【ものごとを考えるための人類学的ヒントとは?】文化人類学の思考法|松村圭一郎,中川理,石井美保

文化人類学の思考法
  • 働き方や、生き方について考えざるをえない時代を私たちは生きています。先例がない時代にいかにものごとをとらえ、そして思考していけばいいのでしょうか。
  • 実は、文化人類学のものごとのとらえ方を知ると、そこに考えるヒントが見えてきます。
  • なぜなら、文化人類学とは、複雑な世界について、一見無関係にみえることを比較対象にしたり、私たちが通常「常識」と捉えることをあえて疑ってみたり、と、思考の枠組み設定からして非常にユニークなのです。
  • 本書では、さまざまな切り口で、文化人類学の思考の枠組みが紹介されます。
  • 本書を読み終えると、文化人類学的新たな思考法を手に入れ、自分の働き方や人生について、フリーハンドで考えるヒントを得られるかもしれません。あるいは、自分の人生だけではなくて、コンサルティングの現場でも生きる思考法であるかもしれません。
松村圭一郎,中川理,石井美保
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文化人類学による思考の手がかりを得ましょう。

文化人類学者は、いろんな現場であらゆることに首を突っ込み、たくさんの出来事に直接関わろうとする。

はじめに すべての考える人のために

生き方を根底から考える時代だと言われます。たとえば、人生100年時代。昔の人は、とっくに亡くなっていたかもしれない年代を、なんなら、働きながら生きなくてはならない時代です。第2、第3の人生のあり方を考える必要があります。そこに先人のお手本はなく、私たちが自ら開拓しなければならない地平です。

さらに、働き方まで大きく変わろうとしています。ジョブ型社会のあり方も議論されています。これまでとは全く異なる労働観をどのように作っていけばいいのか。

この考える機会に立ち向かうために、新しいものごとの見方、考え方が必要になります。

文化人類学者は、フィールドワークを通じて、未開とされる文化の中に入って、自ら寝食をともにしながら、比較を通じた共通点と相違点を見出しながら研究を進めます。研究の中で、一見、無関係に見えることを比較してみたり、常識と考えられていたことを疑ってみることで思考を進めていきます。

本書では、そんな新しい地平を拓く必要のある私たちに、文化人類学者がさまざまな投げかけを通じて、ものごとを考えるヒントをくれます。

本書内で紹介されるさまざまな切り口のうち、この投稿では、2つをトピックスとして取り上げます。

「モノと芸術(渡辺文)」、「贈り物と負債(松村圭一郎)」です。

芸術とはなんだろうか?

実用目的で着用しているメガネ自体は芸術ではないが、それをいったん美術館に並べることに成功し、作品として意味を歴史や理論にのっとって説明し、人々をまきこむことができたのなら、まったく同じそのメガネは芸術としての<メガネ>になるのである。

「なにが芸術か」から「いつ芸術になるか」へ

2016年5月サンフランシスコ現代美術館に突如として現れた作品?が世界を騒がせました。それは床に置かれた「めがね」でした。でも場所が場所だけに、観覧者は、芸術作品なのではないかという考えのもと、しげしげと観察する人が続出しました。

でもこれは、単なるいたずらだったというのが結末なのですが、同時に、芸術・芸術作品とはなんなのかという問いかけを人々に与えました。

芸術作品は、何が何と行為しあったのかというネクサス(関連づけ)をつくりだし、引き続く行為を方向づけるが、このネクサスの発生こそが、芸術作品の働きによる社会的効果である。

世界を変える、豊かに生きる

このパートの著者である渡辺文氏は、アルフレッド・ジェルの研究を引き合いに出します。

ジェルは、芸術を美や象徴を運ぶ箱であるという従来の見方を否定します。

そうではなく、芸術とは、象徴ではなく指標であると言います。

指標というのは、難しい言葉遣いですが、観る者に対して、「みずからがこの世界に現れるにいたった過程(因果関係)を推論するよう促す行為体」のことです。

そのものに見入った時、なんで私はここにあるのか?を究極的には投げかける存在であるとも言えるでしょうか。

たとえば、観る者がその作品の出現過程を思い描けない時、「どうしたらこんなものが生まれたの?」と衝撃にも近い感情を生み出させられます。これこそが芸術に魅了される感覚だとしています。

だから、芸術はそのもの自体ではなく、それが生み出された過程にどのような行為があったのかというネクサス(関連づけ)に依拠するということです。

贈与で社会ができているとはどういうことか?

贈与交換は人と人をつなげ、商品交換は関係を切り離す。

贈り物と商品――現実はどう生じているか?

未開の土地を文化人類学者の多くが調査する時、そこには共通して、贈与(プレゼント)の習慣が、必ず存在するそうです。

現代人もプレゼントを行います。

たとえば、バレンタインのときには、チョコレートを贈り、1ヶ月後のホワイトデーには、返礼の品を贈ります。

こうした、「贈与」が社会を構成する重要な役割を果たしていると言います。

なぜなら、この「贈与」は人と人をつなぐからです。「贈与」をされた側は受け取る義務と、返礼の義務が課せられます。そしてそれを返さなくては、関係性に不均衡が生じます。人は、この不均衡に敏感になり、互いに「贈与」をし続け、関係性が続くのです。

一方で、「贈与」ではなく、買うという行為は「交換」としてとらえられ、これはつながりを切る作用があります。

よくあるのは、モノやサービスとお金を交換する機会です。

私たちは、「贈与」と「交換」を実はうまく使い分けながら、縁をつなげたり、切ったりして、社会を構成しているということです。

まとめ

  • 文化人類学による思考の手がかりを得ましょう。――そもそもを考える必要のある現代人にとって、文化人類学者の思考法がヒントになります。
  • 芸術とはなんだろうか?――芸術作品とはそのものではなく、そのものがいかにして生まれたかの出現過程を推論することを通じて、自分の存在自体がなぜあるのかにまで思考を至らせる力を持ったものです。
  • 贈与で社会ができているとはどういうことか?――「贈与」は人と人をつなげる一方、「交換」は人と人を切ります。これらを使い分けて、私たちは社会を構成しています。

文化人類学は当たり前を疑う学問だと思います。常識を疑うことこそ、これからの予測不能な社会を自分らしく生きていくことにつながると思います。しかし、文化人類学者の言葉は難しい。言葉づかいも含めて、概念の予想を超えてきます。

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