【連休は好きですか!?】人は2000連休を与えられるとどうなるのか?|上田啓太

人は2000連休を与えられるとどうなるのか?
  • 今年(2022年)の5月の大型連休は、実に大型でした。最長で4月29日~5月8日まで10連休という方も少なくなかったのではないでしょうか。そんななか、休み明けの憂鬱と闘っている人もちらほらいらっしゃるのでは!?なぜ、連休明けは鬱々とした気持ちになるのでしょうか。連休がずっと続いてほしい・・
  • 実は、2,000連休を通じて、人はどんなふうになるのかを身をもって体験した人物がいました。
  • 彼は、上田啓太さん。1984年生まれの京都大学工学部を卒業し、いまではライターとして活躍します。
  • 本書では、上田啓太さんの6年にも及ぶ「連休」生活の中で考えたこと、感じたことが時系列で綴らてていきます。
  • 本書を読み終えると、2,000日という途方もない連休の中で、人はいかに自分と世界との接点を見出していくのかの1つの事例を触れることができます。

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まず、自分の過去を振り返って鬱になる

最近、やたらと昔のことを思い出す。

昔を思い出して鬱になる

仕事をやめて、京都の知人宅へ居候をし、何の予定もない日々が始まった著者は、まず、その自由を謳歌します。

そして、次第に自分の過去を思い出し、自分と向き合う時間が増えていきます。

これまでの自分の人生は何だったのか?
自分は何のために生きていたのか?
自分に夢や目標はあったのか?
それは本当に自分の夢だったのか?
自分は今後どうすればいいのか?
人生についてまじめに考えてこなかったツケが、まとめて回ってきている。今後どうすればいいのか分からない。世界のマニュアルがほしい。自分には、意志というものが欠けている気がする。

昔を思い出して鬱になる

ただただ、壮絶です。

ここまで、苦しむなら、連休というのはないに等しい。そもそも「休む」のは、何か休んでいない状況が有るからこそ、成立するもので、この二項対立を成り立たせる片側がなければ、成り立たないということになりかねないのでしょう。

こうして、どんどん著者は哲学的(自分とはなんなのか?なぜ生きているのか?を問う姿勢)にはまっていきます。

強烈なインプット

私は、自分のかかえる問題を解決したいと思う。しかし、何が問題なのかすら理解することができていない。まずは問題を言語化することからはじめる必要がある。図書館に通いはじめる前の不要な切迫感は薄れてきた。収入は少ないが大喜利の仕事で得られるのだし、ある程度、腰を据えて読書と思考に取り組んだほうがよさそうだ。

図書館に通って本を読む

著者は、必ずしも無職ニートのひきこもりではありませんでした。どこか、過去の投稿「【人の深みはひきこもりが生む!?】ひきこもれ|吉本隆明」で取り上げた、吉本隆明さん的ひきこもりを彷彿とさせます。

ひきこもりには2種類あると思います。ひどい引っ込み思案だったり孤独癖があったりして、どうも世の中とうまく折り合えず、一人でいるのが楽なんだよという人たち。そして、ある限界を超えて病気の範疇に入ってしまっている人たち。

【人の深みはひきこもりが生む!?】ひきこもれ|吉本隆明

この前者のひきこもりです。吉本隆明さんご自身も、どこかひきこもりの気風がある人で、しばしばひきこもり、思想に明け暮れていたそうです。その時、第二の言語という考え方で、自分の内蔵(心)と対話し、価値を見出す言語を使うといいます。まさに、著者の6年間は、この第二の言語に彩られていて、不思議と冷静で痛快な印象を覚えます。

雑誌の大喜利投稿の仕事をしながら、近所の図書館に通い、スタバで読書をするルーティンをこなしながら、この吉本隆明さん的第二の言語を用いて、さまざまなことを考え始めます。

その中で、「自動思考」という概念に出会っています。

『いやな気分よ、さようなら』という認知療法の本を読んだ。かなり分厚い本で、色々と発見があったのだが、とくに大きいのは「自動思考」という言葉を知ったことだった。人間の思考は自分の意思と関係なく自動的に生じていると指摘するもので、言われてみればすさまじく当たり前のことなのだが、これには催眠術が解けたような感覚があった。

図書館に通って本を読む

世の中には考え過ぎて苦しむタイプの人がいたり、そうでなくても、堂々巡りの思考に苦しむ瞬間というのは誰しもあるのではないでしょうか。そうしたネガティブな思考というのは、どうしても生まれてしまうのでそれ自体は仕方ないのだけど、よくあるパターンは、その思考に飛びついてそこからさらに深い方へネガティブを掘り下げてしまう思考の暴走に苦しみの根源はあるようです。

