【「知の巨人」の発想法・思考法とは!?】こうやって、考える。|外山滋比古

こうやって、考える。
  • 発想法や思考法について考えてみたいけど、本をまるまる一冊読むのは大変だなぁと思うことはありませんか!?
  • 実は、そんな方にこそ、この本がおすすめです。
  • なぜなら、東大生の愛読書と言われる『思考の整理術』の著者であり、「知の巨人」と呼ばれる外山滋比古さんの著作のエッセンスをまとめた書籍だからです。
  • 本書では、1ページに1つのキーワードと文章で、極めて完結に、しかも書籍横断的に著者の考えに触れていくことができます。
  • 本書を読み終えると、著者がまさに提唱していた「乱読」や「一生懸命にならない知識との向き合い」を疑似体験できると思います。

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外山滋比古
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本書は7章で構成されていて、以下のように発想法や思考法に関するエッセンスが展開されます。

1)発想力を鍛えるヒント
2)思考のプロセス
3)思考力を高める方法
4)知性を磨く生活
5)思考につながる読書
6)発想が豊かになる”おしゃべり”
7)未来を創るヒント

今回の投稿では、この内、3つのエッセンスを抽出して、自由に考えてみたいと思います。

おとどく心を維持する

発見するには、成心があってはならない。何とかして発見してやろうというような緊張があってはならない。かたくなな心ではだめである。心を半ば空しくしている必要がある。純真で、素直でなくてはならない。ものにおどろく心を失わないようにしなくてはならない。目をふさいで新しいものを発見しようとしても無理である。目をあけていても、一つの方向に釘づけされていては充分に見ていることにはならない。

『ライフワークの思想』

広告会社でも、中小企業診断士でも、仕事をしていると、ルーティン化している業務にあたります。たとえば、いつものレポーティング作業とか、定例ミーティングとか、そういうやつです。そして、そんなルーティン化している「作業」については、参加者のモチベーションもどうも下がり気味だと思います。

でも、じつは、こんなルーティンで行ってしまっている「作業」の中にも、思考のヒントは大いに隠れているようにも思えます。

たとえば、些細な売上変化に気づき、その内容を詳しく突き止めてみるとか、あるいは、定例ミーティングに当日の新聞の議題を差し込んでみるとか、そういう小さな変化を見逃さない、あるいは小さな変化を促すことも、とても重要なのではないかなと思います。

あとは、決めつけはよくないなと思いました。

ルーティンに近いのですが、パターンというのも仕事をしてくると見えてきてしまいます。「あ、これはいつものパターンだ!」と思って、その前提で、現象やお客様に向き合ってしまうことって、どうしても人間の思考の作られ方からすると避けられないバイアスではあります。

でも、こうして決めつけてしまっていては、それ以上のことに気づくことができずに、本来の姿を見失ってしまいます。氷山の一角という言葉があるように、情報で削り取られてしまった本当の姿を創造するには、小さな一角にも気づけるだけの純真さが必要なのでしょうね。

忘れることを怖れない

悪い忘却ばかりではなく、有用な忘却もある。忘却は、悪玉だけでなく、善玉忘却も存在する。悪玉忘却は頭のはたらきの衰えであるが、善玉忘却は頭のはたらきをよくする。忘却を一概に怖れ、嫌うのは間違っている。善玉忘却を認めないのは偏見であると言ってもよい。忘却によってわれわれの頭はよくもなるし、また、力を失うことにもなる。

『知的生活習慣』

アンラーンという言葉が最近聞かれるようになってきました。アン+ラーンなので、ラーンしない、つまり、学ばないという言葉です。どちらかというと、学ばない姿勢ではなく、「これまで、蓄えてきた知識を、あえて手放す」という意味合いで使われているようです。

過去の投稿「【最も応用の効く能力とは?】観察力の鍛え方|佐渡島庸平」でもアンラーンが登場しました。編集者として、バイアスの存在を意識しながら、新しい発見をするために、意識的に手放すアンラーンも有用ということでした。

そもそも、「知識がある」とはどういうことなのでしょうね。

たとえば、ビールがここにグラスに注がれてあるとして、それをビールだと知っているということが知識があることだと仮定する。でも、このビールは、もしかしたらその後の変化で、はじめおもっていたビールではなくなっている可能性があります。気が抜けたり、発酵が進んだり、もしかしたら、誰かに飲まれてしまっているかもしれません。あるいは、ビールであることは正しいけれど、もしかしたら、ラガーだったり、ノンアルコールだったり、そういうレイヤーへの気付きが、実はなにか新しいものへの入り口だったりするかもしれません。

いろいろ考えてみると、知識があるというのは、絶えずゆらぐ世界の中で、相対的になんとも曖昧なものであると気づくことができます。そして、往々にして知識は、これまた曖昧な言語と強く結びついていますので、相当なゆらぎをもって、私たちに認識されているものだと考えるべきかもしれません。

移ろいでいく世の中を、固定的に捉えようとしてもそこに意味はない。というのが、著者の見解なのかもしれませんね。そして、アンラーンの真髄というのは、こういう世界観を前提にしているのかもしれません。

ヒマな時間をもつ

忙しい人だけが、本当にヒマな時間をもつ。ヒマな人がヒマを感じることはできない。

『人生を愉しむ知的時間術』

このヒマでピンとくるのか、「【パンだけでなく、バラのある生活?】暇と退屈の倫理学|國分功一郎」です。ヒマがなければ、人類が気晴らしに文化を生んだような楽しい活動ができませんからね、働きすぎは考えものです。貴族になることはできませんが、もう一度、退屈しない人生というのも考えてみたいものです。全てにひらかれるようにして・・。

まとめ

  • おとどく心を維持する――毎日、毎時が新しいことがらへの気付きがあるかもしれない!という純真な気持ちを持ってみましょう。
  • 忘れることを怖れない――あいまいな知識に流されるのではなく、あるがままの世界を見てみましょう。
  • ヒマな時間をもつ――ヒマを楽しんで、文化を享受する余裕をわすれずに!
  • この他にも、著者のエッセンスがたっぷり詰まった1冊です。ちょっとした細切れヒマ時間の最高のお供になります!繰り返し読んでいきたい、おすすめの1冊です。

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