【考えるとは何か?】はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内|野矢茂樹,植田真

はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内
  • 考えるとは、何でしょうか!?
  • 実は、見えているものを見ているだけでは、考えることはできません。
  • なぜなら、考えるとは、余白の運動です。
  • 本書は、考えるについて考える哲学者・野矢茂樹さんによる1冊です。
  • 本書を通じて、考えることの解像度をあげることができるかもしれません。
野矢茂樹,植田真
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考えるとはなにか!?

考えるということは、そうした活動が明確にあるわけではないのです。だから、歩くとか、乗るとか、食べるとか、そうした目に見える活動とは異なり、何かをしている様として見えません。だからすこし捉えづらいものです。

何もしていなくても、考えていることになるし、なにかしていても、考えることにならないかもしれない、そうした活動が、考えるです。

ただ、問題をかかえ、ヘウレーカの呼び声に耳を澄ますことと、研ぎ澄ますこと。

何をしたっていい

古代ギリシアでアルキメデスは、重さと体積の関係を入浴中に見つけて、「エウレカ」を2回叫んだと言います。アルキメデスは、ヒエロン2世によって提起された、複雑な形状の王冠の純度を計測するという問題を常に抱えていました。そうした問題を抱えている状況が、浴槽のこぼれ落ちる湯を別の角度から見せたのです。

普段のものごとが今までになかった関係で結びつき始めること、この観察にこそ、考えるについて考えるヒントがあります。

考えるということ、それは余白の運動です。

表紙

感覚を研ぎ澄ませている時を、考えると捉えることができそうです。何らかの問題や課題を抱えながら、普段の生活の中で、無意識のうちにヒントを探している状態、これを考えると定義してみましょう。

他の声に耳をかさず、すべてをその問題に関連させて、「これだ!(エウレカ)」という声を待つ。そういうときに、考えるという言葉がフィットしそうです。

耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと、考えること。

考えている人は、他の人と同じように生活をしています。いろんなことをして、いろんなものを見て、いろんなことを感じて、いろんな思いがよぎります。ただ1つ異なるのは、「あ、これだ!」という声にその人は耳を澄ましているという点です。

問いの重要性とは!?

私たちが、考えるためには、問いを持っている必要があります。王冠の純度、万有引力の法則、なんらかの問いが日常を考える行為に導きます。

ぼくたちはまず問いを問わなければならない。

問いの逆説

問いは、どのように見つけられるのでしょうか。

学校の勉強を想定してみましょう。先生が問題を作れるのは、それは、答えを知っているからです。答えを知っていて、その導き方を知っているから、そこに向かう問題を作ることができます。そうではなくて、答えを知らないで、答えの方向もわからないの場合は、うまく問題が立てられません。もちろん、うまく答えることもできません。

では、どうやって、私たちは答えのない問題について、問いを立てることができるのでしょうか。

実は、問いが生まれるまで非常に長い時間がかかっています。それは、なぜか、実は規格外が認められるから、問いが生まれるのです。例えば、惑星は「通常」円運動をする状態が知られている場合に、そうでない惑星が観察されたときに、なぜあの惑星は規格から外れてそうした運動をしているのだろう?という問いに繋がります。

問いとは、このように、長い観測の結果見出された規格に対して、外れたものが出現した時に、鋭利に生まれてくるものなのです。だから、規格がなければならず、その規格が生まれるまで膨大な時間がかけられています。

君たちはどう生きるか』という本が、時代を超えて読みつがれています。1937年が初版でいまも、メディアフォーマットを変えながら多くの人の考えるに触れています。時代の転換点にあって、それまでとは異なる生き方を模索しなくてはならなくなった人々が、なぜそれが必要になったのだろう、あるいは、なぜこうした社会になってしまったのだろうと、これまで長きに渡って積み重ねられてきた人間がいかに生きるかということを、問う作品です。

普遍的な思考の作品とも言えますが、これも長い時間がかけられた状態と、それから逸脱することが必要になっている社会や生き方といった型破りにより、問いが見出されていると捉えることもできるでしょう。

問題の発生はそれを問題たらしめる秩序がそこに見てとらえていることと結びついている。そして、その秩序を破るものとして問題は現われ、ひとは破られた秩序を取り戻そうとして問題にむかっていく。だから、完全な秩序のうちに生きているのでもなく、さりとて秩序を求めずに生きることもできはしないぼくたちの前に、たえず問題は現れてくる。

私たちが、学校などで学ぶことは、問題に対する答えや知識や技術をみにつけるという意味合いもとても大きいですが、本当に大切なのは、人がこれまでの歴史の中で見出してきた秩序や道筋を学ぶことにあります。そのことによって、私たちは「型」を知り、型破りなものを見つけやすくなります。

学べば学ぶほど、見えてくる問題は増えるというわけだ。

学べば学ぶほど、問題は増える

型を学んだならば、型やぶりも見えなくてはいけません。自分を枠組みにはめることを学んだのならば、その枠から自分を外す力も身に着けなくてはなりません。専門家ほど深く鋭い問いを問うことができるのは、そういうことにあるのです。

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学べば学ぶほど、問いが増える!?

無知や無秩序から問題が生じるんじゃないということ。むしろまったく無知だったり無秩序だったりしたら問題は生まれようもない。

なぜ夜空に星が輝くのか

いろいろな知識を持ち、いろいろな理論を引き出せるからこそ、問題は生じます。学べば学ぶほど、型を知り、身につけることができ、だからこそ、より多くの問いを持つことができます。だから、型を学ぶ必要があるのです。一度、自分をこれまで人が見出してきた型にはめて見てみることが大切です。そこから見ていく中で、型にはまらない思想や考え方が見つけられた時に、自分の考え方や考えに少し触れることができるのかもしれません。

だから、自分について考えるときもまったく同じでしょう。

自分を一度、型にとことんはめてみる。でも、ハマりきらない部分が必ず現れる。そうして、そのはまらない部分に耳を澄ませて、目を凝らしていく中で、自分の生き方という問いが立てられていくのです。

まとめ

  • 考えるとはなにか!?――問いを持ち、耳を澄ましながら日常を送ることです。
  • 問いの重要性とは!?――問いが先立たなくては、考えるは生まれません。
  • 学べば学ぶほど、問いが増える!?――型を知らなくては、問いが生まれません。
野矢茂樹,植田真
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