- 「生活をデザインする」というタイトルを見た時、私たちはどれだけの人がこの言葉の真の意味を理解できているでしょうか。
- 実は、多くの現代人は、生活に忙しくなって、それをわざわざ検討することはなくなっているんです。
- なぜなら、私たちは日々の忙しさに追われて、人生を主体的に設計するという発想そのものを失っているからです。
- 本書は、そんな現代人が見失った「生活をデザインする力」を取り戻すための実践的な指南書です。
- 本書を通じて、時間とお金という限られた資源をいかに自分の価値観に沿って配分するかという、より本質的な生活設計論を学ぶことができます。
生活に忙殺される現代人が見失う「デザイン思考」
なにおれさんは、ミニマリストとして、そして自分らしい生き方を模索する現代人の代弁者として、多くの人に影響を与えている方です。ブログやYouTube、書籍を通じて、物質的な豊かさよりも精神的な充実を重視した生活様式を提案し続けています。
特に注目すべきは、なにおれさんが単なる「物を減らす」ミニマリズムではなく、時間とお金という限られた資源をいかに自分の価値観に沿って配分するかという、より本質的な生活設計論を展開していることです。
サラリーマンとしての経験も持ちながら、現代社会で多くの人が直面する「忙しさに追われて自分を見失う」という課題に対して、実践的で具体的な解決策を提示しています。
この本は、そんな著者の思考の集大成とも言える一冊で、単なる生活改善本を超えた、人生そのものをデザインするための哲学書としても読めるでしょう。
「生活をデザインする」というタイトルを見た時、私たちはどれだけの人がこの言葉の真の意味を理解できているでしょうか。多くの現代人は、生活に忙しくなって、それをわざわざ検討することはなくなっているんです。
なにおれさんが指摘する通り、現代社会では「理性という『頭の声』がうるさすぎて、『心の声』が聞こえなくなって自分の欲求を無視し、『身体の声』が聞こえなくなって肉体を酷使してしまっています」。
これはまさに、私たちが日々感じている疲弊感の正体なんですね。
朝起きてから夜寝るまで、私たちは常に何かに追われている感覚を抱いています。仕事の効率化、時間の最適化、生産性の向上—すべてが「理性の声」によって支配されている状態です。でも、そこには肝心な問いが欠けているんです。「そもそも何のために効率化するのか?」という根本的な問いが。
バーチャルな体験が情報として氾濫する中で、私たちはリアルな体験を情報としてどのように解釈して置けるかという能力を失いつつあります。
移動した先で、知らなかったことに出会うこと、身体を動かすこと、これらが目的となる時代に、私たちは生活をデザインする主体性を取り戻す必要があるんです。
ここで重要なのは、生活をデザインするということは、決して完璧な計画を立てることではないということです。むしろ、日常の中で自分の価値観と行動がどれだけ一致しているかを常に問い続けること。
そして、その問いを通じて、少しずつ自分らしい生活のカタチを作り上げていくことなんです。
時間とお金の比率が調和された生活を目指す
- 仕事(時間比率40%:お金比率5%)
- 生命維持(時間比率40%:お金比率65%)
- 余暇(時間比率20%:お金比率30%)
なにおれさんの最も革新的な提案は、時間とお金の関係を数値化して可視化したことです。
時間とお金の比率調和と「設計された無駄」の価値
特に注目すべきは、仕事に費やす時間は40%なのに、お金の比率はわずか5%という現実です。
これは何を意味するのでしょうか。私たちは人生の大部分を仕事に費やしているにも関わらず、それが必ずしも経済的な豊かさに直結していないということです。
むしろ、「仕事の目的は『お金を稼ぐこと』だからです。お金を稼ぐことが目的なのであれば、手数の最小化はもっと他にあることに気がつきます。そのひとつが、お金を蓄えることによる資産運用です」という視点が重要になってきます。
ここで登場するのが「設計された無駄」という概念です。なにおれさんは言います。
「無駄化とは手軽に莫大な快楽を得ようとするのではなく、あえて意味のないことに時間やお金を使うということ」
