【そんな先入観、楽しくぶっ壊せ!!】アート思考のドリル|若宮和男

アート思考ドリル
  • 自分の考え持ててますか!?人はバイアスによって、ほっておけば金太郎飴みたいな価値観になります。
  • 実は、そんな時に、アート思考のアプローチが大切かも!
  • なぜなら、アート、特に現代アートは、「疑い」から生まれるからです。
  • 本書は、建築家、東大のアート研究者として知られる若宮和男さんが、さまざまな問いかけからアート思考について、体感を通じて語ってくれます。
  • 本書を通じて、自分のバイアスを客観視するとともに、思考の枠組みをぶっ壊してくれるでしょう!

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若宮和男
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世の中は「不良設定問題」にあふれている

まず、私が注目したのはこのキーワードです。

このように、1つの決まった答えが導けない問題を「不良設定問題」と呼びます。
「不良」といっても「悪い」ということではなく、「消化不良」などと同じく、「不十分」というような意味です。そう、この問題が解けないのは、実は「問題のほうが十分ではないから」なのです。

WORK02 点を結ぼう

「この問題」とは、【点A・        ・点B】があって、
Q)点AとBを結ぶ、最も短い線を引きなさい。という問いと、
Q)点AとBを結ぶ、最も長い線を引きなさい。という問いが出されるというもの。

短い線は、直線ですが、最も長い線、は?です。

この問いは、もっと条件がないと答えられないのです。たとえば、紙面からはみだしてはいけないとかそういう。

それで、この「不良設定問題」ではぁ?となるわけですが、若宮和男さんは、世の中こういう解けない問題ばかりだと言います。

こんな解けない問題にアプローチするのをAIはとても苦手だそうです。条件設定が無限なので、わからなくなってしまうんですね。しかし、人間はそうじゃない。いい意味で、「直感」という実にあいまいな機能を働かせることができるので、エイヤっと答えが出せちゃう。これを「ヒューリスティックス」と呼ぶそうです。

じつは、芸術家は、この「不良設定問題」を起点に、創作活動をはじめるそうです。

「不良設定問題」は無限の可能性を持っていることに向き合いながら、自分の感覚や経験を総動員しながら、解けない問題に取り組み始めると次第にそれが、形や概念となってたち現れていくる。これが私たちがアートと呼ぶものになるのです。

そして、その「つくる」という「過程」を通して、芸術家は「自分らしさ」というものを獲得するのだそうです。

本書は、実はいくつかのワークが設定されていて、この点AとBを結ぶのもそのひとつなのですが、私は、このワークこそが、本書の主題であると考えました。

極めて曖昧な「問い」を、いかに自分の感性や感覚を通じて、より具体的に捉えていく「疑いへの過程」を大切にできるか?ということを、さまざまな角度から若宮和男さんは語ってくれているように感じたのです。

「疑いへの過程」を一歩だけ歩んでみると・・

例えば、次にあげるような3つの視点も、「疑いへの過程」への道筋を付けてくれているようです。

そもそも、アートおける「ジャンル」とはなにか!?

現代アートは、ぱきっと、絵画や彫刻かわからないような作品が数多くあります。

「インスタレーション」というジャンルもできていたり。

で、ここで疑いたくなるのが、ジャンルって何?ということです。

新しい価値はいつも、名前のつけようのない、マージナル(境界事例的)なところに生まれます。それは名づけづらく不安定で異質なものに見えますが、だからこそ価値を革新するのです。

WORK06 絵画か彫刻家、それが問題だ

「バウンダリースパニング」という、境界線に位置する人材が「名前を付けられてジャンルとして」注目されたことがありました。そして、いまや、ジョブ型社会を志向して、パラレルワークなどにも脚光があたっています。

社会は、変革期というか、「変革を求める期」なのかもしれないですね。

そもそも、アートにおける「修復」とはなにか!?

アート作品も時間とともに変化します。そのどれかが「本当のすがた」でどれが偽りのすがただと決めること自体に無理があるのかもしれません。

WORK10 修復も色々

アートは経年劣化していきますが、その過程も含めてもしかしたら作品なのではないか、、と思ってみると、そうすると修復とは何なのか?という疑問に行き着きます。

佐々木健一の『美学辞典』によると、アートは「予め定まった特定の目的に鎖されることなく、技術的な困難を克服し常に現状を超えてゆこうとする精神の冒険性に根ざし」とあります。その価値基準はほかのどんなものよりも変化し続けており、変化し続けることこそがその価値だと言ってもよいほどです。

WORK10 修復も色々

不思議とここでも仏教の「無常」という概念にリンクします。これは、次の「お持ち帰り」についても、同じような論点が語られています。

そもそも、アートは、「お持ち帰り」できるのか!?

「作品の境目」はアート作品にとって常に安定したものではそもそもなく、むしろ額縁や台座のような「境目」こそが人為的な「持ち帰り」の工夫だった、と言うべきかもしれません。

WORK11 アートは「お持ち帰り」できる?

バンクシーのアート作品は、街に神出鬼没に描かれますが、あれを持ち帰ることは可能なのでしょうか!?

その場にあるからこそ、アートなのであって、それをそこから切り離して、成立するのか、疑いたくなります。

現代アートはこのような感じで、3つの常識を疑うといいます。

1)自立性・・作品はここからここまでという境目があいまい。
2)作者性・・アートは作者と見るものの間で、構築されるもので、作者だけで作られるものではない。
3)完結性・・時間で刻々と変化していくものという作品もある。

これら3つの枠組みの疑いは、それぞれ現代アートの芸術家の挑戦でもあるといいます。

ところで、あえて、「そもそも」でつないでみましたが、そもそもという言葉のなんと奥ゆかしいこと。根本的なことを疑うために、わざわざ「そもそも」なんて不思議な擬態語を持っている民族もそうそうないのでは、ないでしょうか!?

あえて、「そもそも」を大切にしても良いかもしれないね!という意味合いで、乱発してみました。

「不良設定問題」に取り組むヒント

アート作品とは作者が作ったものなのは、確かなのですが、そこに観察者という立場の人がいなくては、アートとして成立しません。

こういった意味では、アートもコミュニケーションなのだと思います。

コミュニケーションであるならば、双方向性があってしかるべきす。

芸術家は自分が思うとおりに作品をつくるのではなく、つくる過程の中でさまざまな刺激を受けて変化しながら、作品を生み出していくのです。そして作者は作品の制作によって変化し、作品によって改めて作者としての「自分」に出会い直します。このような相互作用的なあり方が「中動態」です。

WORK11 アートは「お持ち帰り」できる?

私は、この「中動態」という態度をとることこそに、「不良設定問題」に取り組むヒントがあるのではないかなととらえました。

誰しも、手を動かしていたり、人と会話している時に、自分でない自分が出現して、思考が飛躍したり、考えの幅が広がることを経験していると思います。そこには多分、自分と他者、あるいは自分と自分のコミュニケーションがあって、それが常に移ろいで行く中で、新しい考えや概念が常に生成されているんだと思います。

そして、リアルな場、と、リアルタイムを、もっと信じてみようと思うのです。

若宮和男さんは、コチラの本もとてもおすすめです。詳しくは過去の投稿「【自分起点で働くには?】ハウ・トゥ アート・シンキング|若宮和男」もご覧ください。

まとめ

  • 世の中は「不良設定問題」にあふれている――答えのない不十分な問いに向き合ってみましょう。
  • 「疑いへの過程」を一歩だけ歩んでみると・・――合言葉は「そもそも」です。
  • 「不良設定問題」に取り組むヒント――「中動態」を信じてみましょう。

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