- 私たちは、自分の「考え方」そのものを疑ったことがあるだろうか。
- 実は、私たちが当たり前だと思っている思考のパターンは、時代によって作られた「OS」のようなものなんです。
- なぜなら、15世紀の人々と21世紀の私たちでは、世界の捉え方、問題の立て方、答えの導き方が根本的に違うからです。
- 本書は、深井龍之介さんと野村高文さんの対話を通じて、この「思考OS」という概念を提示し、私たちが無自覚に動かしているOSを可視化してくれます。
- 本書を通じて、自分が何を前提に考えているのかを問い直し、複数の視点を持つことの重要性を理解できるんです。
深井龍之介さんは、株式会社COTENの代表取締役CEOであり、歴史を探求するポッドキャスト「COTEN RADIO」のメインパーソナリティを務めています。
歴史を「物語」としてではなく、人類の思考パターンや社会システムの変遷として捉え直す独自の視点で、多くのリスナーから支持を集めています。
深井さんの特徴は、歴史上の出来事を現代の私たちの思考や社会に接続させる能力です。
過去の人々がどのような「OS」で世界を見ていたのかを明らかにすることで、現代人が無自覚に持っている前提を浮かび上がらせます。
野村高文さんは、「COTEN RADIO」の共同パーソナリティであり、深井さんとの対話を通じて歴史的洞察を深める役割を担っています。
本書は、この2人の対話形式で展開されており、一方的な講義ではなく、読者も一緒に考えを深めていけるような構成になっています。
7つの学問領域(リベラルアーツ、物理学、文化人類学、仏教学、歴史学、宗教学、教育学、脳科学)を横断しながら、「視点」という教養の本質に迫っていきます。
気づかれない「思考OS」の存在
私たちは普段、自分の頭で考えていると思っています。
でも本当にそうでしょうか。
実は、私たちの思考は時代が用意した「OS」の上で動いているんです。
パソコンやスマートフォンにOSがあるように、人間の思考にもOSがある。
そして、そのOSは時代によって大きく変わってきました。
本書が提示する「思考OS」という概念は、この無自覚な前提を可視化してくれます。
教養とは知識だけではなくて、何かのスキルでもない。複数の視点を持つこと、もしくは自分で作れることをなんです。そしてそれが、まさに現代人に必要なものではないかと思っています。
深井さんと野村さんは、教養を「知識の量」ではなく「視点の数」として再定義しています。
これは非常に重要な指摘だと思うんです。
なぜなら、私たちは「正解」を増やすことには熱心でも、「見方」を増やすことには無頓着だからです。
15世紀の人々が生きていた世界と、21世紀の私たちが生きている世界では、何が違うのか。
それは単に技術や知識が増えたということではありません。
世界の捉え方そのもの、問題の立て方そのもの、答えの導き方そのものが変わっているんです。
15世紀の人々にとって「神の意志」は疑いようのない前提でした。
何か問題が起きれば、それは神の意志として受け止められ、神の意志に従うことが正しい答えでした。
しかし現代の私たちは、問題が起きれば科学的な因果関係を探し、データを分析し、合理的な解決策を求めます。
これは知識が増えたからではなく、思考のOSそのものが変わったからなんです。
本書では、この「思考OS」の変遷を人類史の大きな流れとして捉えています。
人類がたどってきた「思考OS」の変遷
宗教改革、産業革命、情報革命。
これらはすべて、人類の思考OSが大きくアップデートされた瞬間でした。
そして今、私たちは再び思考OSの転換期にいるんです。
20世紀的な「唯一の正解を求める」思考から、21世紀的な「複数の視点を持つ」思考へ。
この転換を自覚できるかどうかが、現代を生きる私たちにとって決定的に重要だと思います。
興味深いのは、私たちが自分の思考OSを意識することは非常に難しいという点です。
魚が水を意識しないように、私たちは自分が泳いでいる思考の海を意識しません。
「唯一の正解がある」という前提。
「努力すれば報われる」という前提。
「合理的であることが正しい」という前提。
これらはすべて、現代という時代が私たちに与えているOSなんです。
