情報化社会での生存本能を皮切りに、コンテンツ消費スタイルが変容し、ついには、わかりやすさのスパイラルが、私たちを鑑賞、あるいは、自分で考えること・感じることから知らず知らずに遠ざけているのかもしれません。誰かが「いいね」といったことも大切かもしれないです。でも、私たちひとりひとりが対象に対して、どう感じたのか、そこから何を考えたのか?のも大切でしょう。流されれば、消費される社会をどう生きていけばいいでしょうか。

広告会社に身を置く人間として、「販促」と「広告」の違いを見ました。「販促」というのは、的確に商品の特徴を伝え、購入に結びつける企業活動です。これは数値的に明確に図られるので、いっていの明確さが必要になります。たとえば、「商品Aは、Bと比べて**という機能がついているのに、1割も安い!」みたいなことです。

でも、一方、「広告」というのも存在します。これは、たとえば、Apple社の「Think Different」や、西武の「ほしいものが、ほしいわ。」など、時代を映す鏡として、その世界を生きる人に一定の問いを投げかけるものです。そんな、「広告」を、最近、ご覧になったでしょうか・・。

「広告」ってなに!?と思った方は、こちらの投稿「【あらためて存在価値を書けるか?】ステートメント宣言。|岡本欣也」の本もとてもおすすめです!

まとめ

  • 映画を早送りして観る人たちがマスに!?――鑑賞ではなく情報収集をする人が増えているようです。
  • なぜ、早送りをするのか!?――情報化社会における生存本能によるものです。
  • 「わかりやすさ」への違和感――わかりやすさへのスパイラルが、私たちから感じること・考えることを奪っています。

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