- よりよく生きていくためには、どんなアプローチが必要でしょうか。
- 実は、中庸を知ることかも。
- なぜなら、ものごとの本質をそこに見出すことができるからです。
- 本書は、バランスの良さという哲学を知る1冊です。
- 本書を通じて、自分の生き方にフィードバックを得ることができます。
中庸とは!?
ミシェル・ド・モンテーニュ(Michel de Montaigne, 1533-1592)は、フランスのルネサンス期の哲学者であり、エッセイストです。彼は特に『エセー(Essais)』という著作で知られ、これは個人的な経験や観察に基づく随筆集です。彼のエッセーは多岐にわたるテーマを扱っており、哲学、政治、宗教、人間の心理、道徳などに関する深い考察が含まれています。モンテーニュの作品は、現代でも広く読まれ、評価されています。
モンテーニュの卓越した洞察は、私たちが抱える問題、「多様性」「知識(情報)」について、多くの考えるヒントを提供してくれます。
「多様性と言うなら、自分が一番多様(定めがない)じゃないか?」
「知識に使われるな!知識を活かせないなら、そんなもの捨ててしまおう」
こんな具合です。
また、彼は、「中庸」であることに意義を見出しました。
「断定はしない。ただ、わたしはそう思うだけだ」
「徳は断崖絶壁の頂きに据えるものじゃない」
「60歳でも学生のような姿勢でいたい」
などの言葉からも感じることができます。これらの言葉からは彼の品格を感じることもできます。
そもそも中庸とはなんでしょうか!?
「中庸(ちゅうよう)」は、極端に偏らずにバランスの取れた状態を意味する概念であり、古代ギリシャや中国の哲学において重要な位置を占めます。
ギリシャ哲学における中庸:
- アリストテレス: アリストテレスの倫理学において中庸(メソテス、mesotes)は徳の概念と密接に関係しています。彼は『ニコマコス倫理学』で、徳は過剰や不足を避けた中間の状態であると説いています。例えば、勇気は臆病(不足)と無謀(過剰)の中間に位置する徳です。
中国哲学における中庸:
- 儒教: 儒教の教えでは「中庸」は重要な概念で、『中庸』という書物もあります。孔子の孫である子思によって書かれたとされるこの書物では、過度に偏らず、調和の取れた生き方をすることが理想とされています。中庸は、自己と他者、個人と社会の間のバランスを保つことを重視します。
中庸の例:
- 感情の中庸: 怒りや悲しみなどの感情を極端に表すのではなく、適度に表現すること。
- 行動の中庸: 勇敢であるが無謀ではなく、慎重であるが臆病ではない行動をとること。
- 生活の中庸: 過度な贅沢や浪費を避け、質素でありながらも充実した生活を送ること。
中庸の概念は、バランスの取れた生き方や思考を促し、極端な行動や考え方を避けることで、個人や社会の調和を図ることを目的としています。
どうした視点にバランスを見出すか?ということが中庸においては、トピックスになります。そうした時にモンテーニュは、1日という単位や、全体と個別、善悪という視点において、いかに中庸を見出すのかを、多くの言葉を通じて、私たちに語りかけてくれます。
モンテーニュが語る言葉は、とても身近なものです。
きっと、モンテーニュが記述する数々の姿を、あなた自身にも見いだせることでしょう。
はじめに
自分自身と世界の関係性をモンテーニュは繰り返し問うてくれます。
人生は旅!?
