【禅とは生活そのものである!?】はじめての大拙 鈴木大拙 自然のままに生きていく一〇八の言葉|鈴木大拙,大熊玄

はじめての大拙 鈴木大拙 自然のままに生きていく一〇八の言葉
  • 毎日の暮らしや仕事を見つめるために禅の思想を知りたいけれど、何からはじめればいいのかわからない!
  • そんな方におすすめなのが、本書です。
  • 禅思想の大家、仏教哲学家である、鈴木大拙さんのエッセンスにふれることができます。
  • 本書は、そんな鈴木大拙さんの禅にまつわる言葉を煩悩の数だけ収録した入門書です。
  • 本書を通じて、禅とはなにかについて、視点を得ることができるでしょう。

禅とは、生活そのものである!?

大拙の語る禅は、けっして学問の中にあるのではなく、まさに日常生活の中に生きているのです。

はじめに

禅が、日常生活であるのですが、ここには大切な気付きが必要です。言い換えれば「悟り」と表現されるかもしれません。

そして、これらは、自分で体験する必要があります。自らの身体による直接的な経験、イキイキとした素晴らしい体験の中で、この世界について気づき、視点を得ることができるかが、禅の第一歩なのです。

矛盾を抱えて生きていく、それこそが、生活である!?

苦しいというのは、矛盾から来る。主観と客観との矛盾もあるし、価値観と実在との矛盾もある、苦観は心理的である。

◆068 苦しいという矛盾・考えも、一つのはたらき

「考えずに働け」ということもあるかもしれないですが、人間、たしかに考えずとも働けるし、しかし、残念なことに考えてもしまう生き物です。この矛盾こそが、苦しさの根源なのですが、でも、もしかしたら進歩・進展の力の根源かもしれません。

経営は、現状とビジョンの差分を埋める作業とも捉えられます。ここには、時間軸をまたぐ状態の差があり、そうした中朝的・具体的なことも踏まえて想像できるからこそ、人は発展してきたとも言えるかもしれません。

こうした矛盾の状態があることを認めて、受け入れて付き合っていくことができると、いいのかもしれないですね。

あるがままを受け入れるLet it be・・!?

自分は生まれようといって、生まれたのではない。親が生んだのである。その親も自分で生まれようとして生まれたのではない。いくら系統をさぐっても、自由意志などいうので生まれ出たものは一人もいないのである。みな与えられたものを受け入れるだけである。

◆ 006 自由意志で生まれてきた者なんて、ひとりもいない

そう考えると、あるがままの状況を受け入れながら生きていくことの大切さに気付きます。ないものではなく、あるものに注目して、これを受け入れて進んでいくことがいかに大切なことか、知りましょう。

われわれは自然の恵みによって、人間たる以上誰でも芸術家たることを許されている。

◆032 人間は「生きることの芸術家」である

人間だけが、生きることを芸術することができるはずです。それだけの認知能力を与えられてしまったからです。苦しいこと辛いことの原因にもなりますが、その能力があることによって、芸術をすることができるのが人間です。

”生きることの芸術家”として私たちは、みな生まれている。この事実をもって、自らの意志で突き動かされる状況に自らを置くことが大切です。

「自由」という言葉には、「自」が含まれています。これは、抑圧も牽制もない、「自ら」出てくるのであって、誰かから何か指図があって動くのとは異なるのです。自ら出るがままの働き、これを「自由」といいます。

近代人は、組織の中に、とじこめられることのみに、熱中している。

◆024 組織の中に閉じ込められてしまう人間

芸術家について触れるのが、岡本太郎さんです。岡本太郎さんの言葉は強く、それは日常の生活全てが芸術の実践家として彼の覚悟と強さなのだと思います。ぜひ、これを機会に、岡本太郎さんの言葉に触れてみてください。「【自分の人生を引き受ける覚悟はあるか?】自分の中に毒を持て|岡本太郎

まとめ

  • 禅とは、生活そのものである!?――生活が禅であるという気付きが必要です。
  • 矛盾を抱えて生きていく、それこそが、生活である!?――もともと、人生というのは矛盾だらけで難しいものです。ただ、ここに無条件に距離を置くのではなく、それを包摂していく覚悟が重要です。
  • あるがままを受け入れるLet it be・・!?――生まれながらにして芸術家である私たちを認識しましょう。
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