【本は風のように読め!?】乱読のセレンディピティ|外山滋比古

乱読のセレンディピティ
  • 本を読みたいけれど、実際に、本とどうやって向き合えばいいのかわからないという方も多くいると思います。特に、どのくらい読めば良いのか、については人それぞれのことだと思います。
  • 実は、1冊をじっくり読むのではなく、乱読で色んな本にあたってみるのが良いかもしれません。
  • なぜなら、結局1冊をじっくり読んだところで、「自分の思考」を鍛える訓練にはならないからです。
  • 本書では、思考のプロフェッショナルである外山滋比古さんが残した、本との本当の向き合い方が語られます。
  • 本書を通じて、いかに「考える読書」を目指していくかについて、ヒントを得られるでしょう。

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外山滋比古
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本屋は、風のように読むのがよい。

本べったりになっていると、読んでいるつもりの本に呑み込まれていて、自分を見失ってしまう。知識は得られても、みずから考える力は育たない。借りものを自分のもののように考えるのはよろしくない。

文庫版のためのまえがき

本を読み始めると、どうしても、1文字1文字を追ってしまっていきます。丁寧に読むという前提があると、さらに、その傾向は強まると思います。

でも著者は、この丁寧な読み方と言うのは、本当だろうかと問います。

たしかに、1冊の本が述べたい結論というのは、2~3センテンスに集約されてしまうものです。実際に私も1月から毎日本を読み進めていますが、多くの本における著者の「いいたいこと」は実はとてもシンプルです。

でも、なんで、わざわざ長く書くのかということですね。書き手にとっても、読み手にとっても、とても時間がかかって負担です。

でも、この「時間」こそが価値なのかもしれないと最近思います。もっというと、ベールが剥がされていく順番というのがとても大事で、ひとつの事柄を理解するのにも、まったく異なると思うんです。

たとえば、良い例かはおいておいて、
・今日は、仕事だ。明日は、お休みだ。
・明日は、お休みだ。今日は、仕事だ。
の文を比べたときに、読後感がかなり異なってくる感じを受けると思うんです。

前者は、なんとなくウキウキした気分で、仕事も頑張るか!という気持ちがどことなく伝わってくるし、反対に、後者は、憂鬱に感じてしまう。労働をしなくては休みが得られない感じも伝わる。この順番は時間によってもたらされるものですが、ここが認知の不思議な側面だと思います。

コンピューターではこれはできないでしょう。一気にデータを読ませて、ランダムに解読していくのがAIだとすれば、こういう時間で生み出されるような情緒への認識は、持てないのではないかなと思います。

風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味をうち明ける。本は風のごとく読むのがよい。

ことばの生命

私は、この著者の言葉が好きです。

今が5月、五月晴れが続いていることもあるからか、とても風が気持ち良い気候だと言うこともえいきょうしているかもですが・・、でも、風が駆け抜けるようにパラパラと本と付き合うことって大事なんだなというイメージがわきます。

外山滋比古さんは、じつはこういう喩えが、お上手な印象があります。

過去の投稿「【「知の巨人」の発想法・思考法とは!?】こうやって、考える。|外山滋比古」において、引用したこちらの文章も、善玉・悪玉という形容がとてもチャーミングでした。

悪い忘却ばかりではなく、有用な忘却もある。忘却は、悪玉だけでなく、善玉忘却も存在する。悪玉忘却は頭のはたらきの衰えであるが、善玉忘却は頭のはたらきをよくする。忘却を一概に怖れ、嫌うのは間違っている。善玉忘却を認めないのは偏見であると言ってもよい。忘却によってわれわれの頭はよくもなるし、また、力を失うことにもなる。

『こうやって、考える。』外山滋比古 著

自分で考えるとは、自分の言葉にしていくことなのかもしれないです。外山滋比古さんは、それをモットーにしているので、ユニークな、彼らしい形容で、心に定着しているのかもしれませんね。

知識と思考の違いに気づく。

本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。

知識と思考

本をよむ目的はなにか?と聞かれたときに、新しい考え方や知識を「身につける」ためだ、と考える人は少なくないのではないでしょうか。私も実際に、新しい経営ビジョンを見つけるための視点や手法がご紹介できればなぁと思って読んでいることは確かです。

でも、ここに外山滋比古さんは、警鐘をならしてくれます。

知識も大切かもしれないが、考える読書が大切なので、いかに自分が思考しているかに向き合うことも大切だよと言ってくれています。

だから、本との距離感は大切だと思います。血眼になって、1文字1文字を追いかけるのでは、なく、さらさらと文脈をつかむ読み方をしてみましょう。

知識のためではなく、自分の考えを語るために読む。

わからない本でも何度も何度も読んでいれば、本当に、わかるようになるのか。昔の人はのんきだから、そんなことはセンサクしない。本当にわからない本でも、百ぺん読み返したら、わかるようになるか。試した人はなかっただろうが、わかる、のではなく、わかったような気がするのである。

反復読書

血肉になると言う言葉があります。知識として身について、いつでも引き出したり、活用できたりする状態というニュアンスで使われることが多いと思います。そして、そのためには、知識で蓄えておくだけではなく、体を使ってその知識を試してみて、知恵にしておくことがポイントだと私は考えます。

コンサルティングの現場でも、経営者の方や事業者の方に、知識を伝えたところで「?で、うちはどうすればいいの?」というリアクションをもらってしまうことがあります。そうではなくて、大切なのは、定式化した知識をつかって、その経営や事業の固有の問題を見つけて、解決するための、フィッティングが大切なんですよね。

案外、そのフィッティングに人は感動を覚えたりするものだと思います。

本を何度も読む行為が、血肉になるのではなく、その上で、自分で行動し「体験し経験できたこと」が、大切なのだということを、血肉にしておきたいと思います。

哲学者・西田幾多郎が、若い学者からの、「論文のすぐれている人と講演のすぐれている人と、どちらが、本当にすぐれているのでしょうか」という意味の問いに答えて、「それは、うまい講演のできる人」と答えたというエピソードが伝わっているが、文字信仰の人たちだけでなく、広く一般の人をも驚かせた。

生きる力に結びつく読み方

いざ!と言う時、案外、人は手ぶらです。本当の勝負の時は、そう、手ぶらなんです。その時、借りものの知識では、まったく勝負にならない。思い出しているうちに、やられてしまいます。

なにも、人生や仕事、プライベートの全てのシーンが勝負だとは言いませんが、ここぞ!というときにこそ、知恵が役立つので、やっぱり覚える深い読書よりも、風の読書を心がけて、思考を鍛えておきたいものですね。

文章の上手、下手は、技術の問題であるけれども、話すことがりっぱであるのは、その人の心、頭のはたらきそのものを反映する。

生きる力に結びつく読み方

いかに語れるか、これからも胸にしまって、意識してみたいと思います。

まとめ

  • 本屋は、風のように読むのがよい。――1冊をじっくり読む行為は、相手の思考に埋まってしまうことです。
  • 知識と思考の違いに気づく。――本当の読書とは、自分の考えを持ち、思考を鍛えることです。
  • 知識のためではなく、自分の考えを語るために読む。――いざというときは、手ぶらなものです。そんなときでも知恵を持ち、語れる人材になりたいですね。

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