- 一見、ものや仕事に充実しているけれど、心が追いついていかないことはありませんか?
- そんなときには、「禅的」マインドにならうことがいいかもしれません。
- なぜなら、「禅」は足るを知る中で、自分の中の心を見つめる時間を志向するからです。
- 本書は、シブヤ大学での先生でもおなじみ金嶽宗信さんによる入門書です。
- 本書と向き合う中で、自分の中の仏様と出会うきっかけをいただけるかもしれません。
「禅」が目指すものとは!?
生まれた時を想像してみましょう。私たちは何も持たず、思想もほとんどない、状態でした。
人は、本来、何も持たないのです。しかし、成長するに従って、社会の中で生きていく過程において、いろいろなモノや考え方を身に着けていきます。禅の考え方からすると、これら身につけてきたものは、ちりやほこりと捉えます。
偏った見方というのは、本質から私たちを遠ざけます。
そんなちりやほこりを払っていく作業が必要になります。それこそが、「禅」の考え方です。
現代人は、「禅」とのかかわりが薄くなっている
「私」という漢字をよく見ると、「仏」という文字が隠れているのがわかります。
実は、「仏」様は、「私」という自分の中に隠れているのです。
現代人は、「禅」とのかかわりが薄くなっている
「本来無一物」とは!?
この言葉は、自分が所有するものは本来、何一つないという意味です。
この体でせ、自分のものではなく、借りものなのです。死んでしまえば、体も持ち歩くことはできません。この人間が持っている、いちばんすばらしい道具のありがたさを、私たちはついつい忘れてしまいがちです。ぜひ、日々この体をいつくしみ、丁寧に扱って、大切につかっていきたいものです。
極力、ものを買わないための知恵
当たり前のありがたみに気づくためには、一定の制約を与えることが大切だと、金嶽宗信さんはいいます。本当に自由であることは、反対に自由を感じられにくい状況にあるとも捉えれます。
金嶽宗信さんは、若いころ、修行がお休みのほんのひととき、鴨川でお昼寝をすることが、自由を感じられたといいます。そんなささいな時間の中にも、自由や、幸福のヒントが隠されていることに敏感になるには、一定の制約が必要です。
制約のヒントとして、モノを持ちすぎないことがあります。
私たちは、多くのものを持ちすぎています。1年に1回も着ない服、履かない靴、読まない本、などなど、本当に必要なものだけを手元に残してあとは潔く手放ししてしまうことを考えてみましょう。
バロメータとして、ぜひ自宅の玄関を見てみましょう。靴がそのまま脱がれていませんか。そうした状況は、禅的にはおすすめできないといいます。必ず脱いだ靴は、下足に入れて、玄関を整えておくことが大切なのだそう。
禅には、「脚下照顧」という言葉があり、これは「足元を見なさい」という意味です。それだけ、足元を整えておくことって大切なんですね。また、そもそも「玄関」という言葉も、「玄妙なる関門」という意味があり、仏道への入り口・悟りへの関門を示しているといいます。社会との繋がりを持つ場が汚れていたり、乱れていたりしたら、なんだか寂しいですね。
私も、整理整頓して、掃き清める工夫をしてみたいとおもいます。
結局、「幸せ」はどこにあるか!?
幸せは、自分の中にあることを、知ることです。
誰かや、他のモノや、環境が与えてくれることではありません。いま、ここに、あることに感謝すること、あるいは、もっというとできること自体が幸せなのである、と信じることができるか、に幸せのヒントがあります。
自分の中の幸せに気づくため、以下のような生活の工夫をしてみましょう。
1.「所有とは、すなわち執着である」と考える
モノを持つこと自体が執着となり、執着が増えれば増えるほど、モノゴトの本質を見る目が曇ります。
2.「物がある」のが当たり前だと思わない
あって当たり前だと思うことから、見直してみることがポイントです。
3.持たない工夫を楽しむ
物がなくても何かで代用したり、工夫したりすることを楽しむこともポイントです。
禅とは修行ではなく、「生活そのもの」
禅とは修行ではなく、「生活そのもの」
生活の中で、自問自答を繰り返していく体質を身につけることが、大切です。
これは自分にとって、どうしても必要なものか、それとも、なくても生活できるものなのか。それを突き詰めていくのが禅でもあるのです。この自問自答を繰り返していくことで、少しずつもの(ごと)を手放していくことができるようになります。
禅の思想を学ぶにはこちらの1冊もおすすめです。「【ラクがいちばん!】考えすぎない生き方1|藤田一照」ぜひご拝読ください!
まとめ
- 「禅」が目指すものとは!?――私の中に、仏様があることに、気づくことです。
- 「本来無一物」とは!?――もともと私たちは、何も持っていないのです。そして、持てないのです。
- 結局、「幸せ」はどこにあるか!?――いま、ここにあることに気づくことです。