道元は、どうやって仏教を再発見したか!?『禅のすすめ 道元のことば』角田泰隆

『禅のすすめ 道元のことば』角田泰隆の書影と手描きアイキャッチ
  • 私たちは「いつか理想の自分になれる」と信じて、日々努力を重ねています。スキルを磨き、知識を増やし、経験を積むことで、今よりも優れた自分に近づけると思っています。
  • でも、実は、その「なろうとする」姿勢そのものが、本当の成長を妨げているのかもしれません。
  • なぜなら、「理想の自分」を追い求めることは、「いまの自分」を否定することだからです。
  • 本書で道元禅師は、「真の仏」とは遠くにある理想ではなく、いま、正しく行ずる、その行為そのものだと説いています。
  • 本書を通じて、「なろうとする」から「行う」へという根源的な転換を理解し、当たり前を疑い、新しい道を切り開くパイオニアの姿勢を学ぶことができます。
角田泰隆
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前回は角田泰隆さん著書『禅のすすめ』を通じて、道元が説いた、禅について理解を深めてきました。今回は、そもそも道元は何を行ったのか?その視点や考え、実践を、当時の仏教観もまじえ、考えてみたいと思います。

前回の投稿はこちら「ただ今あるということを知るには!?『禅のすすめ 道元のことば』角田泰隆」からご覧ください。

「真の仏」という革新――目指す存在から、行う行為へ

道元禅師が示した最も革新的な視点は、「真の仏」の定義にあります。

多くの人は、仏を「目指すべき理想の存在」だと考えます。

悟りを開いた特別な人。私たちとは次元の違う、完璧な境地に到達した人。そういう「仏」になるために、修行をする。

これが、一般的な仏教観です。

でも、道元は全く違う視点を示すんです。

道元は、日常生活におけるあらゆる行為が仏を行うことであり、正しく行ずることそのものが仏の姿だと説きました。

仏のあり方を見ているのは、仏のような生き方をしている人が仏なのです

仏は、遠くにある理想の存在ではない。
いま、正しく行為をしている、その人そのものが仏なんです。

これは、極めて革新的な定義です。

従来の仏教では、「悟り」という到達点があって、そこに至るまでの道のりが「修行」でした。

つまり、「いま」と「理想」の間には、明確な距離がある。

その距離を埋めるために、努力を重ねる。

これが、目的志向の修行です。

でも、道元はこう言います。

本当に正しく行ずることを行って、やはり仏とならないという人は、実は仏そのものなのです

正しく行ずる。

ただそれだけで、すでに仏なんです。「仏になろう」と思わなくていい。「仏になれたかどうか」を確認しなくていい。

ただ、いま、目の前のことを、正しく行う。それが、仏を行うということなんです。

これは、「目指す存在」から「行う行為」へという、根本的なパラダイムシフトです。

どこかに仏のような立派な存在が方々にあるのではなく、仏とはそのように修行がなされているあたたくだけを指すのです

仏は、どこか遠くにいる特別な存在ではない。

修行が行われている、その場所、その瞬間にこそ、仏がいる。

つまり、修行と仏は、別々のものではないんです。

修行することが、そのまま仏を行うこと。

これが、道元の示した「真の仏」の姿です。

現代の私たちは、常に「理想の自分」を追い求めています。

もっとスキルを身につけた自分。もっと成功している自分。もっと充実した人生を送っている自分。

そういう「未来の理想」のために、「いまの自分」を犠牲にしています。

「いつか、理想の自分になれたら、幸せになれる」と。

でも、道元の視点から見れば、それは本末転倒なんです。

理想を追い求めることは、いまの自分を否定することです。

「まだ足りない」「まだ到達していない」と、常に自分を責め続けることです。

そうではなく、いま、目の前のことを、丁寧に行う。

それが、すでに「真の自分」を生きることなんです。

道元は、こうも言っています。

仏のあり方を見ているのは、仏のような生き方をしている人が仏なのです

「いつか仏になる」のではない。

いま、善い行いをしている、その瞬間に、すでに仏を生きているんです。

これは、単なる言葉の言い換えではありません。

生き方そのものの転換なんです。

「なろうとする」から「行う」へ。
「到達する」から「実践する」へ。
「未来」から「いま」へ。

この転換こそが、道元が示した革新の核心です。

当たり前を疑う勇気――仏教史の文脈から見た道元の挑戦

道元の革新性を理解するには、仏教史の大きな流れを知る必要があります。

仏教は、大きく分けて「小乗仏教」と「大乗仏教」という二つの流れを経て発展してきました。

小乗仏教は、個人の解脱を目指します。自分自身が悟りを開き、苦しみから解放されること。これが、修行の目的でした。

しかし、やがて「それは自己中心的ではないか」という批判が生まれます。

自分だけが悟ればいいのか。他の人々を救わなくていいのか。

そこから生まれたのが、大乗仏教です。

