発想のための、素敵な“習慣”を!!『日常のフローチャート Daily Flowchart』森博嗣

『日常のフローチャート Daily Flowchart』森博嗣の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

  • あなたは今日、何のために働いていますか?
  • 給料のため、生活のため、会社に言われたから――そう答える人は多いでしょう。
  • 実は、その「義務感」こそが、あなた本来の能力を眠らせている可能性があるんです。
  • なぜなら、AI時代に本当に価値を生むのは、情報処理能力ではなく「遊び心から生まれる発想」だから。
  • 本書は、作家であり工学博士でもある森博嗣さんが、日常の些細な出来事や思考を通じて、私たちが無意識に受け入れている「常識」を問い直すエッセイ集です。
  • 本書を通じて、仕事と遊びの境界が曖昧になっていく未来において、自分本来の役割をどう起動させるか――そのヒントが見えてきます。

森博嗣さんは、1957年生まれの作家・工学博士です。

名古屋大学大学院で建築学を専攻し、同大学助教授として研究に従事しながら、1996年に『すべてがFになる』でデビューしました。

理系ミステリという新ジャンルを確立し、シリーズ累計で1000万部を超えるベストセラー作家となった後も、工学者としての論理的思考と作家としての創造性を両立させてきました。

特筆すべきは、その徹底した「自分らしさ」の追求です。

大学を早期退職し、作家業に専念するだけでなく、自ら設計した家に住み、鉄道模型やラジコン飛行機など、自分が本当に楽しいと思える「遊び」に時間を費やしています。

本書『日常のフローチャート』は、そんな森さんが日々の暮らしの中で考えたことを綴ったエッセイ集で、一見何気ない日常の観察から、私たちが当たり前だと思っている価値観を根底から揺さぶる洞察が詰まっています。

常識という名の不自由から抜け出す

私たちは「美しい」と感じるものを、本当に自分の感覚で選んでいるんでしょうか。

森さんは、自然の景色を美しいと感じることさえ、実は教えられた価値観だと指摘します。

「美しい」と感じるのは、たぶん、人から教えられたから、というのが理由だろう。大人が「綺麗だね」「凄いね」と子供に教えている。知らず知らずのうちに、子供たちに先入観を植えつける。良い子はそれに忖度する。

桜を見て「きれい」と思うのは、本能ではなく学習なんです。

子供の頃から周囲の大人が「桜は美しい」と教え込み、私たちはそれに合わせて反応することで社会性を身につけてきました。

でもこのプロセスで、私たちは「自分の感覚」を少しずつ失っているんです。

森さんはさらに踏み込んで、自然を愛でることそのものが「理性」による評価だと言います。

もともと人間が作ったものが美しいと感じていたのに、それが反転して自然を形容する言葉として使われるようになった。

つまり「自然が美しい」という感覚自体が、文化的に構築された価値観なんですね。

このことは、ビジネスの世界でも同じです。

「これが良いプレゼンだ」「こういう企画が通る」「こんな働き方が正しい」――そうした「常識」の多くは、実は誰かが作り上げた基準でしかありません。

多数派は、自分たちが当たり前だと思い込む

この一文は、組織の中で働く私たちにとって重要な警告です。

会議で発言しないこと、上司の指示に従うこと、残業することが「普通」だと感じているなら、それは多数派の価値観を内面化しただけかもしれません。

自分が本当に大切だと思うこと、面白いと感じることを見失っていないか。

森さんの指摘は、私たちに根本的な問いを突きつけます。

さらに現代社会は、この「常識の押しつけ」がより強化される方向に進んでいます。

社会は裏表のないクリーンな方向へ進んでいるらしい。以前は、裏社会があって当然だったから、汚れたものも認めざるをえなかった。今は、汚い部分があってはならない、と多くの人(特に若い世代)が感じているようだ。

