- ちょっと立ち止まって、自分の人生や趣味、働き方を見直してみたいと思ったことはありませんか?
- 実は、文章(とくに随筆と呼ばれるジャンル)を書くことがこのきっかけになるかもしれません。
- なぜなら、自分の心象と向き合う究極の手段だからです。
- 本書は、電通の元コピーライターであり、現在はライターを生業とする田中氏による、文章を書くことの考え方を丁寧に紐解いています。
- 本書を読み終えると、自分の思いを発露する文章のあり方について、思いを巡らせることができるでしょう。
ネットで読まれている文章の9割は「随筆」である。
事象とはすなわち、見聞きしたことや、知ったことだ。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは「事象」である。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれる、それが「心象」である。その2つがそろってはじめて「随筆」が書かれる。人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。
その2 ネットで読まれている文章の9割は「随筆」
この本は、世の中にあふれている無益な文章術や、むなしき目標に向かうような生き方を推すような本ではありません。
むしろ、その反対に、書くこと本来の楽しさやちょっとした面倒くささに触れながら、人生を変える書く体験のあり方、考え方について真剣に触れた書籍であると思います。
著者は、この本で取り扱う文章の領域を定義するところから始めます。
ずばりそれが「随筆」です。
なかなか日常生活で「随筆」という言葉自体を目にしたり耳にしたりすることはまれですが、でも実は、ネットに溢れる言葉や文章はほとんどが随筆なのです。
なぜなら、随筆とは、事象との出会いの中で、自分の心に芽生えた思いを、文章とした形に残したものなのです。
「今日は、夕焼け時に、素敵な雲の形を見た。あれはカレーパンのような形であった。」
これも、随筆と言えば随筆でしょう。
書くことのその前に、愛と敬意が大切だ。
愛と敬意。これが文章の中心にあれば、あなたが書くものには意味がある。
その6 感動が中心になければ書く意味がない
愛と敬意を持てるかどうか、は、入念な下調べが重要です。
あなたがなんでもいい事象に出会ったとします。これについて一次資料をきちんとあたり、その事象について極めて丁寧に事実の文章を重ねていく、そして、語りきれない心の機微を最後に少し積みたすこと、これが文章を書くということだと著者はいいます。
この心の機微や事象への気づきは、他の誰もまだ文章にしていないことを確認するのも、愛と敬意の現れとなります。
「わたしが言いたいことを書いている人がいない。じゃあ、自分が書くしかない」読み手として読みたいものを書くというのは、ここが出発点なのだ。
その2 だれかがもう書いているなら読み手でいよう
他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きること、が文章を生む原動力になります。
自分の感性を信じて、事象との出会いでうまれた心の機微を大切にする気持ちを持っていたいものです。
極めて大切な心構えは、「文章とは自分の表現をする場だ」という考え方は、ライターというフィールドでは仕事をすることができません。
自分の思いの発露は主体ではなく、あくまで、自分の外側にある事象が主体なのです。それでもおさまりきらない想いが少し乗ってしまう、それが文章です。
そういえば、「【人生のコンパス持ってますか!?】Dark Horse|T・ローズ他」の投稿でも触れたのですが、このしつこいくらいに事象の輪郭を確認する行為は、ある種の「変態」だと思います。
「変態とは目を閉じて花びんの形を両手で確かめるように、自分の欲望の輪郭をなぞり、その正確な形をつきとめた人たちのことである」
僕らの仮説が世界を作る――自分の「好き嫌い」を把握しているか
「変態」と形容すると、ちょっとアレですけど。でも、そこまでできるか!?が、文章を生み出すスタートラインに立てるか、どうかなのでしょう。
「変態」と背中合わせかもしれない、「趣味」について、本書の著者、田中氏は、次のように語ります。
「手段が目的にすりかわったこと」趣味とは、倒錯であるともいえる。
その4 定義をはっきりさせよう
ライターを生業にするときには、自分自身をその地点にまで持っていける、感動や執着心がなければならないという裏返しかもしれないです。
自分の読みたいことを、書けばいい。
だれもまだ知らない景色を、知らない言葉を、見つければよいのだ。その一瞬だけは、世界の寂しさに勝てる。
おわりに いつ書くのか。どこで書くのか。
人は、本質的にはみんな孤独で、ひとりぼっちです。でも、孤独の中でしか心象に深く向き合うことはできません。その現れを書くことは、孤独の極みに違いないものですが、熱中の中で、孤独を忘れられる瞬間であるのかもしれません。
まとめ
- ネットで読まれている文章の9割は「随筆」である。――たとえばネットで書かれる多くの文章は、ある事象との出会いで生まれた心象を綴られたものであり、それは「随筆」です。
- 書くことのその前に、愛と敬意が大切だ。――「随筆」を書くためには、入念な下調べがなくてはいけません。徹底的に一次資料を当たり、その経緯・経過も含めて文章にしていく中で、織り込めなかった自分の心象を最後に、積み上げる行為が文章を書くということです。
- 自分の読みたいことを、書けばいい。――事象の輪郭を追求していき、自分の読みたい欲求に答える行為こそが文章を書くということであり、その瞬間は、寂しさを少し紛らわせてくれるかもしれません。
文章を書くという行為から、生き方を透かしてみることができる本だと思います。私たちは、言葉という自分の心を映す道具を持っているのだという奇跡を大切に、事象との出会いを楽しんでみたい気持ちになります。