- 私たちは、人材を選別する視点を失いかけているようです。
- なぜなら、教育が大衆化していることが原因です。
- また、コミュ力やリーダーシップ、専門知識をどんな業界でも求められるように、新しい時代の能力の定義さえ曖昧になっています。
- 本書は、能力不安が煽られる現代社会の問題を描く1冊です。
- 人の能力とはなにか、そして、そのマッチングのための社会構造を知ることができます。
私たちが能力と呼ぶものとは!?
数年に1度見直される学習指導要領では、将来子どもたちが身につけるべき資質や能力が想定され、それに従って教育内容が決められています。学習指導要領は日本の教育システムが育成しようとしている「能力」の理念を表現しているといえます。
この「能力」は、新しい時代に求められるものであることが前提とされていますが、実は、陳腐なものの言い換えに過ぎないとしたらどうでしょう・・。
本書では、現代社会が「能力」と呼ぶものが本当に本質的なものなのかについて検証する1冊です。
これまでとは異なるあtらしい時代に対応した能力であることを標榜しながら、実は陳腐なものの言い換えにすぎないもので一貫していたら……あるいは、既存の「能力」を否定すること時代にその主張の本質があるのだとしたら……あまり想像したくはないのだが、私たちの社会は、そういうことが十分にありうるステージにいる。
まえがき
これが、私たちの社会(後期近代という時代)が抱える能力論議の問題点です。
いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければならない」という議論それ自体である。
まえがき
どんな業界の、誰もが求める能力とは!?
これからの時代に求められる能力としてどのようなものが、一般的に掲げられているのでしょうか。
それは、次にあげるような内容に収れんされているのではないでしょうか。
- コミュニケーション能力(コミュ力)
- リーダーシップ
- 専門知識
全体として能力観が転換しているとの根拠のない前提のうえで、「ではどんな新しい能力が必要化」を無理やりひねり出そうとした結果、最大公約数的な陳腐な能力を、あたかも新しいものであるかのように、あるいはあたかも新しい時代に対応する能力であるかのように看板だけかけ替えて、その場を丸くおさめるといったことを繰り返してきたものだのだ、と考えたほうが、私個人は非常にすっきりする。
第1章 現代は「新しい能力」が求められる時代か?
ここの著者である中村高康さんの能力主義的なものに対する痛烈な批判を感じます。大した解像度も持たないまま、皆が同じような一般的能力(的なもの)を基準にしようとしている、問題を指摘しているようです。
これまでの代替手段としての能力主義とは!?
私たちが問題としている「能力」は社会的には稀有なものであるという前提のもとなりたってきました。これが共通言語でした。だから、「カバンを持てる」とか「息をする」とかそういうことは、能力としてみなされてきませんでした。
人を選び、ヒエラルキーを構築しようとした社会において、これまでは「学歴」や「試験」が代替手段でした。
知識・技術を重視する産業社会において、まさに知識・技術を教える学校教育のシステムはこれと連動して普及・拡大した。
第3章 能力は社会が定義する――能力の社会学・再考
だからみんなが納得できるような能力測定装置がなかなか見出されない状況においては、少しでもたくさん学校教育を受けた人やみんなが同じ条件で受けたテストの成績が良かった人をとりあえず「学校でたくさん勉強した人だから、能力があるに違いない!」と見なしてきたのです。(だいぶ、痛烈です・・!)
試験や学歴社会が時代遅れとして言われますが、でも、前近代社会から近代社会への大きな時代転換を重視する立場から考えれば、どちらも極めて近代的なのです。
しかし、教育は極めて一般化しました。どんな人でも一般的な大学教育を受けられる機会がある中で、私たちがこれまで拠り所にしてきた、人を能力で選ぶ視点が失われかけています。
何がこれからの時代に必要なのでしょうか。
幸福で安心感があり、ひとりひとりがそれぞれの力を発揮することができる社会創造のためには、何がポイントに鳴るでしょうか。
過去の投稿「【人間OSの高め方とは!?】リフレクション(REFLECTION)自分とチームの成長を加速させる内省の技術|熊平美香」もぜひあわせてご覧ください。個人の志向性という視点から、何をよしとするのか、を社会ではなく、個人主体で見出す視点を得ることができます。
まとめ
- 私たちが能力と呼ぶものとは!?――新しい能力が求められがちだけれど・・それってなんでしょう。
- どんな業界の、誰もが求める能力とは!?――コミュ力、リーダーシップ、専門知識、どんな業界でも最大公約数的な能力が求められています。
- これまでの代替手段としての能力主義とは!?――学歴がそれでしたが、教育が一般化した今、それが人の選別に活かされるのでしょうか。