SNSによって「正しさ」が可視化され、少しでも基準から外れたものは炎上の対象になる。

「少しの汚れも許せない善良な人たち」が、かつてはグレーゾーンとして許容されていた多様性を排除していく。

この潔癖社会の進行は、一見すると健全に見えますが、実は創造性や個性の芽を摘んでいるんです。

なぜなら、新しいアイデアや発想は、常に既存の「正しさ」の外側から生まれるからです。

多数派が「当たり前」と思い込む価値観に従っているだけでは、自分本来の感覚も、新しい発想も生まれません。

AIが情報処理を担う時代において、人間に求められるのは「みんなと同じ正しさ」ではなく「自分だけの感覚」なんです。

AI時代に求められる「遊び」の本質

では、AIが情報処理を担う時代に、人間は何をすればいいんでしょうか。

森さんの答えは明快です。

大人も遊ぶことが仕事になる

この言葉は、単なる楽観的な未来予測ではありません。

経済構造そのものが、根本的に変わっていくという洞察なんです。

森さんは、AI時代の人間の役割をこう整理します。

具体的で詳しい情報を覚えていることは、これからの時代では価値がない。必要なのは、それらを原理原則に従って吟味し、展開し、計算すること。ここまでは、コンピュータが担当できる。そして、人間はその結果を見て、なにかを思いつく役回りなのである。

つまり、情報の記憶→処理→計算まではAIに任せて、人間は「発想する」ことに専念する

これが新しい仕事の形です。

でも「発想する」って、どうすればできるんでしょうか。

会議室で「さあ、発想しよう」と言われて、何か思いつきますか?

多くの場合、何も出てきませんよね。

なぜなら、発想は義務感からは生まれないからです。

発想が生まれると、新しいものが作られ、それをさらにシェイプアップして、しばらくは生産が続けられ、経済が回る。しかし、いずれは古くなる。別のどこかで生まれたより新しいものに代わられる運命にある。経済を長く回し続けたいのなら、ときどき発想して新しさを思いつく才能が必要だ。

経済を回すエンジンは「新しい発想」です。

そしてその発想は、自分が本当に面白いと感じていること、夢中になれること――つまり**「遊び」から生まれる**んです。

森さん自身がまさにその体現者です。

鉄道模型やラジコン飛行機という「遊び」に真剣に向き合い、そこから得た感覚や発想を小説に落とし込む。

工学的な知識と遊び心が融合して、理系ミステリという新ジャンルが生まれました。

これは「仕事と遊びの境界がなくなる」という状態です。

そして森さんは、こう続けます。

そういう人材が求められるようになる。そして、それができない人たちは、仕事をしなくても良いグループになるだろう。何をすれば良いのか、というと、遊ぶことが仕事になる。

ここで重要なのは、「仕事をしなくても良い」ことが不幸ではない、という視点です。

AIが生産性を上げることで、すべての人が働かなくても社会が回るようになる。

コンピュータやAIの進出によって、人間の仕事が奪われることは、現象的にはそのとおりであるけれど、実質的には、それだけ人間が楽に生きられる社会を実現していることと等しい。

ワープロが登場したとき、和文タイピストは職を失いました。
パソコンが普及したとき、会計簿をつける事務員は不要になりました。
でも社会全体としては、より便利で効率的になったんです。

AI時代も同じです。

多くの仕事がAIに置き換わることは、人間が本当にやりたいこと、楽しいと感じることに時間を使えるようになることを意味します。

そのとき、「義務としての仕事」と「遊びとしての創造」の区別は消えていきます。

自分が本当に面白いと思えることに没頭する人だけが、新しい価値を生み出せる時代になるんです。

だからこそ、今のうちから「自分は何を面白いと感じるのか」「何に夢中になれるのか」を知っておく必要があります。

それは単なる趣味の話ではなく、AI時代を生き抜くための本質的な問いなんです。

自分の役割を起動させる日常設計

では、どうすれば自分が本当に面白いと感じることを見つけ、それを日常に組み込めるんでしょうか。

森さんは、幸福の本質をこう定義します。

少しずつでも、自由に近づきたい。まずは、そう思うことが大事。近づきたいと思っただけで、なんとなく楽しい気分になれる。自由に近づくことは、別の言葉にすると「幸せ」だ。人が幸福を感じるのは、自由に近づこうとしているときだ。

幸せとは「自由に近づいている状態」なんです。

逆に言えば、不自由に向かっているとき、私たちは不幸を感じます。

そして重要なのは、それは「現状」ではなく「少し未来」の話だということ。

今が辛くても、自由に向かっていると感じられれば幸せを感じられる。

逆に今が快適でも、不自由に向かっていると感じれば不安になります。

この構造を理解すると、日常の過ごし方が変わってきます。

森さんは、多くの人が陥る罠を指摘します。

幸せというのは何か、つまりそれは、楽しい時間のことだろう。では、どうすれば楽しくなるのか? 難しくはない、楽しいことをすれば良い。しかし、毎日そんなに楽しいことばかりがあるわけではない。