私自身も、あえてのコーヒーをカフェで1杯飲む時間、出張に旅をセットしてみること、遠回りして帰る道のりなど、時間とお金のムダを意識的に許容することで新しい視点や時間を得る経験があります。これらは一見「効率的でない」行為ですが、実際には人間と生活が溶け合った“らしさ”を生み出しているんです。
「だからこそ、『効率化』によって生きをラクで快適なものにすると同時に、『無駄化』することで心豊かに手間のかかることを味わう」—この両輪があってこそ、真の生活デザインが成り立つんです。
効率化は分業による社会システムの恩恵です。でも、分業によって私たちが失ったものもあります。それは、物事の全体像を把握し、自分の手で何かを完成させる喜びです。
設計された無駄は、この失われた感覚を取り戻すための意図的な行為なんですね。
心と身体の声を取り戻す実践的ライフデザイン
最終的に、生活をデザインするということは、積み上げていく暮らしの公式を実践することに行き着きます。なにおれさんはこれを「知性」と定義しています。
「『静的な知識プロセス』から『動的な知性プロセス』て知識と体験を統合し、仮説に基づく思考や添削作業が必要になります。自分の頭で仮説を立てるからこそ、その仮説を検証することによって現実を変えていくことができます」
この公式の核心は、書くことにあります。「書くことを通じて自分がいま抱えている問題を自覚し、書くことを通じて知識と体験を統合させて『真理の発見(=知)』を掴む」—これこそが、現代における最も実践的な生活デザイン手法なんです。
読書の使い方も、この文脈で理解できます。
- 平日:思考のシャットアウト(理性という「頭の声」を静める)
- 休日:思考の深掘り(「読みたいと思う本を手元に置いて何か違いておく」)
同じ読書という行為でも、時間軸と目的によって全く異なるツールとして機能させる—これもまた、生活をデザインするということの具体例です。
「頭の中を静かにするとは、何も考えずに暮らすということではありません。『頭の中であれこれと考えてしまう機会そのものを満たす』ということです」。頭の中に言葉が生まれ続ける状態から、身体と心の声が自然と回復していく状態への転換。
「無駄なことは効率の敵ではなく、感情の味方です」
――この言葉が示すように、私たちが目指すべきは、効率と非効率、理性と感情の対立ではなく、それらの調和なんです。
平日は生活のリズムを整えることで頭で考えなくても自然と身体が動く状態を作り、休日は余白を持つことでリアルな体験を積み重ねていく。そして、その体験を書くことによって知識として統合し、立てた仮説を検証して得られた結果をフィードバックし、時間とお金の使い道の比率である「生活のカタチ」を調整していく。
この一連のプロセスを「知性」と呼び、それを日々実践していくこと。これが、なにおれさんの提案する生活デザインの本質なんです。
この本を読んで思うのは、現代社会で私たちが失いつつあるのは、人生を主体的に設計する感覚そのものだということです。忙しさに追われ、情報に翻弄され、効率化に疲弊する中で、私たちは自分らしく生きることの意味を見失っているのかもしれません。
でも、なにおれさんが示してくれるのは、決して難しい哲学や高尚な理論ではありません。時間とお金の比率を意識し、設計された無駄を楽しみ、書くことによって自分の体験を知識に変換していく—こうした日常の小さな実践の積み重ねが、結果として自分らしい人生のカタチを作り上げていくんです。
人生そのものを自分の望むカタチに近づけていくこと。それは特別なことではなく、日々の選択と小さな実践の中にこそ宿っているのではないでしょうか。
特に時間の使い方に関するヒント盛りだくさんの1冊は、こちら「未来は主体的に作っていける!?『後悔しない時間の使い方』ティボ・ムリス,弓場隆」もぜひご覧ください。

まとめ
- 生活に忙殺される現代人が見失う「デザイン思考」――理性だけではなく、感情、つまり心の声にも耳を傾ける時間をいかにデザインできるかがキーです。
- 時間とお金の比率調和と「設計された無駄」の価値――無駄を通じて、失われがちな全体感を取り戻し、生活の主体性を手元に引き寄せましょう。
- 心と身体の声を取り戻す実践的ライフデザイン――戦略的な読書を活用して、平日・休日において自分を取り戻すデザインをしてみましょう。
