【本当のあなたの「個性」はどこにある!?】私とは何か「個人」から「分人」へ|平野啓一郎

私とは何か 「個人」から「分人」へ
  • いろいろな私を使い分けて生きている感覚を持っているでしょうか。私は必ずしも一つではないという意識を持つ人は少なくないはずです。
  • 実は、「分人」という概念で捉えると、ひとりひとりやその集まりである社会を考えるヒントになります。
  • なぜなら、実態は確固たる一つの人格をもった「個人」ではなく、コミュニケーションごとに生成される「分人」のいくつかで構成されているのが私たちだからです。
  • 本書は、小説家 平野啓一郎さんが、著作『ドーン』で提唱した「分人」について詳細を記載しています。
  • 本書を通じて、本当のわたしのあり方について触れられるでしょう。

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「個人」とは!?

「個人」という概念が、輸入されたのは、明治期だそうです。

それまで、「個人」という概念を持たなかった日本人にとって、これは捉えがたいものでした。

「individual」は、in(~でない)+dividual(わけられる)。つまり、これ以上分けられない単位を指します。

西洋では、一人ひとりは、確固たるひとつの人格をもった、これ以上分けられない概念で捉えられます。

それはなぜか・・・、

一つは、一神教であるキリスト教の進行である。「誰も、二人の主人に仕えることは出来ない」というのがイエスの教えだった。(中略)
もう一つは、論理学である。椅子と机があるのを思い浮かべてもらいたい。それらはそれぞれ椅子と机とに分けられる。しかし、机は机で、もうそれ以上は分けられず、椅子は椅子で分けられない。つまり、この分けられる最小単位こそが「個体」だというのが、分析好きな西洋人の基本的な考え方である。

第2章 分人とは何か

とのこと。

そういえば、先日、落語を聞きに行きました。

そこで、「太鼓持ち」の話を聞いたのですが、この「太鼓持ち」、客にはとびきり良い顔しておいて、調子いいくせに、慣れ親しんだ女将さんには、客の悪態をつく。

どちらのキャラクターも本人なのに、西洋的「個人」という概念で捉えると、そのさらに深化に、本当の自分がいるはずだ・・という前提になってしまう。

果たして、「太鼓持ち」の本当の人格は存在するものなのでしょうか……。疑問です。

「分人」とは!?

分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである。恋人との分人、両親との分人、職場での分人、趣味の仲間との分人、……それらは、必ずしも同じではない。

まえがき

平野啓一郎さんが、その著作である『ドーン』の中で、見出したのが、この「分人」という考え方だそうです。

私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者と相互作用の中にある。

第2章 分人とは何か

過去の投稿「【ラクがいちばん!】考えすぎない生き方1|藤田一照」で、取り上げた「縁起」を思い出します。

仏教的な考え方も、まさに、人は一人ではなくて、あらゆるものとつながっている、という前提にたちます。

どうやら、私たちの考え方には「分人」という、相手ありきの自分を肯定することの方が、自然のようですね。

「分人」から見える個性と社会とは!?

誰とどうつきあっているからで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。

第2章 分人とは何か

いろんな他者と付き合いのなかで、自分が形成されていく・・というスタンスはどこか、とても前向きなオープンな感じがして、私は好きです。

無理に、「個性」を絞り出さなくても、自然と「分人」がいくつか積層された中で、出てきてしまうものだと考えると少し気が楽になるようです。

結局、教育現場で「個性の尊重」が叫ばれるのは、将来的に、個性と職業とを結びつけなさいという意味である。自分のやりたいことを見つけなさい、努力して夢を実現しなさい。社会に出て、自分のしたい仕事をすることこそが個性的に生きる、という意味だ。自分の個性を発揮するのは、まさにその時である。……

第1章 「本当の自分」はどこにあるか

これは本当なのでしょうか!?という、平野啓一郎さんの投げかけがあります。

平野啓一郎さんご自身も、幼少期に「君は、将来、何になりたいの?」という質問に違和感と嫌悪感を抱いていたようです。そう言われてみれば、私も、幼稚園や小学校で、「将来の夢」を描かなければならないときに、困っていた記憶があります。なぜ、あのとき、同級生たちは、自然に「職業」を描くことができたのだろう……。幼心なりの苦悩がそこに、あったように思います。

私たちには、「職業選択の自由」がある。しかし、それは同時に、「職業選択の義務」でもある。(中略)
そして、この義務を果たさない人間の「個性」を、社会はなかなか承認してくれない。

第1章 「本当の自分」はどこにあるか

1980年代ころから、「個性」が叫ばれる世の中になったそうです。

そして、それは、職業選択の義務を果たすようにとの、一種のプロパガンダのようでもありました。

世界に一つだけの花を歌いながら、私たちは、なかなか見つからないたった1つの個性さがしとの矛盾に蓋をしながら、ありふれた「職業の型」におさまってきたのかもしれません。

私たちは、朝、日が昇って、夕方、日が沈む、という反復的なサイクルを生きながら、身の回りの他者とも、反復的なコミュニケーションを重ねている。
人格とは、その反復を通じて形成される一種のパターンである。

第2章 分人とは何か

勇気の出る言葉です。

私は、常に動いている。だから、動き続けることで、どんどんと私になっていく。

案外、落語に出てくる「太鼓持ち」あるいは、フラフラとその場その場をのびのび生きている「与太郎」くらいのスタンスが、人生には必要なのかもしれないですね。

まとめ

  • 「個人」とは!?――西洋から輸入された概念で、これ以上分けられない「個体」を指します。
  • 「分人」とは!?――対人関係ごとにつくられるさまざまな私のことです。
  • 「分人」から見える個性と社会とは!?――分人の積み重ねが私たちです。さまざまな対人関係の中で、常に分人の構成比率が変化しながら、わたしというのはうつろいでいくものです。

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