週末になれば楽しくなれる、仕事がなくなれば自由になれる――そう考えている人は多いでしょう。

でも実際には、何もしない週末は退屈なだけです。

なぜなら「楽しい」は受動的に訪れるものではなく、自分で作り出すものだからです。

そして、ここが一番大事な点だが、あなたは自分が何をすれば楽しく感じられるのかを知っている必要がある。

「時間があれば」「お金があれば」と言い訳する人は、実は自分が何をしたいのか分かっていないんです。

「時間がない」「お金がない」と言い訳する人は、思想と計画を持っていない。運を天に任せる人生ともいえる。そうではない。あなたの運は、あなたに任されているのだ。

ここで森さんが強調するのは「思想と計画」です。

思想とは、自分がどう生きたいか、何を大切にしたいかという軸。

計画とは、その軸に向かって日々をどう設計するかという具体的な行動。

この2つがあれば、限られた時間やお金の中でも、自分の役割を起動させることができます。

森さんは「ものを作ることがデフォルト」という章で、自身の日常を語ります。

小説を書くこと、模型を作ること、家を設計すること――すべてが「作る」という行為でつながっています。

それは仕事でもあり、遊びでもある。

義務ではなく、自分が本当にやりたいことだからこそ、毎日続けられるんです。

インプットとアウトプットのバランスも重要です。

インプットしているときは、ものを食べているときと似ていて、本能的な欲求を満たしているから幸福感が味わえる。だが、食べてばかりはいられない。すぐに満腹になり、食べられなくなる。インプットしすぎることに対して、躰が拒否反応を示す。

情報を取り込むだけでは、すぐに飽和状態になります。

本を読む、セミナーに参加する、ニュースをチェックする――それらは必要ですが、それだけでは不十分なんです。

アウトプットすること、つまり「作る」「表現する」「発信する」ことで初めて、インプットが意味を持ちます。

そしてアウトプットの過程で、自分が本当に面白いと感じるテーマ、夢中になれる領域が見えてきます。

明日を楽しくするために、今日何をするか。
週末を待つのではなく、今日の中に小さな「遊び」を組み込む。

会議の合間に5分だけ、自分が興味のあることを調べてみる。

通勤時間に、義務的なニュースではなく、本当に読みたい本を読む。

夜の30分を、会社の仕事ではなく、自分のプロジェクトに使ってみる。

そうした小さな積み重ねが、「自由に近づいている」という感覚を生み、日常に幸福をもたらします。

そして長期的には、その「遊び」が自分本来の役割を起動させ、AI時代に求められる「発想する人材」へと成長させてくれるんです。

森さんの生き方が示しているのは、仕事も遊びも区別せず、自分が本当に面白いと思えることを日常のデフォルトにするという姿勢です。

それは決して恵まれた環境だけでできることではありません。

思想と計画を持ち、今日この瞬間から、少しずつ自由に近づいていく。

その選択の積み重ねこそが、あなたの運をあなた自身に取り戻す道なんです。

まとめ

  • 常識という名の不自由から抜け出す――私たちが「美しい」「正しい」と感じる価値観の多くは、実は教えられたものに過ぎません。多数派が当たり前だと思い込む常識に従うだけでは、自分本来の感覚も新しい発想も生まれません。
  • AI時代に求められる「遊び」の本質――情報の記憶や処理はAIに任せ、人間は「発想する」ことに専念する時代が来ています。しかし発想は義務感からは生まれません。自分が本当に面白いと感じること、夢中になれること――つまり「遊び」に真剣に向き合うことで、初めて新しい価値が生まれます。仕事と遊びの境界がなくなる未来において、遊び心こそが最大の武器になります。
  • 自分の役割を起動させる日常設計――幸せとは「自由に近づいている状態」です。週末や定年を待つのではなく、今日この瞬間から小さな「遊び」を日常に組み込む。思想と計画を持ち、自分が何をすれば楽しく感じられるのかを知る。そうした選択の積み重ねが、あなた本来の役割を起動させ、AI時代を生き抜く力になります。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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