こんなとき、「私は考えている」のではなく、「自動的に展開する思考を私は見ている」に意識を切り替えることが、こうしたネガティブ感情とのよりよい向き合い方となります。

そして、強烈なアウトプット

コンテンツの登録は一段落した。まだまだ作業を続けたい。もう登録できそうなものが残っていない。そして人間を登録することに決めた。考えてみれば、これまでの人生で出会った多くの人々こそが何よりも濃密なコンテンツなのではないか。それは一冊の本よりも、一枚のアルバムよりも、ずっと自分に影響を与えたのではないか。

人間のデータベースを作る

Amazonと連携して読んだ本のデータベースを作れるマックのアプリに影響されて、ひたすら、図書館で読んだ本や、これまで読んできた本を登録することに次第に熱中します。そして、音楽のアルバム、ゲームソフトとその範囲を広げ、ついには、これまで関わってきた人のリストにまで着手します。

強烈な人生のアウトプットを著者は喜々として行い続けます。

こうした過程の中で、これまでの幸福な体験や、苦い思い出をリアルな感情とともに思い出して、まさにパンドラの箱をあけるように、追体験していきます。そしてついに、書ききった時、無我の境地とも言えるような状態にたどり着きます。

作業を終えてしばらくしたある日、朝目覚めると、頭の中が澄み渡るように静かだった。自分には何の問題もなく、世界には何の問題もなく、すべては静寂に包まれており、純粋で澄み切っている。私は普段と同じ京都の家にいるだけだ。それが別世界のように感じられる。これまで世界は分厚い過去の感情に覆われていたらしい。それが一掃されている。視界がクリアだ。

封印していた感情を書き出す

そして、「自動思考」と結びつけて、こんな考えを綴ります。

自動思考という言葉についても考え直した。思考が自動的に展開することが問題なのではなく、展開する思考を情念が支えている状態こそが問題だったのだろう。
また、日常的に浮かんでくる感情を表に出すことを抑制していると、それに比例して、「本当の気持ち」の価値が上昇するのだと気づいた。これは情念の圧迫感を「本当」と解釈しているだけで、書き出してしまうと「本当の気持ち」とも感じなくなる。どちらかと言えば「あるときに自分が感じた気持ち」でしかなく、「本当」とひょうげんするのはおかしいと考えはじめる。口に出せなかった感情を、ただ口に出せなかったという事実ゆえに「真実」と解釈してしまうバグが人間の頭にはあるように思われた。

封印していた感情を書き出す

感情を抑え込んでいると、抑え込んだ事実が、情念となって残り、「本当」の気持ちを残してしまったしこりのように捕らえてつきまとうということなのでしょう。そして、しこりが残ったまま、日々を送るとどこかで不調になる・・。でもそのとき抑え込んだ「本当」の気持ちと言うのはなくて、なんというか、単なるその時の自動にうまれた反射なのでしょう。それにつきまとわれていても仕方がない・・。

著者は、こうして最初の1,000日で心と体の問題にたどり着き、その後は、自分の感覚や世界への見立てなどへ考えを伸ばしていきます。

とても2,000日「休む」というには程遠い、内省とそれに基づく、哲学的な思考に忙しい日々だったのでしょう。日頃、2日とか最長でも2週間とか、「連休」を得ることがありますが、せっかくなので、著者のようにとは言わないにせよ、自分のこれまでや生き方について「休まず」見直してみるのもいいのかもしれませんね。

不思議な同居人の杉村氏と猫の毛玉とのほのぼのとした生活と、著者の激しい思考錯誤がおりかさなって、不思議な印象を得る本です。ぜひ、ゴールデンウィークを体験されたみなさんには、ご一読をおすすめします。

まとめ

  • まず、自分の過去を振り返って鬱になる――これまでの自分を振り返り、陰鬱となる気持ちから著者の「連休」はスタートします。
  • 強烈なインプット――ある時から、図書館に通い活字を読み漁り、日常的に触れているネットの細切れの言葉と一線を画した生活を始めます。
  • そして、強烈なアウトプット――活字に触れ、活性化思考の中で、半生をアウトプットし、そこに蓋をして開けてこなかった情念を見出します。すべて書き出したあとは、無ともいえる状態を体感しました。

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