- 私たちは本当の意味で「豊かな社会」を築けているでしょうか?
- 実は、2011年の東日本大震災は、私たちが当たり前だと思っていた豊かさの基準を根底から揺さぶる出来事でした。
- なぜなら、あの震災が明らかにしたのは、中央集権的なシステムに依存した社会の脆弱性だったからです。電力も物流も情報も、すべてが中央からコントロールされていたために、一箇所が壊れると全体が機能停止してしまう。私たちはその時初めて気づいたんです。本当の豊かさとは、お金をかけることでも、大きなシステムに頼ることでもないということに。
- 本書は、そんな混乱の中から生まれた新しい価値観と、それが導く社会のあり方を丁寧に描いた1冊です。
- 本書を通じて見えてくるのは、「贅沢の再定義」から始まって「可用性の高い共同体」へと向かう、希望に満ちた社会の変化です。
佐々木俊尚さんは、毎日新聞記者、アスキー記者を経て独立し、現在はフリージャーナリスト・評論家として活動されています。ITと社会の関係性について鋭い洞察を持ち続け、デジタル技術が私たちの暮らしをどう変えていくのかを一貫して追求してきました。
本書『そして、暮らしは共同体になる。』は2011年の東日本大震災直後に書かれた1冊です。あの未曾有の災害が私たちの価値観に与えた衝撃を受け止めながら、新しい社会のあり方を模索した記録でもあります。
佐々木さんの視点は常に現実的で建設的です。単なる批判や絶望に終わることなく、混乱の中にこそ見えてくる希望の芽を丁寧にすくい上げていきます。
震災が破綻させた中央集権的な安心
2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
その瞬間、私たちが当然だと思っていた多くのものが一瞬にして失われました。
「震災では福島原発事故への不安がますますあり、その不安をどうとものせいで安心安全な食材を求めるというような対象欲求が一気に顕在化しました」
震災直後、スーパーの棚から食料品が消え、ガソリンスタンドには長蛇の列ができました。電力不足で計画停電が実施され、鉄道は止まり、物流は麻痺しました。私たちは初めて気づいたんです。自分たちの暮らしがいかに中央集権的なシステムに依存していたかを。
食材への不安は特に深刻でした。
原発事故の影響で、何が安全で何が危険なのかわからない。政府や東電の発表を信じていいのかもわからない。
そんな中で人々は自分なりの判断基準を持とうとし始めました。オーガニック食材への関心が急速に高まったのも、この時期です。
でも、これは単なるパニックではありませんでした。むしろ、私たちが長い間見落としていた大切なことに気づく機会になったんです。
中央集権的なシステムの脆弱性を目の当たりにしたとき、多くの人が「もっと身近なところに、確かなものがあるのではないか」と考え始めました。
大企業が作る画一的な商品ではなく、顔の見える生産者が作ったもの。大型チェーンではなく、地域に根ざした店。テレビや新聞の一方的な情報ではなく、信頼できる人からの口コミ。
震災は、私たちの価値観を根底から揺さぶりました。
そして同時に、新しい豊かさの基準を考える契機を与えてくれたんです。
分散する豊かさの発見
震災後の混乱の中で、人々の「贅沢」に対する考え方が大きく変わりました。
従来の贅沢といえば、高級ブランド品を身につけることや、高級レストランで食事をすることでした。つまり、お金をかけることが贅沢の条件だったんです。でも、震災後はそうではなくなりました。
「五感で楽しむ贅沢 それは五感を大事にして、それらを楽しむ暮らしということなのかもしれません」
新しい贅沢とは何でしょうか。それは五感で楽しめる日常です。お金をかけた豪華なインテリアではなく、窓を開けて初夏の風が部屋の中を通り抜けていく心地よさ。
高級食材ではなく、新鮮な野菜を冷水で洗って、まな板の上で静かに刻んでいる時間。
この変化を象徴するのが成城石井の存在です。佐々木さんは成城石井を「第三の道」として位置づけています。
「成城石井が考える第三の道は、二つの要素で成り立っているといいます。『美味しいこと』を諦めない+『最後の「パフォーマンス」というのは、安くてもなく、かといって高くれもいいというわけでもなく、価値こそを与えん出すということです』」
成城石井は高級デパートの食品売り場ではありません。かといってコンビニでもない。「コスパがいいこと」を重視しながら、同時に「美味しいこと」も諦めない。この絶妙なバランスこそが、新しい時代の贅沢なんです。
ここで重要なのは、成城石井が単なる小売店ではないということです。
彼らは新しいライフスタイルそのものを提案している。
流行を追いかけるのではなく、新しい文化を創造しているんです。
同じことが、私たちの情報との関わり方にも起きています。
「物語の必要性 新鮮な野菜や美味しい食事を前にすると、わたしたちはささいなことを語りたくなってくる」
