- 私たちはどのように生きるべきか?が、社会の論点になる今、この問いをあなたはどのように捉えますか?
- ケンブリッジ大学卒の人類学者ティム・インゴルド流「人類学」にふれるとその一端をつかめる気分になります。
- なぜなら、彼の提唱する「人類学」とはそれまでの考え方とは異なり、世界の中に入っていき、人々とともに哲学する学問であるのです。
- 本書では、彼の考える人類学のあり方をその半生を触れながら語られていきます。
- 本書を読み終えると、人類学にもとづく、人、環境、文化への問いにふれることができるでしょう。
人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である。
他者を真剣に受け取ることとは、その論を閉じてしまうことではなくて、彼らの経験によって豊かになった想像力に対して論をひらいていくようなことだからである。
第1章 他者を真剣に受け取ること
人類学者として、人を理解する時に、客観的に知るのではなく、その人と人の間に入っていき、一緒に感じ、考えることをティムは大切にしているようです。
「知識」はモノを固定したり説明したりする時に用いられ、「知恵」は世界の中に飛び込み、そこで起きていることにさらされる危険を冒すことから開かれる、と彼は語ります。
人類学を、単なる学問ではなく、フィールドワークの中で体得されるべき、「知恵」と捉えている点は、人は絶えず変化する環境の一部として、また、変化し続けていくものであるという論旨にも繋がります。
歩くことで道ができていくように、前に行く人たちの足跡を追いつつ、それを壊すようにして歩みながら、私たちは生き方を絶えず即興的につくり出していかねばならない。
第1章 他者を真剣に受け取ること
世界は臨界点に達している。
世界は臨界点に達している証拠は、私たちの身の回りのあらゆるところに見られ、しかも圧倒的である。世界の推定人口は76億人であり―今世紀末までには110億人以上に膨れ上がるとされる―、私たちはかつてないほとたくさんいるし、かつてよりも平均寿命が長くなった。
第1章 他者を真剣に受け取ること
人口が爆発的に増え、多くは都市部で暮らしながら、大地から直に糧をとることをしなくなりました。
一方で、食料を中心としたサプライチェーンの拡大で、森は荒廃し、耕作可能な地帯は、その多くが畑になりました。
地球は一つであり、このままでは、成り立たなくなるのではないか、という論点をようやく人類は真剣に考えるようになりました。
そんな今だからこそ、世界に入っていき、人々ともにする哲学である「人類学」が求められているようにも感じます。
世界はむしろ、絶えず生成しつつある。
世界はむしろ、絶えず生成しつつある。その一部である私たち自身もまた、実際にそうであるように。まさにそうであるがゆえに、常に形成されつつあるこの世界は、不思議さと驚きの涸れざる源泉なのである。
第1章 他者を真剣に受け取ること
20世紀の最も先見的な人類学者であるA・アーヴィング・ハロウェルは、北部中央カナダの先住民族オブジワの首長べレンズと親交を深めました。
ハロウェルは、オブジワ語の文法で、「石」にあたる単語がいのちなき存在ではなく、いのちある存在に対して通常用いられるクラスに属するもののように思えたという観察に促されて、首長と石の話をします。
「私たちが見ている周りのすべての石は生きているのだろうか?」その問いに対して、べレンズは、長い熟考の後、「いいや、でも、生きているものもある」と答えたそうです。
石は、命のないものです。でも、このオブジワの人にとって、必ずしもそうではないのです。
事実と空想の区別の間に、実は真理につながる道があるのではないか、私たちが認知している世界は絶対ではないという見解にティムは立ちます。
まとめ
- 人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である。――ティムの捉える人類学とは、人と人の間に入っていき、体験を通じて「知恵」を感じ、得るそんな学問(哲学)です。
- 世界は臨界点に達している。――地球1つで足りない今、改めて、ティムの唱える人類学のスタンスで、「知恵」を見出すことが求められています。
- 世界はむしろ、絶えず生成しつつある。――世の中を固定的に決めないで、事実と空想の間の次元にこそ、真理につながる道があるのかもしれないという、見方を、人類学を通じてできる可能性があります。
人類学を論文のような文章ではなく、まるで詩を読んでいるかのような、とても哲学的な文章の中で触れることができる一冊だと思います。