大乗仏教は、「すべての人を救う」という理想を掲げました。自分だけでなく、他者も共に救われる道を目指す。これが、仏教の「進化」だとされてきました。

小乗から大乗へ。
個人の解脱から、万人の救済へ。

これが、仏教史の「当たり前」の流れだったんです。

道元が生きた鎌倉時代、この「大乗」という理想は、すでに仏教界の常識になっていました。

念仏は、阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生することで、万人が救われる道を示しました。密教は、即身成仏の秘法で、この身のままで仏になる道を説きました。禅は、師との問答を通じて、悟りへの道を切り開こうとしました。

それぞれが、「どうやって悟るか」「どうやって救われるか」という問いに、独自の答えを示していました。

でも、道元は、その「当たり前」に疑問を持ったんです。

そもそも、「悟る」とは何なのか。
「救われる」とは何なのか。
「仏になる」とは、何を意味するのか。

道元は、比叡山で修行していた若い頃、こんな疑問を抱いたと言われています。

「本来本法性天然自性身ならば、なぜ諸仏は発心し修行しなければならないのか」

もし、私たちが本来、仏性を持っているのだとしたら。
もし、私たちがすでに完全な存在なのだとしたら。
なぜ、修行が必要なのか。
なぜ、悟りを「目指す」必要があるのか。

この問いは、仏教の根本を揺るがすものでした。

当時の仏教界には、この問いに答えられる人はいませんでした。

だから、道元は宋に渡ったんです。

答えを求めて、海を越えた。

そして、如浄禅師と出会い、「身心脱落」という体験を得ます。

この体験を通じて、道元は気づいたんです。

修行と悟りは、別々のものではない。修行することが、そのまま悟りなんだと。

これは、小乗でも大乗でもない、第三の道でした。

小乗は「個人の解脱」を目指す。
大乗は「万人の救済」を目指す。
どちらも、「目指す」という目的志向です。

でも、道元は、その「目指す」という前提そのものを疑ったんです。

目指さなくていい。
到達しなくていい。
ただ、いま、正しく行ずる。
それが、すでに仏を生きることなんだと。

これは、既存の仏教の枠組みでは理解できない視点でした。

だから、道元は理解されなかった。

比叡山からも、京都の仏教界からも、距離を置かれた。最終的には、越前(現在の福井県)の山奥に、永平寺を開くことになります。都から離れた、人里離れた場所で。

でも、それは敗北ではなかったんです。

むしろ、道元にとっては必然だったのかもしれません。

既存の枠組みの中では、新しい道は切り開けない。

当たり前とされているものを疑い、自分なりの答えを示すこと。

それには、孤独に耐える覚悟が必要だったんです。

道元の挑戦は、単に新しい宗派を作ることではありませんでした。

「修行とは何か」「悟りとは何か」「仏とは何か」という、仏教の根本的な問いを、もう一度問い直すことでした。

そして、その答えを、理論ではなく、実践で示すこと。

只管打坐という、シンプルで、しかし深遠な実践を通じて。

これが、道元というパイオニアが切り開いた道だったんです。

当たり前を疑う。

既存の枠組みに安住しない。

自分なりの答えを、実践で示す。

道元の生き方は、時代を超えて、私たちに問いかけています。

「あなたは、何を当たり前だと思い込んでいますか?」と。

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パイオニアの条件――当たり前をアップデートする姿勢

道元の生き方から、私たちは「パイオニア」の本質を学ぶことができます。

パイオニアとは、単に新しいものを作る人ではありません。
当たり前だと思われていることを疑い、その前提そのものを問い直す人なんです。

道元の場合、それは「悟りを目指す」という仏教の大前提でした。

小乗であれ、大乗であれ、念仏であれ、密教であれ、禅であれ。

すべての仏教は、「悟り」という到達点を設定していました。

そこに至るための方法論は違っても、「悟りを目指す」という構造は同じだった。

でも、道元は問うんです。

「本当に、悟りは『目指すもの』なのか?」と。

この問いは、当時の仏教界にとっては、理解しがたいものでした。

なぜなら、「悟りを目指す」という前提を疑うことは、仏教そのものを否定することに思えたからです。

でも、道元は、否定しようとしたわけではありませんでした。
むしろ、仏教の本質を、より深く理解しようとしたんです。
そして、彼が到達したのは、「目指す」から「行う」へという転換でした。

これは、仏教の「アップデート」だったんです。

現代の私たちも、様々な「当たり前」の中で生きています。

「成功するためには、目標を設定し、計画を立て、努力を重ねるべきだ」
「キャリアを積むためには、スキルを磨き、実績を作るべきだ」

「幸せになるためには、お金を稼ぎ、地位を得るべきだ」

これらは、現代社会の「常識」です。

疑う余地のない、当たり前の価値観とされています。

でも、本当にそうなのでしょうか?