でも、これらの前提は永遠不変のものではありません。
100年前の人々は違う前提で生きていたし、100年後の人々も違う前提で生きているでしょう。
だからこそ、自分の思考OSを意識し、それを問い直すことが重要になってくるんです。
本書が提示する「視点という教養」は、まさにこの問い直しの力を指しています。
ひとつの視点しか持たない人は、自分の思考OSを疑うことができません。
でも複数の視点を持つ人は、「別の見方もあるのではないか」と立ち止まることができます。
この立ち止まりこそが、思考の柔軟性を生み、時代の変化に対応する力になるんです。
私たちは、自分が「当たり前」だと思っていることを疑う必要があります。
その当たり前は、本当に普遍的な真理なのか。
それとも、たまたま今の時代のOSがそう見せているだけなのか。
この問いを持つことができれば、私たちは思考OSに支配される存在から、思考OSを選択する存在へと変わることができるんです。
思考OSのアップデートが起きるとき
では、人類の思考OSは、どのようにしてアップデートされてきたのでしょうか。
本書の対話の中で、深井さんと野村さんは非常に興味深い指摘をしています。
それは「社会の実態が先に変わり、思考OSが後から追いつく」という順序です。
私たちはつい、優れた思想家が新しい考え方を発明し、それが社会を変えていくと考えがちです。
でも実際には、まず社会の現実が変わり、人々の生活が変わり、その後で思考の枠組みが変わっていくんです。
深井:そうですね。思考OSが切り替わるタイミングっていうのは、先進的な人たちによって社会のあり方が変わっていきます。野村 社会が先に変わる?深井 初めは社会の変化が緩やかですけど、思考OSの転換期になってくると、働き方や人と働くことの意味やあらゆることが一気に変わるんです。しかし制度や大衆の考え方はそのままなので、ここに乖離が生じてくる。
この指摘は本当に重要だと思います。
15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパでは印刷技術が普及しました。
これによって聖書が広く読まれるようになり、個人が直接神と向き合えるという考えが広がっていきました。
でも、これは「個人主義」という思想が先にあって印刷技術が生まれたわけではありません。
印刷技術という社会的変化が先にあり、人々の生活が変わり、その結果として思考OSがアップデートされたんです。
同じことは産業革命の時代にも起きています。
工場制度が生まれ、人々が農村から都市へと移動し、時間で働くという新しい生活様式が始まりました。
この現実の変化が先にあって、その後で「労働」や「時間」や「効率」についての考え方が変わっていったんです。
そして今、私たちも同じような転換期にいます。
インターネットの普及によって、情報の流通が根本的に変わりました。
SNSによって、個人が発信する力を持つようになりました。
AIによって、知識や判断の価値が相対化されつつあります。
でも、私たちの思考OSはまだ20世紀的なままです。
「一つの会社で長く働くことが良い」という考え方。
「学校で学んだ知識で一生やっていける」という前提。
「専門家の意見が常に正しい」という信頼。
これらはすべて、20世紀の社会構造に適応した思考OSなんです。
深井:ちょっと思い出したけど、実はそこは、先進的な人たちによってOSが変わる側面と、今後、いつの間にか周りのみんなが持っている価値観が全部変わってしまうことがあるかもしれませんね。
深井さんのこの言葉が示しているのは、思考OSの転換には2つのルートがあるということです。
一つは、先進的な人々が新しい視点を提示し、それが徐々に広がっていくルート。
もう一つは、気づいたら周りの価値観が全部変わっていて、取り残されてしまうルート。
前者は能動的な変化であり、後者は受動的な変化です。
そして多くの人は、後者のルートで思考OSの転換に巻き込まれていくんです。
「いつの間にか世の中が変わっていた」
「自分の常識が通用しなくなっていた」
こういう感覚を持つ人が増えているのは、まさに思考OSの転換期だからです。
