- どうしたら、生きづらい世界でも前に進んでいくことができるでしょうか。
- 実は、価値は無限に創造できるという視点に立つことが、重要です。
- なぜなら、対立ではなく、創造へ向かう視点を手に入れることこそが、世界を変えるから。
- 本書は、経営+教育という新たな視点で、ものごとの見立てをアップデートしてくれる1冊です。
- 本書を通じて、よりよい社会の捉え方を得て、人生を構築していく新たな価値観を育てます。

ゼロサムから脱せよ!?
前回の投稿「私たちを苦しめる先入観とは!?『経営教育 人生を変える経営学の道具立て』岩尾俊兵」に続き、今回もこちらの1冊『経営教育 人生を変える経営学の道具立て』のご紹介を進めていきたいと思います。
前回の投稿では、現代社会の生きづらさの根底にある「ゼロサム思考」の問題点と、それに代わる「プラスサム(ポジティブサム)」の価値観の重要性について論じました。
ゼロサム思考とは、資源や利益が有限であり、誰かが得るものは必ず誰かが失うという考え方です。この思考が個人レベルでは承認欲求の競争や自己成長の比較による嫉妬を生み、組織レベルでは昇進競争や予算配分の争いを引き起こしています。
また、歴史的に見ると、人類は過去に3回の人口減少危機(縄文時代後期、鎌倉時代後期、江戸時代後期)を経験しており、現在は4回目の人口減少期にあります。しかし、過去の危機はいずれも新たな技術や社会システムの導入によって乗り越えてきました。
本質的な突破口は、「価値有限思考」から「価値無限思考」へと視点を転換することにあります。地球の資源は有限でも、その組み合わせ方や活用の仕方は無限であり、それによって新たな価値を創造できるという認識が重要です。
価値というのは、資源と資源の組み合わせ次第で、無限に生み出すことができるという見立てを私たちもインストールしてみましょう。
価値創造の油田と金鉱としての頭脳開発
こうした視点によって、私たちは意見を対立を越えて、建設的な対立と価値創造に向かっていくことが可能になるはずです。
では、具体的に日々の行動や考え方をどのようにしていくことが、視点をアップデートしていくことにつながっていくのでしょうか?
バイアスというのは、非常に強固なもので、完全に払拭することはできません。そしてこのバイアスがあるからこそ、私たちは、固定の思想を運用してしまいます。思考の枠組みに縛られずに、戦いではなく、協調路線を歩むことをどうしたら目指せるのかを考えてみましょう。
重要なのが「哲学レベル」でのディスカッションです。
哲学的という問いを?
哲学レベルのディスカッションとは、「そもそも、人としてどうありたいか、どう生きたいか?」という人生哲学的な問いに向き合っていくということです。
人の存在や幸福について、そもそもを問う姿勢は、思考の枠組みに振り回せれずに、それぞれの場面で、枠組みを使い分けるレベルのメタな視点を提供してくれるようになります。
実は、経営という言葉に、もともと「会社」や「お金儲け」という意味は含まれていませんでした。
経営という言葉が生まれたのは古代中国ですが、周の文王は、公共事業を行うことを、経営すると言いました。
「経」とは、経度緯度の経でありながら、お経の経であるのを想像すれば「どこに、なぜこの事業が必要なのか理由を民衆に説明し、ビジョンを説明する」という意味であると捉えることができます。
そして、「営」は、「どのように仕事を進めればいいのかを指し示す」という意味です。
経営とは、公共事業、つまり人が集まって、みんなのためにものごとをなす時に使われた言葉だったのです。
そこには、「会社」という既存の枠組みや、「お金儲け」という利益創出の意味合いはなく、もっとビジョナリーで、ひとりひとりの人が、そこに積極的に自発的に関係を持ちたくなるような原動力がありました。
こうした「経営」という概念によって、王と民衆という支配する側とされる側の対立を解消しながら、前にものごとを進めていくという発想を実現したのです。
みんなが協力してものごとを進めれば、きっと仕事はあっという間に終わったでしょうし、ひとりでは到底不可能な大きな仕事を成すこともできたでしょう。
しかも、むち打ちをして無理やり働くということではなく、自発的にものごとに関わる機会を提供することだってできたのです。
現代風に言い換えれば、経営という言葉には「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる様々な対立を解消して、豊かな共同体を創り上げる」という本来の意味が込められているといえます。
互いに共創できるような視点を得るためには、思考の転換を促す視点が必要です。

「究極の目的」とは何か?
「抽象的な悩み」を発端にして、具体的な対立する考え同士が生まれています。例えば、抽象的な悩みとして「インフレで飲食店が厳しい」が合った場合、具体的な対立としては、「値上げする」or「値上げしない」という具体策としてたち現れます。
そうではなく、大切なのは「抽象化したありたい姿」を想像して、そこから発想できるアクションを再構成していく視点です。
上記の飲食店の事例では、例えば、「お店を続けられる」というビジョンに展開したとき、「利益率を維持する」ことと「常連さんを逃さない」という論点へのシフトを促すことができるかもしれません。
このような思考の転換を進めていくためのステップは以下のようなものです。
1)自分が抱える抽象的な悩みや問題を「◯◯するか」「◯◯しないか」という構造でまず整理してみます。
2)問題の多くはこの構造“しか”見えていないことによって起こり得るのだと理解してみる。
3)もう一つの論点として、「抽象的なありたい姿」を想定してみます。(「問題」ではないのが重要)
4)そのために、必要なことをいくつか検討してみます。
多くの人は問題解決の三角形における左側の「問題の三角形」しか見えていないために、対立を解消できません。「あれか」「これか」という両立不可能な世界で思考を閉じてしまうわけです。
特に重要な「抽象的なありたい姿」を検討するためには、大切な視点があります。
それは、「究極の目的」とは何か?について触れることです。
上述のセクションにもあった、「哲学レベル」の問いですね。
何のために私は悩んでいるのか?それは何のためなのか?自分は、何をしたいのか?目的は何だったのか?過去から現在、そして未来へと視点をずらしながら、さまざまな角度から検討してみましょう。
究極的には「幸せを絶えず感じながら人生を生きる」ということに向かっていく問いかもしれません。もしいい形で、考えが見いだせなかったら、それをそのまま設定してみてもOKです。
対立ではなく、両立をいかにするか?それが重要です。
ちなみに両立思考については、こちらの1冊「【私たちは、二者択一にとらわれている!?】両立思考|ウェンディ・スミス,マリアンヌ・ルイス」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

こうした意識した視点を持つことによって、私たちは、規定の考え方から脱して、よりよい思考のもと、実現可能な解決策を展開することが可能になるでしょう。
私たちの「苦しさ」の正体は「価値あるものの奪い合い」でした。そして、価値奪い合いは「価値あるものは有限だから他者から奪うしかない」という思い込みから生じています。ですから、価値奪い合いから脱するには「価値創り合い=価値創造」が可能だという思考の転換が必要だったわけです。
他者から奪ったものは、いずれ誰かに奪われてしまうという疑心暗鬼の中で生きるか、
あるいは、自分自身をまるで油田のようにあふれる価値の源泉として捉えて、それを他者と共に分け合えるか、
そうした論点がいま必要なのだと思います。
まとめ
- ゼロサムから脱せよ!?――プラスサムの思想こそ、人の協調というよりよいOSを起動させます。
- 哲学的という問いを?――そもそもを問う視点からものごとを見ることが有効です。
- 「究極の目的」とは何か?――それは幸福を実感し続けられる人生のはずではないでしょうか。
