【目的は絶対か!?】目的への抵抗―シリーズ哲学講話―|國分功一郎

目的への抵抗―シリーズ哲学講話―
  • コロナ禍で「不要不急」という言葉が叫ばれる違和感を感じる時、次を生きる私たちは何を問うべきでしょうか。
  • 実は、行政による「自由の阻害」をやすやすと受け入れてはいけないのかもしれません。
  • なぜなら、奪われた権利は、簡単には取り戻せないからです。
  • 本書は、國分功一郎さんによる、哲学講座を収録した1冊です。
  • 本書を通じて、私たちが生きる社会に対して、新しい問いを持つことが可能です。
國分功一郎
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三権分立の真実に迫る!?

日本において、三権分立は、国会が「立法権」、内閣が「行政権」、裁判所が「司法権」をもっています。通常、これらの権利はそれぞれが同程度の力を発揮し、均衡しているように表現されます。

ただ、実は、それは実態から乖離しているものです。

実際には、行政権は非常に強力です。

法律で定めることには限界があります。つまり、法律の大きな枠組みの中で、「現場」が最適解を見出しながら運営していくことが、必要になります。立法が決定して、行政が実行するだけではなく、さまざまな決定を行政は行っているとも言っていいのです。

立法は文章のため、かならず解釈の余地が生まれ、その幅を強権行使に使うことだって可能なはずです。

行政権には強大な権力がる。だからこそ、行政権は立法権に従属するという原則が必要である。確かに法律には限界があるにせよ、なんとかして行政を管理する政治体制が必要である。

20世紀最悪の「例外状態」

コロナに際して、行政は例外状態を作り、自由を奪いました。たしかに、人命を守るためには、「不要不急」の発動もやむなしだったかもしれませんが、これを素直に受け入れてしまう危険性と、もう一つ、生存だけが価値の社会の是非についても私たちは、考えなくてはならないのです。

コロナにおける行政の自由への介入とは何だったのか!?

ある種「生存」のみの価値を認める社会になってしまっていたというのが、行政の一人ひとりの自由を奪い続けた社会の様子だったのではないでしょうか。

これについて、やはり私たちは一定程度の「違和感」を唱えなくては、ならないはずです。権利は失われしまえば、もう一度、取り戻すことが難しいためです。

一度、オンライン会議が設定されてしまえば、なかなか、それがない世界というのに戻ることは難しい・・。

私たちは、もっと自分自身の「自由」について、検討する必要があります。

とはいえ、人は自由を求めているようでもあり、でも自由になれば、それはそれで制約を求めるような生き物です。暇になれば、退屈するようになり、暇を嫌ってしまう・・あまのじゃく。

過去の投稿「【パンだけでなく、バラのある生活?】暇と退屈の倫理学|國分功一郎」で取り上げさせていただいた1冊において、國分功一郎さんは、こうした現代における自由について言及してくれました。

人間は放って置いても、何かを楽しめる生き物ではないのです。ではどうするか――。

人間は広い意味での勉強をしなければ楽しめない。勉強をして、つまりは楽しみ方を学んで楽しめるようになることが、この矛盾を乗り越える鍵である。

8.生存以外の価値を人々は求めているのか

経済成長とか、モノによる充足とか、それを象徴するような「いつかはクラウン」のような、そういう「大きな物語」が不在の現代において、ひとつの生き方になりうるのだと思います。

「大きな物語」がない中、私たちは、どのように生きていくことが理想でしょうか。

何か価値が信じられていないと、やはり社会がグダグダになってしまうのではないか。そして一人ひとりの生についても守るべきラインを守れなくなってしまうのではないか。

8.生存以外の価値を人々は求めているのか

だから、価値を主体が求めるかどうかというよりも、何らかの価値を信じることが必要なのだ

価値の存在を認めた上で、それが、一人ひとりが信じられるものであるかどうか、を考えるきっかけが求められているのではないかと思います。

人生は短くも、長い、そういう時間を問いながら生きていかなければならない現代人に対して、本質的な問題提起をしてくださっているのだと感じます。

それでも、異を唱えなければならない!?

行政の自由への介入に対して、異議を申し立てることは、有効なのか・・について、國分功一郎さんはガンジーの言葉を引用し、考えを説いてくれています。

よく思い出すマハトマ・ガンジーの言葉があります。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それだもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。

14.主張を訴えたとして、社会は変わるものなのか?

意見を表明したり、考えたり、話たりする限り、「もうこれで仕方ないんだ」と思い込むような人間に陥るのを避けることができるのではないでしょうか。

そうした、自分の自由を守る抵抗力を、守り続けていく時代なのかもしれません。

まとめ

  • 三権分立の真実に迫る!?――圧倒的に強力な行政権の例外を認め続けてはなりません。
  • コロナにおける行政の自由への介入とは何だったのか!?――私たちにどのように生きるのかを問うています。
  • それでも、異を唱えなければならない!?――「もうこれで仕方ないんだ」と思い込むような人にならないような防波堤を築きましょう。
國分功一郎
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