- どうしたら自分を絶えずアップデートしながら、世界とのつながりも更新し続けることができるでしょうか。
- 実は、非言語化領域を見極め、それを積極的に発信し続けることかもしれません。
- なぜなら、それこそが、独自性に繋がり、さらに人との接続の起点になるからです。
- 本書は、長倉顕太さんによる、現代をよりよく生き抜く1冊です。
- 本書を通じて、自分を高め、そして他者とともにある方策を考えることができます。
情報空間と現実空間の整合性をとろう!?
著者の長倉顕太(ながくら・けんた)さんは、作家・プロデューサー・編集者として活躍する人物です。
1973年生まれ。学習院大学卒業後、職を転々としたのち、28歳で出版業界へ。編集者としての10年間で、142作品を担当し、うち65作が5万部以上、22作が10万部以上、年間ベストセラーに6作品がランクインするなど、まさに“ヒット請負人”と呼ぶにふさわしい実績を築きました。
独立後はホノルルやサンフランシスコに拠点を移し、国境を越えた情報発信、マーケティング、教育事業などにも精力的に取り組んでいます。SNSやYouTubeを通じての発信も積極的で、「自分を武器にして生きる」ためのヒントを、実践的に届け続けている稀有な存在です。
そんな長倉さんが提唱する「非言語を言語化する」というテーマは、まさに情報発信時代における新しい生存戦略とも言えるでしょう。
情報発信というと、SNSや動画などの「手段」や「拡散力」の話題に目が向きがちです。けれど、長倉顕太さんの視点は、それとはまったく異なる次元から始まります。
「自分の頭の中にあるイメージ(情報空間)」と「実際に体験される世界(物理空間)」がズレたままでは、どれだけ情報を発しても、現実は動かない。むしろそのズレが、人の生きづらさや不自由さを生んでいる——著者はそう指摘します。
「まず重要なのは、情報空間と物理空間を一致させること(自己の認識の中で)なわけよ。」
これは、いわゆる「理想と現実のギャップ」といった話ではありません。もっと深く、根本的な話です。私たちはしばしば、「言葉にしていること」と「本当に感じていること」さえもズレたまま日常を送っています。
長倉さんは、それを「頭と身体が分離されている」状態と表現し、
「頭(言語)と身体(現実)が分離されているってこと。だから、どんだけ頭で描いても永遠に現実しないわけだ。」
と喝破します。
この分離を解消し、言葉と行動、情報と現実、思考と体験を少しずつ一致させていく。そのために必要なのが、「非言語の言語化」というプロセスです。つまり、まだ言葉になっていない自分自身の核心をすくい上げ、発信し、検証していくこと。
そうすることで、「情報発信」は単なる自己アピールではなく、「自分を一致させる営み」として立ち上がってくるのです。
自分は見つけるものではなく、創るもの!?
だからこそ、本書における「情報発信」は、単なる表現の手段ではなく、“自己理解のプロセス”として語られます。
発信を重ねるうちに、次第に見えてくるものがあります。
自分が本当に言いたいことは何か。何に怒り、何に共鳴するのか。誰と繋がりたいのか。そして、何に対して「自分が貢献できる」と感じるのか。
こうした“見えない内面”は、実はただ思考するだけでは浮かび上がってきません。言語化し、発信し、他者の反応を受け取り、また問い直すという循環の中で、少しずつ鮮明になっていくのです。
「体験→自分の情報発信→何らかの情報→自分の体験」を繰り返すことで、情報空間と物理空間を行き来することになる。
この往復のプロセスが、単なるアウトプットにとどまらない「内面の探究」になる。その結果として、自分にとっての本質的な問い、やりたいこと、そして社会における役割までもが、少しずつ輪郭を持って現れてくるのです。
そしてこの「役割」の自覚は、情報発信という行為に持続性と倫理性を与えます。
誰かに承認されたいから発信するのではなく、何かを届ける責任を伴うものとして、発信する。それは、受け手を信頼し、自分自身にも誠実であるという姿勢を必要とします。
つまり本書が伝えているのは、自分の可能性は、情報発信を通じて“見つけるもの”であり、同時に“育てるもの”でもあるということ。
だからこそ、たとえ完璧な言葉が見つからなくても、「非言語の領域」にこそ価値があると信じ、それをあえて言葉にしてみる。その一歩を踏み出すことが、自分自身との深い対話のはじまりとなるのです。
他者との出会いが、自分自身をさらにアップデートしていく!?
