- どうしたらよりよい毎日を積み重ねていくことができるでしょうか。
- 実は、自らの衝動に素直になることかも。
- なぜなら、そのことによって自分が無意識に求めている時間の使い方ができるから。
- 本書は、頭で考えるのではなく、身体をもっと使った行動のベクトルの見出し方に関する1冊です。
- 本書を通じて、自分が結果的に理想とする人生のあり方を見出すヒントを得られます。

「本当にやりたいこと」のウソ?
「本当にやりたいこと」を探そうということがよくいわれています。モチベーションを大切に、外から与えられる意義・意味だけではなく、自らの内発的な志に火をつけていくことで、よりよい人生を描けるのではないか、という風潮が特に強くなっているように感じます。
でも、冷静に考えて「本当にやりたいこと」って、見つけられるでしょうか。あるいは、「本当にやりたいこと」を言語化している人も中には、いますが、それって本当にやりたいことなのでしょうか。
実は、「本当にやりたいこと」について、もっと疑ってみることが最初の一歩かも知れません。というのも、「本当にやりたいこと」は、単にいまの状況を積み重ねていく中で、見出されたものにすぎないからです。
「人間が言う『本当にやりたいこと』なんて、今の自分が、たまたま、一時的にそれが一番良い状態だと勘違いしている幻想でしかない」
序章 なぜ衝動は幽霊に似ているのか
大抵の人は、生まれてからこの方、やりたいことやなりたいことなどなど、きっと大きな変化を遂げてきたのではないでしょうか。花屋さんになりたい、野球選手になりたい、YouTuberになりたい、そうした「夢」を叶えている人はどれだけいるのか・・
今の自分がぱっと惹かれているもの、次の瞬間には、もしかしたら惹かれるものが変化するかも知れません。そうした事実と向き合う時、自らの視野で、言葉で、表現された「本当にやりたいこと」について、少し距離感を取ってみることも大切なのかも知れないという結論に至ります。
わざわざ「本当」という重たい言葉でくるんで固定しようとするのは、自分の変化の兆しを見えなくする言葉遣いです。
序章 なぜ衝動は幽霊に似ているのか
人は絶えず変化をしています。環境の変化や自分自身の内的な、あるいは物質的な変化を絶えず繰り返しています。だから、思考だって新陳代謝していってよいのです。過剰に自らを言葉で縛ることをなくしてみると、新しい世界観が広がってくるかも知れません。
衝動とは何か?
「衝動」を大切にしてみてもよいのではないか、というのが、本書のテーマです。
「衝動」が見つかってしまったら、かえって将来のことなど――あるいは自分のことすらも――どうでもよくなるということです。
序章 なぜ衝動は幽霊に似ているのか
これが、衝動に掻き立てられる人の姿です。衝動に突き動かされるひとは、将来につながるか、職業にできるか、評価されるか、など、一切期にすることなくどこでもひたすらに、身を捧げるものなのです。
ひたむきさは、地道な練習を助けてくれる力に繋がります。何かに夢中になっている時、他の人なら苦痛に感じる時間が、そうでなくなります。苦も無く、ただ、ひたすらに続けられること、「衝動」に突き動かされて、毎日取り組んでしまうことの末に、自分自身が結果的に作られていく事実があるのです。
この点については、坂口恭平さんもおっしゃっていて、誰かの評価や「なにかになる」ことを意識する前に、単に自分が取り組んでいて楽しいことや、取り組みを設定して、ひたすらに行動し続けることの大切さをこちらの1冊「【誰も教えてくれなかった、時間とお金のお話!?】生きのびるための事務|坂口恭平,道草晴子」で詳しく説いてくれています。

何かを学びたい!、身につけたい!と思う時、間違いなく、「衝動」がその背景にある方が、持続します。
世の中には、なぜ見返りも期待せずに、ひたすら行動しているの?という人が多くあります。「私には価値があります」「こんなにすごい人間です」「社交的で人当たりがいいんです」というようにアピールすることを市場が強いていることから、逃れることができないものでしょうか。
そんなときにこそ、大切なのが、モチベーションという言葉だけでは、捉えることのできない、自分自身がついつい行ってしまう、行動や気持ち(つまり「衝動」)を大切することです。
それは「え?なんでそんなことを、そんな熱量で?」と、周囲や自分自身が疑問に思うくらいの非合理な動機であり、“要領のいい”行動、“賢い”行動とは無縁です。
第1章 衝動は何ではないか
自分ではコントロールしきれないの情熱、過剰なパッションを見出すのです。
「衝動」を見つける時、世間の人は、たいてい「欲望の強さ」を念頭に置いています。「意欲」「やる気」「自発性」「内発性」「動機づけ」「競争心」などの言葉で表現されるその「強さ」は、モチベーションさえ調達することができれば、人は主体的に行動できると説きます。
でも本当にそうなのか、そうした欲の強さを前提とすることを疑うのが、「衝動」にまつわるありかたです。実は、「欲の強さ」は評価や、他者の視点などを巻き込みながら、感情の起伏に作用させ、欲望を燃焼させます。
しかし、こうした欲望を伴う「思いの強さ」は衝動にとって本質的ではありません。衝動に強い感情が結果的に伴うこともあるでしょうが、強い感情が伴っていないからと言って、それは「衝動ではないか」というと、決してそうではありませ。

