【人間の意味があるところ!?】本はどう読むか|清水幾太郎

本はどう読むか
  • 1冊の本と、どうつきあえば良いでしょうか!?
  • 実は、読み通したり、一字一句読まなくてはならない!というのは単なる「常識」かも。
  • なぜなら、本もある意味、出会いだからです。
  • 本書は、本との付き合い方と、生き方に関する1冊です。
  • 本書を通じて、自分の読書スタイルに新しい視点を得ることができます。
清水幾太郎
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人間が人間たるためには!?

人生の問題の大部分は職業に関する問題です。職業は、社会における人間の役割のことです。職業を通じて、人間は社会とのかかわり合いを積極的に行うことができます。

もしくは、社会との関係を積極的に持とう!と決意することで、人生の意味が規定されます。

人間の意味は、人間の内部に存在するものではない。二メートルに足りない伸長を持ち、一世紀に満たぬ寿命しか与えられていない人間、食料や飲料を絶えず摂取せねば、また、見苦しい大小便を絶えず排泄せねば生きていられぬ人間、そんな人間を逆さに振るったところで、貴い意味が転がり出て来るものではない。

2――教養のための読書

意味が、内在しないということは・・・、意味というのは、外にあるということです。

人間の意味はいつも外部にあります。もっというと、人間の意味は社会との関係の中にあるのです。

個性も大切であろう。独創性も大切であろう。けれども、それは、個性や独創性が社会の中で或る優れた働きを営み、或る客観的な成果を生んだ場合のことで、人間の内部に眠っている個性や独創性というのは、吹けば飛ぶようなものである。

2――教養のための読書

社会との関係性こそが、人間をかろうじて形作っていることについては、こちらの1冊「【本当のあなたの「個性」はどこにある!?】私とは何か「個人」から「分人」へ|平野啓一郎」も大変刺激的です。ぜひご覧ください。

社会との関わりを積極的に持たずして、人の意味や個性は、論じられないということなのです。

文字の限界について!?

文字は、記号です。現実を非常に簡略化してまとめたものです。だから、文字=現実ではないのです。当たり前ですが。

記号と現実とは違う

6――マスコミ時代の読書

清水幾太郎さんは文字の限界を次のように語ってくれます。

  • 1)水という文字を見ても、これを飲むことはできない。そのかわり「富士山」という文字を紙にかけば、ポケットに入れることができる。
  • 2)花という文字は、本物の花に似たところはない。植物のある部分を花という言葉で指示するという約束によるものである。
  • 3)水や花は、まだ頼りがいがある方で、真理とか、実在とかいう抽象的な言葉になると、もっと頼りなくなる。
  • 4)教養書を読むということは、多くの場合、対応する実物が見当たらない言葉をひとつひとつ辿っていくことである。その意味をひとつひとつ自分で――しかし、客観性を見失わないように――規定し、生命を生みこみながら先へ進んでいくことである。

過去の投稿「【答えのない問いを目指そう!?】知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代~|田坂広志」でも「知識」と「知恵」について、あざやかに田坂広志さんは対比構造を作ってくれました。

「知識」・・「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。
「知恵」・・「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。

本で単に知識を得たからと言っても、人生を切り拓く知恵にはなりえないのです。大切なのは、実際に行動をして、経験をしてみて、自分で現実を体験し、そこから学ぶ姿勢です。

本は絶対ではありませんが、この体験を擬似的にもたらしてくれる効果はあります。文字=現実では意識を忘れずに、本(文字)と向き合いましょう。

清水幾太郎
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本の読み方とは!?

本は、軽やかに読めば大丈夫です!と、説いたのはこちらの投稿「【本は風のように読め!?】乱読のセレンディピティ|外山滋比古」の1冊でした。

今回取り上げさせていただいている本書も、同様の見解を説いてくれています。

第一に、読み始めた以上は最後の頁まで読み通さなければならぬ、と考えるのも、一種のケチである。

4――本とどうつきあうか

本は、全部読まないと意味が伝わらないかというとそういうこともありません。

我慢を重ねても、内容は入ってきません。さらに、面白くない本を読むことほど苦痛なこともないでしょう。そうした本は、少なくとも現在は、縁のない本であることにほかなりません。精神衛生にとって良くない可能性もあるので、寝かせることが大切でしょう。

たとえ、相手が有名な書物であっても一字一句噛み締めて読まなくても良いかもしれません。著者は、頭に飛び交う言葉を本という形で定着しているだけで、そのリズムを感じることがむしろ、読むという行為なのかもしれません。単純に文字という媒体に落とし込められているだけで、本当の思考はもっと流れている。あるいは風のように吹いている・・そういう感覚に接続することを目指してみても良いのかも。

読書というのは、この「観念の急流」に乗ることである。

4――本とどうつきあうか

「観念の急流」を感じ、波に乗るサーフィン、それが本を読むということなのかもしれません。自ら波を起こしているわけではないので、疑似体験そのものですね。

まとめ

  • 人間が人間たるためには!?――職業を通じて積極的に社会と関わることです。
  • 文字の限界について!?――文字は抽象的観念なので、現実ではありません。
  • 本の読み方とは!?――「観念の急流」を感じとることです。
清水幾太郎
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