人生を旅のように生きてみるとどうなるか、考えてみましょう。
予定通りの人生をあなたは羨ましく思うでしょうか。予期せぬ出来事が人生にはつきものです。そして、予期せぬ出来事が起こった時に、うろたえて、ただひたすらに不安になるのではなく、むしろそれを前提として、楽しんでみることも大切です。
あるいは、目標を見出して、そこにいち早く行くことに邁進することに充実はあるのでしょうか。味わい深い人生というのは、そうした目標到達の速さによらないのかも知れません。
そうした観点で見ていった時に、「旅」というのは、まさに人生に当てはまります。1日1日をしっかり無理なく歩み、そして道端にさいている花に気を取られたり、突如として訪れた景色に息を呑んだり、一人ひとりとの出会いを大切にしてみたり、人生は旅なのです。
どんな1日であってもわたしは満足する。人生というは、1日1日の連続なのだ。
032 旅のように生きていこう
彼のモットーは、ゆっくり急ぐことです。「思い立ったが吉日」とはいいますが、何も早いことだけがいいことではありません。なかなか腰が上がらなくてもOK。ただし、一度始めたことは、粘り強く継続していくことが大切です。
ペースは自分の身体が知っています。遅かろうが、早かろうが、誰かのペースに合わせる必要は決してありません。自分のペースをまず知り、自分の歩みを続けていきましょう。
そうしたペースを維持しながら、学びを続けていくことが大切です。どんな年齢になったとしても、まるで子どものように興味関心を強く持ち、広く深い学びを続けてみましょう。
生きるとは行動することだよ。経験することだよ。
048 教育の目的は行動する人間を作り上げることだ
本当の学びは、絶え間ない行動によって起きます。自分の気の赴くままに、新しいものごとに触れて、そのことから考えるきっかけや感じるヒントをたぐりよせてみましょう。
1日という単位を生きる!?
1日1日には、そもそも善悪はありません。ただ、あなたの行動によって、1日1日が善にもなるし、悪にもなりうるということを知りましょう。
「昨日より今日、今日より明日」のような無謀な希望にすがらないことだ。たとえ、日々の内容に違いがあったとしても、1日はほかのすべての日と同等なのだ。
049 今日に満足する
今日に満足をするように生きるということです。
そこには、善悪の判断もあるし、あるいは、そのための行動が詰まっている必要がありそうです。1日1日の確実な積み重ねが、あなたをよりよい方向へ連れて行くのかも知れないと、モンテーニュは語りたいのだと思います。まずは、1日を生ききる。そのうえで、明日が見えてくるものだろうと・・
今日に満足してみましょう。今日が満足するものになれば、おのずと明日もまた満足いくものになります。
全体最適と言われることもあります。全体最適は確かに重要です。そして、全体を俯瞰して見ることで、組織全体をより良い状態へと導くことができます。しかしモンテーニュは、「本当に全体など見ることができるのか?」と問います。
わたしは、どのようなものでも全体を見て取ることなどできない。
111 全体なんて見ることはできない
わたしたちは、全体の一部にしか結局触れることができないからです。全体を見ている!という感覚を持つことはできても、もしかしたら幻想かもしれません。そうした事実を知っているか、実感しているかが、重要なのだと思います。人間というのは、小さな生き物であり、全体など到底俯瞰することはできない。
ただ、だからといって、それを諦めることは違うのではないんじゃないか・・中庸に重きを置くモンテーニュであれば、きっとそうアプローチするはずです。
大切なのは、全体を知ったつもりにならないこと。1つ1つの細部に直接触れることで、全体を想像して立ち居振る舞いを決めることは決して悪いことではないのではないか、と思います。
そこでわたしは、全体の一部分を取り出し、触れるだけではなく、舐めてみたり噛んでみたりする。あるいは、触れる角度を変えてみたりする。またあるときは、その部分の骨を感じるくらいまで深くついてみる。判断とは、広く見ることではなく、深く見ることで可能になる。きみもやってみたらいい。
111 全体なんてみることはできない
モンテーニュの思想に触れるたび、禅の哲学に触れたような気分になります。この機会にぜひ禅の考え方についても触れてみるのはいかがでしょうか!?こちらの1冊「【持たないことで、持つことになる!?】[持たない]|枡野俊明」がたいへんおすすめです。
まとめ
- 中庸とは!?――正しくバランスを取った状態です。
- 人生は旅!?――旅のように生き、自らのバランス感覚を養いましょう。
- 1日という単位を生きる!?――1日を満足に生ききることが、結果的に明日に繋がります。