【ほんと!?】何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造|太田肇

何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造
  • 何が、経済ややりがいのスタックの原因でしょうか!?
  • 実は、「何もしないほうが得である」と思っているマインドセットと仕組みかも。
  • なぜなら、これは、著しい社会的損失だからです。
  • 本書は、現代社会の病を説く1冊です。
  • 本書を通じて、この日本に巣くう闇にふれることができます。

何もしないほうが得!?

会社も、学校も、地域も、さらには、社会全体が、「何もしないほうが得」な構造になっていると、著者・太田肇さんは説きます。

問題は、それが組織や社会にとって望ましくないばかりか、「得」だと思っている個人にとっても長い目で見れば「得」でないことである。

第4章 「消極的利己主義」はなぜまん延したか?

原因は、日本の組織や社会が、一種の共同体の特徴を強く持っていたことにあります。日本の組織のメンバーの入れ替えは少ないのが一般的です。同じ人と顔を突き合わせて働いたり、学んだりし続けます。少しずつ流動化しているとは言え、まだまだプロパーで入った会社に「勤めあげる」カルチャーというのは、色濃いでしょう。制度の面でも、文化の面でも、組織の内外との間には分厚い壁が築かれています。

閉鎖的・同質的な組織は「ゼロサム」=限られたパイを分け合う(時として、奪い合う)関係を助長させます。そして、メンバーの入れ替えが少ない結果、同質性が高い組織であればあるほど、同じようなものごとの考え方をしながら、互いにやり取りをします。

限られた地位や報酬は、誰かが得をすると、誰かが損をさせます。そのために互いに牽制をしあい、「出る杭」は打たれます。

結果的にメンバー間で大きな差をつけない、一種の平等主義になります。こうした暗黙的な平等主義は、同じよな価値観とカルチャーにどっぷりと浸っている人たちの間で、脈々と続いていきます。

そして一人ひとりが、自分の利益に直接影響が及ばない限り、組織や社会が将来どうなるか、といったことが眼中になくなります。

原因は、公の不正利用!?

実は、こうしたことがまかり通るのが、「私より公を優先する」という組織の原則を逆手に取って、個人の利益を巧みに追求する者が現れていることによります。

例えば、次のようなケースを見てみましょう。

家族のための誕生日を計画している時、その日に大事な社内の会議が開かれることになりました。会議はいつも夜まで続くので、会議に出れば、誕生日パーティには出席が難しくなってしまいます。本当であれば、会議を正しい手段で延期、あるいは、早めに開催することを提案するのですが、日本では仕事を優先するという暗黙の規範があるので、そうすることも難しい状況です。そこで、意図的に仕事を遅らせることを思いつきます。必要な資料が間に合わない状況を作ってみたり、メンバーが揃わない状況を作ってみたり、画策します。こうした事情をしらない他の人は、「公の利」を優先しているという見立てにより、素直に、応じます。

このような策略はしばしば行われると言います。たった一人のプライベートの用事だけで、会社全体の業務が被害を受ける可能性もないとは言えません。

こうした、暗黙の不文律が、圧力となり、利己的な消極主義を生みだしている土台となっています。

「公」の名を借りた「私」の暴走は、規律やモラルのブレーキをたやすく外してしまう。

第4章 「消極的利己主義」はなぜまん延したか?

日本でも当然、あからさまな個人プレーや周囲に危害を加えるような積極的な機会主義に対しては、明確な手が打たれます。しかしながら、消極的な機会主義、たとえば、正義の名を借りた不作為や、見て見ぬふり、力の出し惜しみ、手抜きなどは、残念ながら目に見えないため摘発されないのが現状なのです。

「個人は組織の利益に反する利己的な行動をとらない」という性善説が前提であるため、「何もしない」のは能力不足や状況が原因で、しようと思ってもできないからだと、多くの場合、ポジティブな側面をすくうように捉えられます。

オープンへ!?

いかに、「するほうが得」な仕組みへシフトすることができるでしょうか。

そのためには、1つ重要な視点があります。

クローズドの組織を、オープンにすることです。

閉ざされた共同体のなかにおける部分最適ではなく、外の世界を視野に入れた全体最適を追求するのである。

第5章 「するほうが得」なしくみへ

判断基準の時間軸を伸ばし、短期的な利害だけでなく、長期的な利害も視野にいれることを意味します。対外的なコミュニケーションや取り組みを増やすことで、中長期的にさまざまなメリットを享受することが可能になります。

個人は所属組織の外の世界に接点を持ちながら、所属組織に対しては、ある意味で功利的、限定的に欠かわrうことが前提になります。本来的な健全性を取り戻すのです。一人ひとりの構成員は、組織内外の条件を天秤にかけながら、内部にとどまるか退出するかを決めていきます。当然、それは、所属という恒久的な単位ではかられることもあるとすれば、あるいは、ジョブという単位で優先順位が吟味されることもあるでしょう。

つまり、組織と所属する個人との間でつねに良い緊張状態が育まれるのです。

組織をオープンにする方法としては、上記のような既存の所属人員に、新しいプロジェクトを推奨するとか、あるいは副業・複業を奨励するとか、そうした取組がある他、アルムナイや外部スペシャリストへのBPOなども視野に検討することが望ましいです。

いずれにしても大切なのは、これまでのなれ合いの組織に風穴を開けて、健全な協力関係を引き出すことが大切です。そこには常にいい意味での緊張感が生まれて、そのことで、最終的には生産性が向上することも考えられます。

確かにすこし厳しい組織にはなりますが、本来生きるということは、一定の厳しさの上にあり、それを楽しむことが求められているようにも思えます。そうした野生を取り戻しながら、反対に今あることへのありがたみを感じながら、生きるほうが、よりよい人生を掴むことになるのではないでしょうか。

オープンという一つの考え方に「半身」が参考になるかも。こちらの1冊「【「半身」で生きよう!?】なぜ働いていると本が読めなくなるのか|三宅香帆」もぜひご拝読下さい。おすすめです。

まとめ

  • 何もしないほうが得!?――消極的利己主義がまん延する社会であることに気づきましょう。
  • 原因は、公の不正利用!?――暗黙の不文律を巧みに利用してしまう人の性に気づきましょう。
  • オープンへ!?――消極的利己主義の対策には、組織をオープンにすることが効果的です。
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