- 日常の中で、どれだけの「発見」を見逃しているでしょうか?
- 実は、創作活動において最も大切なのは、特別な体験や劇的な出来事ではないのかもしれません。小川洋子さんの『とにかく散歩いたしましょう』を読んで、そんなことを強く感じました。
- なぜなら、小川さんは日々の散歩という極めて平凡な行為の中に、文学の新たな可能性を見出し続けているからです。文字に人格を感じる子どもたちとの出会いから、「散歩文学」というジャンルの発見まで、すべてが歩くという身体的行為から生まれているんです。
- 本書は、毎日新聞に4年近く連載されたエッセイをまとめたもので、小川さんの日常の散歩から生まれる小さな発見や思索が丁寧に綴られています。
- 本書を通じて、私たちは「行動と言葉化の循環」という創造性の核心に触れることができます。散歩という行動が観察を生み、観察が言葉を生み、言葉がまた新たな散歩への動機となる。そんな豊かな循環を、小川さんの実践を通して学ぶことができるんです。
小川洋子さんは、『博士の愛した数式』『薬指の標本』など、静謐で美しい文体で知られる作家です。1991年に『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞し、数学や音楽といった抽象的な世界を繊細な言葉で描く独特の作風で多くの読者を魅了してきました。
本書は、毎日新聞に4年近く連載されたエッセイをまとめたもので、日々の散歩から生まれる小さな発見や思索が丁寧に綴られています。
創作活動と日常生活が密接に結びついた小川さんの世界観を、散歩というフィルターを通して覗き見ることができる貴重な一冊となっています。
文字に人格を見出す子どもたちの純粋な感性
この本を読んでいて、さすが作家さんだなあと感じるのが、日常の中にある言語への鋭敏な感覚なんですね。
特に印象的だったのが、小川さんが散歩中に出会った子どもたちの言葉に対する独特の感性を捉えたエピソードです。
「たぶん『る』の形が彼女の好みに一番フィットしたのではないだろうか。よく見れば、確かに『る』は優雅で、のびのびとした印象を与える文字だ。丸まったようでもあるし、リスがクルミを抱いているようでもある。彼女の中で『る』が一体どんなものに変身して、どんな物語を作り出しているのか想像もつかないほどすてきで、思わず手をのばして触りたくなるほどやわらかで柔らかく、思わずすそをのばして触りせずにはいられない形をしているのだろう。」
文字の「る」に彼女の好みを見出すなんて、大人にはなかなか思いつかない発想ですよね。
でも小川さんは、この子どもの感性を単なる可愛らしいエピソードとして流さないんです。
「手始にまみれる前の子供たちの言語感覚には、もしかすると文学の新しい可能性が秘められているのかもしれない。」
ここに作家としての洞察の深さを感じるんです。子どもが文字に人格を見出すという行為の中に、文学の新たな可能性を読み取る眼差し。
これって、行動(子どもとの出会い)から言葉化(エッセイでの表現)への循環の中で生まれた発見だと思うんですね。
私たちは日常の中で、こうした小さな言語的発見を見過ごしてしまいがちです。でも小川さんは散歩という行動を通してこれらを拾い上げ、文章という形で昇華させている。
この「行動→観察→言葉化→新たな行動」という循環が、創作の源泉になっているんだと感じました。
散歩文学というジャンルの発見
小川さんは本書の中で、興味深い発見を披露してくれます。それが「散歩文学」というジャンルの存在です。
「夏目漱石の『こころ』が話題に上った時、一世代下の若い友人が、『ああ、あの散歩ばかりしている小説ね』と見事に一言で切った。」
この友人の一言から、小川さんは散歩文学というジャンルに着目するようになったといいます。確かに考えてみれば、文学作品の中で散歩というモチーフは数多く登場しますよね。
「散歩文学というジャンルがあるなら、『こころ』はその筆頭に挙げられるべきだろう。ほかにも話し手が散歩を続けている小説の中には、ツルゲーネフの『はつ恋』なども入れたい。」
散歩って、一見すると何も起こらない行為のように思えますが、実は内面の動きや思考の展開にとって重要な装置なんですね。歩くことで時間が流れ、風景が変わり、それに合わせて登場人物の心境も移ろっていく。
私が特に感銘を受けたのは、小川さんが散歩と行進の違いについて言及している部分です。