本書が強調しているのは、この転換期において「複数の視点を持つ」ことの重要性です。
今までであればOKだったやり方に異論を唱える人がどんどん増えて、内部から爆発が起こる。そのとき人びとは「社会とは何か」「人間とは何か」を再定義しようとします。これはつまり、社会について改めて考え直すときに、それをめちゃくちゃ表現する人物が現れます。するとそれが「まさにそうだ!」として支持されて、社会が一気に崩壊するのです。
社会が大きく変わるとき、「社会とは何か」「人間とは何か」という根本的な問いが浮上してきます。
この問いに答えるためには、一つの視点では不十分なんです。
経済学の視点だけでは見えないものがあり、心理学の視点だけでは捉えられないものがあります。
歴史学、哲学、宗教学、文化人類学。
これらの複数の視点を持つことで、初めて「今何が起きているのか」を立体的に理解できるんです。
そして、立体的に理解できれば、自分の思考OSを意識的にアップデートすることができます。
社会の変化に翻弄されるのではなく、変化を理解し、自分なりの対応を選択できるようになるんです。
思考OSのアップデートは、個人のレベルでも起こります。
新しい環境に入ったとき。
価値観の違う人と出会ったとき。
自分の常識が通用しない状況に直面したとき。
こうした瞬間に、私たちは自分の思考OSを問い直す機会を得ます。
その問い直しができるかどうかは、複数の視点を持っているかどうかにかかっているんです。
ひとつの視点しか持たない人は、自分の常識が通用しないとき、世界が間違っていると考えます。
でも複数の視点を持つ人は、「別の見方をすればこう見えるのか」と柔軟に対応できます。
この柔軟性こそが、変化の時代を生きる力なんです。
本書が提示する「視点という教養」は、知識を蓄えることではなく、この柔軟性を獲得することを意味しています。
そして、その柔軟性は一朝一夕には身につきません。
日々の中で、異なる視点に触れ、自分の前提を問い直し、「そもそも」を疑う習慣を持つ必要があるんです。
複数の視点を持つという新しいOS
では、私たちはどのようにして「複数の視点」を獲得していけばいいのでしょうか。
本書が提示する答えは、リベラルアーツ(教養)を学ぶことです。
ただし、ここで言う「教養」は、試験のために暗記する知識ではありません。
世界を見る「レンズ」を増やすことなんです。
物理学というレンズで見れば、世界は物質とエネルギーの相互作用として見えます。
文化人類学というレンズで見れば、世界は多様な文化の集合体として見えます。
仏教というレンズで見れば、世界は無常であり、執着が苦しみを生むものとして見えます。
同じ現実でも、どのレンズを通して見るかによって、まったく違う景色が見えてくるんです。
本書では、7つの学問領域を通じて、この「レンズの多様性」を体験させてくれます。
リベラルアーツ、物理学、文化人類学、仏教学、歴史学、宗教学、教育学、脳科学。
これらはバラバラの知識ではなく、すべて「視点を増やす」というひとつの目的につながっています。
今の価値観だけだと、自由に発言できるのが当たり前のように感じてしまいますが、決してそうではない。だからこそ、過去の時代を知ることが、なおさら大切なんでしょうね。
野村さんのこの言葉が示しているのは、歴史を学ぶことの意味です。
歴史を学ぶのは、過去の出来事を暗記するためではありません。
「今の当たり前」が実は時代的な産物にすぎないことを知るためなんです。
民主主義が当たり前だと思っている人は、民主主義の価値を理解できません。
でも、民主主義がなかった時代を知れば、それがいかに特殊で貴重なものかがわかります。
これは歴史だけでなく、すべての学問に共通しています。
物理学を学べば、日常的な「固さ」や「重さ」という感覚が、実は原子レベルでは全く違う現象だとわかります。
文化人類学を学べば、自分の文化の「常識」が、他の文化では非常識だとわかります。
仏教を学べば、「自分」という確固たる実体は存在せず、常に変化し続ける関係性の束だとわかります。
こうした学びは、私たちの思考OSを根本から揺さぶるんです。
「これが正しい」と思っていたことが、実は一つの見方にすぎなかった。
