【哲学は人生を考えること!?】哲学の先生と人生の話をしよう|國分功一郎

哲学の先生と人生の話をしよう
  • いかにより良く生きるかを考えた時、なにかヒントになる考え方はないでしょうか。
  • ずばり、哲学の考えに触れることがいいかも。
  • なぜなら、哲学とは、なぜ生きるのかについて、何千年の年月も通して考えられ続けてきた地層のようなものだからです。
  • 本書は、東京大学大学院総合文化研究科教授として教鞭をとる哲学者國分功一郎さんによる、メルマガ人生相談の企画をまとめたものです。
  • 本書を通じて、人生に関する悩みと応答の中で、自分を見つめるきっかけを得ることができるでしょう。
國分功一郎
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本書でもしばしば、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』が取り上げられます。ぜひ、過去の投稿「【パンだけでなく、バラのある生活?】暇と退屈の倫理学|國分功一郎」もご覧ください。

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決断とはなんだろうか!?

人生において、分かれ道って、本当にあるんでしょうか。冷静に考えてみると、Aルート or Bルートのようなドラスティックな選択というのはそうそうないかもしれません。というか、それまでの選択の積み重ねが人生であって、実は毎日が人生において選択の連続であるとも捉えられます。

國分功一郎さんによると、決断とは次のようなものだといいます。

人間は意識と無意識の双方で様々に判断や処理を行っています。それらの相互作用の結果、何らかの意味を持ったパターンが立ち現れ、それが決断をもたらすということなのです。

Ⅰ愛、欲望、そして心の穴|失業の救済は知らないが個人の救済は勉強だ!

岐路に立った人間が自由意志で選択するのが決断であるというのは、西洋思想が作り出したステレオタイプのイメージだといいます。常に私たちの選択は意図せざる仕方で行われます。

決断というのはあれこれ計算された結果としてなされるものではなく、意識・無意識も含めて、相互作用の中で結果決まっていくものなのです。

実は、「こうしよう!」とおもって、何かをなすのではなく、「そうなってしまう……」という形で決断されます。こうした視点から自分の人生を眺めてみると、すこし、肩の力が降りるというか、少し無責任になるようになるように、生きていくことも少し肯定できるようであります。

プライドとはなんだろうか!?

プライドは、あっても何の足しにもなりません。むしろ私たちの邪魔をしてきます。

プライドなどは、はっきりいって何の役にも立たない。人間の自由を邪魔するだけのものです。

Ⅰ愛、欲望、そして心の穴|失業の救済は知らないが個人の救済は勉強だ!

プライドが高いということはどういう状態のことでしょうか。冷静に考えてみると・・次のようにも言い表せます。

「プライドが高い」というのは、もちろん、言うまでもなく、「自信がある」の正反対です。自信がない。だから誰かを見下すことで自分のプライドを維持しようとする。

Ⅱプライドと蔑みと結婚と|ダダダダッ、ダッダダ

自分の意志を表すことが、自由だとすれば、本来的な自分として生きられない・・自信がないこともひっくるめて、どういった行動がとれるのか・・を突き詰めていくのが、素敵な道なのかもしれませんね。

國分功一郎さんは、本書の中で、繰り返し「自分に嘘をついて生きていくこと」こそが、本当に辛いことだ、ということを説いています。あるがままの自分を認めてあげることって、根っこなんですね。

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運がいいというのはなんだろうか!?

人間についてはゼロから泉のように思想が生まれてくることはなく、情報の受け皿として、捉えることが、本来的ではないか、ということも國分功一郎さんは言います。

僕の経験では、人間の気持ちとか意気込みというのは、情報が入って理解が深まると変わります。「気持ち」「意気込み」などと言うと、心の底からわき出てくるもののように思われてしまいますが、人間の心にはただ単に、これまで収集した情報が入っているだけです。別に無限の泉でも何でもないんです。

Ⅲ仕事も情熱も相談も|反革命の思想こそがやさしさを…

こうやってとらえてみると、なにか追い立てられるようなものの存在が幻想だったということと、勉強の大切さが、なんとなく想像できます。

いろんな情報に触れて、それを分析・処理し続けていくことが、人生には大切なのかもしれないと思いました。情報には、本やその他のメディアもあるでしょうし、あるいは、自分が体験してみたことも含まれるでしょう。人との出会いもそうです。だから、間口を狭めることなく、さまざまな環境でいろんなものに触れることを進めていくことが、いいのですね。

運がいい人というのは、したがって、大量の情報を無意識のうちに処理・計算しており、日常生活のうちに無数に存在する選択の場面でそれが役立っている。

Ⅱプライドと蔑みと結婚と|ダダダダッ、ダッダダ

運というのは決して、偶然ではない・・反対に見てみると、運が悪い人は、情報をできる限り排除するように生きていて、計算結果を積み上げていないから、無数の選択の場面で有効に立ち居振る舞いをすることができていないと、言えそうです。

本書の中で、國分功一郎さんが常に相談者の「声にならない声」に耳を傾け、また、相談者自身やその周囲の登場人物を「いかにリアルに描写できるか」に注力されていたことが、とても印象的でした。これも、まさに、情報量にふれるところだと思います。情報はその解像度を高めたときに、さらに有用なものにきっとなっていくんだと思います。

たいへんおすすめな1冊です!

まとめ

  • 決断とはなんだろうか!?――意識と無意識のうちに結果的にそうなってしまうのが、決断です。
  • プライドとはなんだろうか!?――全く役に立たず、自由を奪うものです。自信があるの正反対。
  • 運がいいというのはなんだろうか!?――大量の情報を処理・計算し続けていることです。
國分功一郎
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