いかに、衝動をとらえるか?
自らの「衝動」を明らかにすること、これが、よりよい人生の時間を積み重ねていくためには大切そうです。「衝動」を見つけるには、何が大切でしょうか。
キーは、「偏愛」です。別の言い方をすれば、「欲望」の強さではなく、「深さ」という表現になります。これは、例えば「料理が好き」「野球が好き」とかそうした紋切り型の言葉の奥深くのもっと手触りのあるなにかに触れられるような探索によって見出されていきます。
そして、それはもっと身体的な感覚につながっていくのかも知れません。
偏愛を解釈した先に衝動が見えてくる
第2章 衝動とは結局何ものなのか
例えば、「生物を見分けて分類することが好き」だと考え、当初は、生物学の研究者になろうと考えていたアルバロ・ジャマリロさんという人物があります。彼は大学院の指導教員から助言を受け、ハキリアリを研究対象にしていたのですが、研究のためのフィールドワークで南米に行った折、実際にはアリよりも鳥に目を奪われていたことに気づきます。
彼は「同じ生物でもよく移動し、色彩豊かで、見つけにくいものに惹かれ」ていたのです。
第2章 衝動とは結局何ものなのか
自分の特殊な好みを読み解くことで、大学院を辞めて、野鳥観察をベースにした生活へと移行する決断をします。そして、顧客と鳥について語り合いながら、野鳥を観察するツアーを提供するアルバロズ・アドベンチャーズ社を設立したのです。
こうした「衝動」のあり方は、社会でよく共通言語とされる「**になりたい」「**をめざしたい」というような言葉では到底捉えられないものです。偏愛は細かく詳しく言葉にすべきなのです。偏愛を掘り下げるうえで大切なのは、「小説が好き」「洋楽が好き」「料理が好き」「走るのが好き」くらいよく使う雑な一般論を避けながら、もっと解像度高く、偏愛の性質を理解することです。
具体的には、偏愛している活動に携わっているとき、実際のところ、自分は何を楽しんでいるのかを言語化する必要があります。
第2章 衝動とは結局何ものなのか
森の中でちらちらと見える鳥の羽ばたきから鳥の種類や様子を観察し、生態について理解を深めることと、鳥の鳴き声に寄って鳥の置かれている状況や発生の意図を知ることが全く違う活動であるように、低い解像度での偏愛理解は、誤解につながるのです。
個人的で特定化された具体的な欲望を解像度高く見つけてみることなのです。そして、こうした欲望は、結果的に見つけられることも多々あります。行動の末、自らの偏愛に気付くことも必ずあります。
よりよい道へは計画的で、まっすぐに続いているという印象を払拭してみることが大切なのではないかとも思われます。ストレートで、始めから見えている道筋の世界観ではなく、曲がりくねった先に手探りで進んでいけば、どこかで振り返ったときに解釈することができるという視点を持ち、ひたすらに自分に素直になりながら、「衝動に突き動かされてなにかを行っていく」ことが実はとても大切なのではないでしょうか。
衝動は自己変容をもたらします。「ハッとさせられる」瞬間に立ち会った時、世界がこれまでと全く見え方が異なることがある、それを体験し続けることが衝動に生き続けていくということになります。キャリアデザインというと、どうしても人生を仕事のように計画的に生きていくことを想定してしまいがちです。でも、そうしたことから自らの距離を取りながら、自分が心から求めている何かにタッチしていくためには、やはり言語をや紋切り型の言葉を超えたところに、自分の意識を向けることでしか到達し得ないことがあるのだ、ということを知ることから始めるより仕方ありません。
自分自身でさえも驚いてしまう、そんな行動を積み重ねていくことを見つめていきましょう。人生は実験です。自分の衝動に素直になって、白黒つけずにトライを積み重ねていってもよいではないか、と自分自身の背中を強く押してみます。
まとめ
- 「本当にやりたいこと」のウソ?――言葉で定義できること、いまたまたま定義できること、から少し距離を取ってみるのはいかがでしょうか。
- 衝動とは何か?――うちからおこる長期的なモチベーションで、自らもコントロール不能なことです。
- いかに、衝動をとらえるか?――欲望の深さを自ら素直に既成の概念や言葉よりもっと自分らしく見つけてみることを目指すべきです。