「例えば行進には、未来にたどり着くべき目的地をこなした義務感がほとんど残っていて見えている。あるいはピクニックには、もっと心浮き立つ雰囲気がある。空は晴れているし、バスケットの中には美味しいランチが入っているし、恋人たちと丸くなって雨宿りしても嬉しい雨でも大丈夫、散歩に漂う静けさには、やはり文学が似合う。」
目的地を定めない自由さ、偶然性への開放性。これが散歩の本質であり、同時に文学創作にとって必要な心の状態なのかもしれません。
小川さんは日々の散歩を通じて、この「散歩的思考」を身につけ、それを創作に活かしているんだと思うんです。
毎日新聞に4年近くエッセイを書き続けてこられたのも、この散歩と文章化の循環があったからこそでしょう。日常の散歩から得た小さな発見を言葉にし、それがまた新たな散歩への動機となる。そんな豊かな循環を垣間見ることができました。
身体感覚から生まれる創作の種
最も印象に残ったのが、小川さんが実際にウォーキングに挑戦したエピソードです。
これは単なる体験談を超えて、身体的な行動と観察眼の関係について深い示唆を与えてくれます。
「その下ち、汗がにじんでくる頃、むじゃくしゃの様子が変わってきているのに気づいた。一歩士を踏みしめるたび、身体の中に小さな振動が伝わり、やがてそれが到達する。魂のように気持ち良く立ち込めていたそれは、ブラウン運動を起こし、粒子の輪郭がはっきりとし始め、やがて顔にまで到達して、一つに集まろうとしていく。」
この描写の精密さ、身体感覚への鋭敏さに驚かされます。運動によって生じる身体の微細な変化を、これほど詳細に観察し、言語化できるなんて。
そしてその観察は、創作のヒントへとつながっていくんです。
「それでも私は、疲れ方が分け星を見上げ、祈りの心に全て進みの場。いつぞやそれほど遠く感じぬところ、この辺でいちど見わたしてたのが、実で捉えほどの小ささに凝縮されている。歩くリズムに合わせ、ころん、ころん、と助詞の調部が転がった」
身体の疲労とともに、言葉のリズムまでもが変化していく。これって、行動が直接的に言語感覚に影響を与えている証拠ですよね。
そして最終的に、
「身体的な疲労が高まるにつれ、夜が明けるまでの決意は簡単に崩れ、五周もしないうちにウォーキングはおしまいとなった。」
という現実的な結末も含めて、すべてが創作の糧となっているんです。
理想と現実のギャップ、身体の限界、意志の脆さ。
こうした人間的な要素すべてを、小川さんは冷静に観察し、エッセイという形で昇華させています。
この一連のプロセスを見ていて思うのは、小川さんにとって散歩は単なる運動ではなく、創作活動の一部なんだということです。身体を動かし、感覚を研ぎ澄まし、それを言葉にする。その循環こそが、創作者としての小川洋子さんを支えているんでしょう。
本書を通して最も強く感じるのは、小川さんにとって散歩と創作が不可分の関係にあるということです。最後にこんな言葉で締めくくられています。
「小説を書き続ける限り、いえ、生きている限り私は散歩をするのでしょう。」
この一文が、すべてを物語っていますね。散歩は小川さんにとって、創作活動であり、同時に生きることそのものなんです。
私が小川洋子さんから学びたいのは、まさにこの「行動と言葉化の循環」です。日常の何気ない行為から発見を見出し、それを丁寧に言語化し、その言語化がまた新たな行動への動機となる。このサイクルを意識的に回していけば、私たちの日常も格段に豊かになるはずです。
散歩という極めてシンプルな行為の中に、これほど深い創作の源泉があることを教えてくれた本書。読み終えた後、きっとあなたも散歩がしたくなることでしょう。そしてその散歩の中で、小川さんのように小さな発見を言葉にしてみたくなるはずです。
歩くことに関する1冊は、こちら「人が歩けば、幸せになる!?『歩く マジで人生が変わる習慣』池田光史」もおすすめです。ぜひお手にとってみてください。

まとめ
- 文字に人格を見出す子どもたちの純粋な感性――「行動→観察→言葉化→新たな行動」という循環を自分の視点に気づき、よりよい創作につなげるためのヒントにしていきましょう。
- 散歩文学というジャンルの発見――「散歩的思考」を身につけ、それを創作に活かしているはずです。
- 身体感覚から生まれる創作の種――「行動と言葉化の循環」の中で、感性が際立ち創作活動へとつながっていくのです。