この気づきこそが、思考の柔軟性を生み出します。
深井さんと野村さんの対話で特に印象的なのは、「唯一の正解」から「複数の視点」への転換を、時代の必然として捉えている点です。
15世紀までは、神という唯一の正解がありました。
20世紀までは、科学という唯一の正解がありました。
でも21世紀の私たちは、もはや「唯一の正解」を信じられなくなっているんです。
科学的に正しくても、倫理的に問題があることがあります。
経済的に合理的でも、環境的に持続不可能なことがあります。
個人の権利を尊重しても、社会の調和が損なわれることがあります。
現代の複雑な問題は、一つの視点だけでは解決できません。
複数の視点を統合し、バランスを取りながら、「よりマシな答え」を探していくしかないんです。
そして、この「複数の視点を統合する力」こそが、現代のリベラルアーツの核心です。
本書が読者に提供しているのは、完成された答えではありません。
むしろ、答えを探すための「問いの立て方」なんです。
「そもそも、これは何を前提にしているのか」
「別の角度から見たら、どう見えるのか」
「この問題を、違う学問領域の視点で捉え直すとどうなるのか」
こうした問いを立てる習慣が、思考の柔軟性を育てます。
そして、この柔軟性こそが、変化の激しい時代を生きる私たちに必要な力なんです。
私は本書を読んで、「教養」の意味が根本的に変わったと感じました。
かつて教養とは、社会で認められた「正しい知識」を持つことでした。
でも今、教養とは「複数の視点を持ち、自分の前提を問い直せること」なんです。
知識は古くなりますが、視点を増やす力は一生使えます。
答えは変わりますが、問いを立てる力は普遍的です。
本書のタイトルにある「視点という教養」は、まさにこの新しい教養観を表しています。
そして、この教養を身につけることは、決して難しいことではありません。
日常の中で、「なぜそう思うのか」と自分に問いかける。
ニュースを見たとき、「別の立場の人はどう見るだろうか」と想像する。
本を読むとき、「この著者はどんな前提で書いているのか」と考える。
こうした小さな習慣の積み重ねが、複数の視点を持つ力を育てていくんです。
本書を通じて深井さんと野村さんが伝えているのは、思考OSをアップデートすることの重要性です。
そして、そのアップデートは特別な人だけができることではなく、誰もが日々の実践の中で取り組めることなんです。
私たちは、自分の思考OSを選択できます。
時代に翻弄されるのではなく、時代を理解し、自分なりの生き方を選択できます。
そのために必要なのが、「視点という教養」なんです。
本書は、その第一歩を踏み出すための、最適なガイドになってくれると思います。
教養については、こちらの1冊「偶然こそ、世界のリアル!?『人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」』出口治明」もぜひご覧ください。

まとめ
- 気づかれない「思考OS」の存在――私たちは自分の頭で考えているつもりでも、実は時代が用意した「思考OS」の上で動いています。15世紀と21世紀では世界の捉え方そのものが違うように、私たちの「当たり前」は普遍的な真理ではなく、時代的な制約なのです。自分の思考OSを意識し、それを問い直すことが、現代を生きる第一歩になります。
- 思考OSのアップデートが起きるとき――人類の思考OSは、優れた思想が社会を変えるのではなく、社会の実態が先に変わり、思考が後から追いつく形でアップデートされてきました。今まさに私たちは転換期にあり、20世紀的な「唯一の正解を求める」思考から、21世紀的な「複数の視点を持つ」思考への移行が求められています。この転換を自覚し、能動的に対応できるかどうかが重要です。
- 複数の視点を持つという新しいOS――現代のリベラルアーツとは、知識を蓄えることではなく、世界を見る「レンズ」を増やすことです。物理学、文化人類学、仏教学、歴史学など、異なる学問領域の視点を持つことで、「唯一の正解」ではなく「よりマシな答え」を探す力が身につきます。この「視点という教養」こそが、変化の激しい時代を生きる私たちに必要な力なのです。