SNSの使い方も変わりました。以前は「いつも日常はシャラ着てダラダラしてるじゃん」的な投稿が多かったかもしれません。でも今は違います。日常の小さな発見や、食事の写真、季節の移ろいといった、ささいだけれど大切なことを共有するようになりました。
これは「見栄を張る」のとは正反対です。むしろ、日常の中にある本物の豊かさを発見し、それを誰かと分かち合いたいという欲求の表れなんです。
贅沢の再定義は、個人レベルの変化にとどまりません。 それは社会全体の価値観の転換であり、新しいコミュニティのあり方への扉を開いているんです。
可用性の高い共同体へ
では、こうした個人レベルの変化が、どのように新しい共同体につながっていくのでしょうか。佐々木さんが提示するキーワードが「可用性」です。
「可用性というのは直訳ないことばですが、身近のはアベイラビリティ(いつでも利用できること)」
可用性とは、コンピューター用語で「システムが継続して稼働する能力」を意味します。
つまり、一部が故障しても全体が止まらない仕組みのことです。
従来の社会システムは中央集権的でした。政府があり、大企業があり、マスメディアがあり、それらが社会全体をコントロールしていました。でも中央集権的な暮らしには致命的な弱点があります。
中央が壊れてしまうと、暮らしが機能しなくなるんです。震災がまさにそれを証明しました。
「分散された暮らしは、どこが壊れても全体は動き続ける。だから可用性は高い」
新しい共同体は分散型です。一つの中心に依存するのではなく、無数の小さなつながりがネットワークを形成しています。成城石井で買い物をする人たち、オーガニック野菜を作る農家とそれを買う消費者、SNSで日常を共有する人たち、地域の小さなカフェに集まる人たち。
こうした「ゆるゆる」なつながりこそが、可用性の高い社会を作るんです。
「外部とのつながりを大事にすることでもない。この時代のいまの消費者に適合した、新しいライフスタイルの提案をしているということ。新しい文化とその文化を支えるインフラとしてのお店。そういう立ち位置を成城石井は目指しているようです」
重要なのは、これらのつながりが「開かれた関係性」であることです。排他的なコミュニティではなく、誰でも参加でき、いつでも抜けることができる。固定的なメンバーシップではなく、その時々の関心や必要に応じて緩やかに結びつく。
例えば、震災直後に多くの人が体験したのは、TwitterやFacebookを通じた情報共有でした。政府や報道機関の発表を待つのではなく、現地にいる人たちがリアルタイムで状況を伝える。それを見た人が必要な支援を行う。こうした自発的で分散的な助け合いが、多くの命を救いました。
これこそが可用性の高い共同体の姿です。中央からの指令を待つのではなく、それぞれが自分の判断で行動し、必要に応じて協力し合う。 一つ一つの行動は小さくても、それらが積み重なることで大きな力になる。
佐々木さんが描く「暮らしが共同体になる」社会とは、こうした分散型のネットワーク社会のことなんです。私たちの日常的な選択(どこで買い物をするか、何を食べるか、誰とつながるか)が、そのまま新しい社会システムの構築につながっている。
個人の暮らし方の変化が、社会全体の可用性を高めている。 これが本書の最も重要なメッセージだと思います。
震災から14年が経った今、佐々木さんが描いた「可用性の高い共同体」はどこまで実現されているでしょうか。
確かに私たちの暮らし方は変わりました。地産地消への関心、オーガニック食材の普及、SNSを通じた日常の共有、リモートワークの拡大。これらはすべて、中央集権的なシステムへの依存度を下げ、より分散的で柔軟な社会を作る動きです。
一方で、新たな中央集権化も起きています。GAFAのようなプラットフォーム企業への集中、情報の分断とエコーチェンバー現象、格差の拡大。私たちはまだ「可用性の高い共同体」への道のりの途中にいるのかもしれません。
でも、方向性ははっきりしています。一人一人の小さな選択が、社会全体のあり方を決める。 私たちが何を買い、何を食べ、誰とつながり、どんな情報を共有するか。それらすべてが、未来の社会を作る投票なんです。
本書が教えてくれるのは、絶望的な状況の中にこそ、新しい希望の芽があるということです。震災という大きな破壊の後に、私たちはより強靭で優しい社会を築くことができる。そのための知恵と勇気を、この本は与えてくれます。
まとめ
- 震災が破綻させた中央集権的な安心――新しい豊かさの基準を考える契機として、震災が私たちに与えた影響は強いものでした。
- 分散する豊かさの発見――ひとつのものがたりではなく、個別の幸福の論点が重要になります。
- 可用性の高い共同体へ――人生の幸福のセーフティネットは、人とのつながりによってもたらされます。改めて、それを大切にしてみることも検討してみましょう。「ゆるゆる」なつながりに可能性を見出しましょう。