そして、自己理解のプロセスがさらに意味を帯びていくのは、それが他者とのつながりへと開かれたときです。
情報発信とは、単なる独り言ではありません。むしろ、「誰かに届けたい」という衝動とセットになってはじめて、自己理解は深化し始めます。長倉さんは、こう語ります。
「アナタの出発地点も『出会い』なわけだ。そして、アナタはその後、『出会い』の積み重ねの中で生きていく。」
ここでいう「出会い」は、もちろん人との出会いに限りません。本との出会い、音楽との出会い、映画、価値観、風景、問い──さまざまな“他者”との遭遇を通じて、私たちは少しずつ変化していきます。
「アナタの人生は出会いで創られていくんだ。」
だからこそ、良い出会いをするためには、良い発信をすることが必要なのです。
「良い出会いのために、良い発信をしよう。」
これは逆説的に聞こえるかもしれませんが、自分が誠実に発信しない限り、本当に響き合う他者と出会うことはできません。つまり、「自己開示」こそが、他者理解の入口なのです。
そして、その出会いの中で、自己認識はさらに磨かれていきます。相手の視点を通じて、自分の癖に気づいたり、思いもよらぬ問いを受け取ったり。そうした相互作用こそが、情報発信の真価であり、それが人生の方向性を静かに変えていくのです。
長倉さんは繰り返し、「良い出会いがあれば、良い人生になる」と語ります。そして、
「結局、最後は『良い奴』が勝つってこと。」
と断言します。
それは、誠実な人間が勝つ、という単純な話ではありません。発信を通じて、自分と向き合い、他者と誠実に接続し続けた人こそが、信頼され、応援され、そして可能性の中に生き続けられるということです。
情報発信とは、単に何かを“伝える”ことではなく、「出会いをデザインする行為」だと捉えてみてはいかがでしょうか。
その出会いの連鎖こそが、あなた自身を更新し続けてくれるのです。
AIが急速に進化し、私たちが思考しなくても“それらしい答え”が手に入る時代が到来しつつあります。
けれど、だからこそ問われるのは、「あなたは何を感じ、どう生きるのか?」という、人としての実感を伴った言葉ではないでしょうか。
長倉顕太さんが説く「非言語を言語化せよ」という主張は、まさにAIには置き換えられない、人間固有の感覚を鍛える行為です。説明しきれない違和感、理屈では語れない確信、言葉にならない情熱——それらを言語にして外に出していくこと。それこそが、自分と他者をつなぎ、関係を育み、世界に痕跡を刻む営みなのです。
そして、情報発信を通じて「出会いを編集する」という視点は、無数の選択肢と情報にさらされる時代にあって、自分の生を“意志”でかたちづくるための方法でもあります。
AIは大量のデータを処理できますが、「なぜこの人と出会いたいのか」「なぜこの問いを言葉にしたいのか」といった“意味の編集”は、いまだ私たち人間の手に残された創造領域です。
つまり本書は、AIと共存する時代における、人間の「役割」と「表現」の可能性を再発見するためのヒントにもなっているのです。
長倉顕太さんのご著書は、ぜひこちら「ギブが、自分をつくる!?『ギブギブギブが現実化する ナポレオン・ヒル爺さんよ、さらば』長倉顕太」やこちら「誰かのために、あれ!?『人生をコンテンツ化せよ 情報発信時代の「道は開ける」』長倉顕太」もご覧ください。


まとめ
- 情報空間と現実空間の整合性をとろう!?――想いはかなう、それは事実です。
- 自分は見つけるものではなく、創るもの!?――そのマインドセットが何よりも欠かせないのです。なぜなら、自主性を帯び、可能性を確保し続けることにつながるからです。
- 他者との出会いが、自分自身をさらにアップデートしていく!?――自分を開示することが、結果的に、自分自身をさらに高めていくことに繋がります。
