わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術|渡邊淳司,ドミニク・チェン他

わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術

これまでのウェルビーイング研究は、欧米の、個人が立ちその充足を考える心理学的なアプローチが中心でしたが、人間を社会的な動物と捉えるならば、集団ひっくるめてウェルビーイングになれる方策を見極めることが重要であると考えます。ですから、個人のウェルビーイングと組織のウェルビーイングを両立していくことを提言します。

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ウェルビーイングに新たな地平を!

ウェルビーイングは、「わたし」が一人でつくりだすものではなく、「わたしたち」が共につくりあうものである。

はじめに

一人でいる限り、個人のウェルビーイングに良いも悪いもない、と本書は説きます。その個人が複数集まった時、何を優先スべきか、ウェルビーイングに関する競争が生じます。ある人のウェルビーイングを満たすために、他の人は犠牲になってもよいのか?

この疑問に答えていくために、新たなアプローチとして東アジアの集産主義的な価値観をあげます。「わたしたち」という個の集合的な総体のウェルビーイングを想定し、そのウェルビーイングを複数の「わたしたち」がつくりあうアプローチの可能性を探ります。

つまり、ウェルビーイングは、「競争」するものではなく、「共創」するものなのであると考えます。

個人と組織のウェルビーイングのバランスをとる!

自分と他者を含めた一人ひとりがどういう状態をよいと感じるのか知ることが、ウェルビーイングに近づく第一歩になります。

「ウェルビーイング」を考えるために

組織全体のことを考えながら個人のウェルビーイングを考えなくてはいけないという状況に直面したことは、誰にでもある経験です。個人を優先していくべきか、組織を優先していくべきか、本書は、両極端な結論を求めることを良しとしません。

大切なのは、組織のウェルビーイングと個人のウェルビーイングの両立を目指すこと。

一人ひとりの組織におけるウェルビーイングとは、「潜在能力を発揮して、意義を感じて、いきいきと活動できている」と感じることです。一方、組織のウェルビーイングは、「組織がその人の潜在能力を発揮し、社会に対して意義を示し、いきいきと活動できている状態」となるでしょう。これらは必ずしも同一ではないという点を意識できるかどうかです。

そのことで、両方のバランスについてはじめて検討することができるのです。それぞれに重要な要因が満たされるように合意形成、組織運営を行うことが重要なのです。

両極端な解を持つことではなく、両者の歩み寄り、あるいは曖昧な解を出すことになると思いますが、それこそ日本人にとって得意なことなのでは?と、読み進める中で思いました。

3つの新たなウェルビーイング要因を考える

ウェルビーイングの実現にとってもっとも大事なことは、目標設定をすることだけではなく、その過程の充実によって持続性を作り出すことなのである。

1・1Individual Wellbeing|「わたし」のウェルビーイング

著者は、個人のウェルビーイングでは議論されてこなかった、新たなウェルビーイングの3つのポイントをあげています。

1.存在論的安心:自分をとりまく環境がたしかに「存在していること」から得られる安心によってウェルビーイングを生み出すもの。接続過剰で、人間が道具化してしまっている社会においては、本当の意味で繋がりを取り戻し、コミュニティに存在していることを実感する機会がとても貴重な体験になります。

2.公共性:現代のコミュニティに則したかたちで多様な人々が共存できる公共の場を作ることです。

3.社会創造ビジョン:上記2つを前提に生まれます。社会のなかで創造的な活動にとりくむことです。

著者は例として、徳島県神山町をあげます。ここはIT系企業が相次いでサテライトオフィスを作っている自然豊かな里山です。自然の中でコミュニティの一員として働くことは、適度な「ノイズ」が生活の中に生まれルーティン化を阻止してくれます。例えば、地域のおばあちゃんにスマホの操作を教えてあげたり、農作業をしたり、といったことです。このことで、働く人は強くその町で暮らす「意義」を感じることができます。

そして、その体験を通じて、コミュニティへの帰属意識が高まれば、様々な人が同時にウェルビーイングを感じることができる共同体意識も得られることでしょう。そのことが公共性につながるものと考えられます。

日本人が「公」と聞くと、公共機関を想像して、大きな存在が整備するものだと受け身になってしまいます。でも本来の意味は、市民からのボトムアップが「公」です。組織のウェルビーイングと多種多様な人のウェルビーイングのために、一人ひとりがコミュニティ人材としてボトムアップで工夫をしていくことが求められているのではないでしょうか。

この3つを実現するための取り組みとして、コミュニティカフェや地域の居場所への注目が高まっています。しかしこの2つは根本的に異なっています。コミュニティカフェは課題解決の手段的な意味が強く、個人の道具的な価値に焦点が集まりがちになりますが、活動は盛んです。一方、地域の居場所は個人が存在意義を感じられやすい特徴がありますが、活動は停滞します。

この2つのジレンマを乗り越えていくことこそが、市民ボトムアップ型の「わたしたち」のウェルビーイング追求に繋がります。

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「わたしたち」という個を包含するコミュニティのウェルビーイングも考えることが大切だというアプローチは今後の社会づくりにあたってとても大切な概念になると思います。そして環境ビジネスが近年注目されているように、ウェルビーイングも10年、20年後には当然のように企業活動の一部になっていると考えられるでしょう。
本書の中で、能楽師安田登氏による、「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の真意が取り上げられています。和というのはなかよしではなく、多種多様な楽器が同時に奏でられる様子だそうです。ルールで縛るのではなく、自発的に混沌の中から、相違点ではなく、共通点を見つけていき物事をすすめるのが理想だと語っていると言います。非常に印象的な言葉でした。他にもさまざまな切り口で、日本らしいウェルビーイングのあり方が検討されている良書であると感じました。

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