道元が「悟りを目指す」という前提を疑ったように、私たちも、自分の中の「当たり前」を疑ってみる必要があるんじゃないでしょうか。

目標を達成することが、本当に幸せにつながるのか。
より多くを所有することが、本当に豊かさをもたらすのか。
「いつか理想の自分になれたら」と先延ばしにすることが、本当に人生を充実させるのか。

道元の「只管打坐」は、これらの問いへのひとつの答えです。

目標を設定しない。
何かを達成しようとしない。
ただ、いま、目の前のことを、丁寧に行う。

これは、現代の「成果主義」「目標志向」という常識に対する、根源的な挑戦なんです。

パイオニアになるということは、孤独を引き受けることでもあります。

道元は、京都の仏教界から理解されませんでした。

権力者からの支援も、大きな寺院も、多くの弟子も、最初はありませんでした。

越前の山奥で、ひたすら坐禅を続ける。

それは、傍から見れば、敗北に見えたかもしれません。

でも、道元にとっては、それが「正しく行ずる」ことだったんです。

世間の評価を気にせず。
既存の権威に迎合せず。
ただ、自分が信じる道を、実践で示す。

これが、パイオニアの覚悟です。

現代の私たちも、同じような選択を迫られることがあります。

周りが「常識」だと思っていることに、疑問を感じたとき。

自分なりの答えを見つけたけれど、それが理解されないとき。

多数派に従うか、自分の道を行くか。

道元の生き方は、そんなとき、一つの指針を与えてくれます。

「真の仏」は、遠くにある理想ではなく、いま、正しく行ずる、その行為そのものだと。

つまり、他人の評価や、既存の基準は、本質的には関係ないんです。

大切なのは、いま、自分が正しいと思うことを、実践しているかどうか。

それだけなんです。

道元が切り開いた曹洞禅は、やがて日本の禅宗の一大潮流になりました。

でも、それは道元が「成功」を目指したからではありません。

ただ、正しく行じ続けた結果として、後世に受け継がれていったんです。

パイオニアの条件は、才能でも、運でも、戦略でもありません。

当たり前を疑う勇気。自分なりの答えを見つける誠実さ。そして、それを実践し続ける覚悟。

道元は、これらすべてを体現した人でした。

私たちは、道元のように、新しい宗派を作る必要はありません。

でも、自分の人生において、「当たり前」を疑い、アップデートすることはできます。

「こうあるべき」という既成の価値観に縛られず。

「いつか理想の自分になる」という幻想を追わず。

ただ、いま、目の前のことを、丁寧に行う。

それが、私たち一人ひとりが、自分の人生のパイオニアになるということなんです。

道元は、800年前の日本で、仏教の「当たり前」をアップデートしました。

その姿勢は、現代を生きる私たちにも、深い示唆を与えてくれます。

当たり前を疑う勇気。
新しい道を切り開く覚悟。
そして、ただ正しく行ずる実践。

これらは、時代を超えて、パイオニアに求められる条件なんです。

まとめ

  • 「真の仏」という革新――目指す存在から、行う行為へ――道元は「真の仏」を、遠くにある理想の存在ではなく、いま正しく行ずる行為そのものだと定義しました。「仏になろう」とするのではなく、正しく行うことが、すでに仏を生きることなんです。これは「目指す存在」から「行う行為」へという根本的なパラダイムシフトでした。
  • 当たり前を疑う勇気――仏教史の文脈から見た道元の挑戦――小乗から大乗へという仏教史の流れの中で、「悟りを目指す」という前提は当たり前とされていました。しかし道元は「本来仏性を持っているならば、なぜ修行が必要なのか」と根源的な問いを発しました。既存の枠組みでは理解されず、孤独に耐えながらも、自分なりの答えを実践で示し続けたのです。
  • パイオニアの条件――当たり前をアップデートする姿勢――道元の生き方から、パイオニアの本質が見えてきます。当たり前を疑う勇気、自分なりの答えを見つける誠実さ、そしてそれを実践し続ける覚悟。世間の評価や既存の権威に左右されず、ただ正しく行ずる。その姿勢こそが、時代を超えてパイオニアに求められる条件なのです。
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