型を身に着け、そして、変え続けるには!?『ビジネスの極意は世阿弥が教えてくれた』大江英樹

ビジネスの極意は世阿弥が教えてくれた
  • よりよくビジネスを捉えていくときに、よきヒントはないものでしょうか!?
  • 実は、世阿弥の思想が考えるきっかけを与えてくれるかもしれません。
  • なぜなら、世阿弥の教えは、変化の時代をいかに乗りこなしていくのかを記したものだからです。
  • 本書は、経済コラムニストの大江英樹さんが、世阿弥を読み解く1冊です。
  • 本書を通じて、ドラッカー、ポーターらと、世阿弥の接点から、普遍的なビジネスにおける視点を得ることができます。
大江英樹
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型を持てば、変えられる!?

大江英樹(おおえ・ひでき)さんのご紹介──マネーの教養と人生の成熟をつなぐ、水先案内人。

1952年大阪府生まれ。関西学院大学経済学部を卒業後、野村證券に入社。企業年金運用部門の責任者などを歴任し、2011年に定年退職。その後、経済コラムニストとして執筆や講演、テレビ・ラジオ出演を中心に活動を展開されました。

得意としたのは、資産形成、投資教育、そして「定年後の生き方」というテーマ。専門的な金融知識を、わかりやすく、かつ実感に根ざして伝える語り口に、多くのビジネスパーソンやシニア層から厚い支持が寄せられてきました。

主な著書では、いずれも“マネーと人生を両輪で考える”姿勢が貫かれています。

2024年1月1日、急性白血病によりご逝去。生涯にわたり、マネーの「技術」だけでなく、その背景にある「思想」を伝えることに心血を注がれました。本書『ビジネスの極意は世阿弥が教えてくれた』もまた、読者一人ひとりが“本質を見つめる”生き方に近づくための、一冊の羅針盤となる作品です。

私たちは日々、正解のない問いに向き合いながら働いています。
時代が変わり、ルールが変わり、価値観が変わるなかで、
「何を信じて動けばいいのか?」「どうすれば人の心を動かせるのか?」と、
立ち止まって考える瞬間があるのではないでしょうか。

そんなとき、600年前の能楽師・世阿弥の言葉が、
驚くほど現代のビジネスの問いと響き合ってくるとしたら、どうでしょう。

背景:ドラッカーやポーターも、実は“型”を語っていた
ピーター・ドラッカーが重視したのは「マネジメントという実践の哲学」、
マイケル・ポーターが語ったのは「戦略とは、何をやらないかを決めること」。

ドラッカーやポーターといった世界的に著名な経済学者の書物も読んできましたが、世阿弥の書を読んでみると、そうした本とまったく同じ意味のことが書かれていて驚きを禁じ得ませんでした。

一見、現代的で合理的な経営理論に見えるこれらの思想も、
実は「型を持つこと」「環境に応じて変化し続けること」「見る力を養うこと」──
つまり、世阿弥の『風姿花伝』が説いた要諦と、本質的には深くつながっています。

そもそも、世阿弥が生きた時代と、能がどのように型を持っていったのかを知ることで、変化の大きな今日との接点を探ってみましょう。

世阿弥が活躍したのは、南北朝から室町初期にかけて。日本がまだ動乱と不安定さのただ中にあり、政治的にも社会的にも「正解」が見えない時代でした。まさに現代のVUCA(不確実・不安定・複雑・曖昧)という言葉が、そのまま当てはまるような時代背景です。

その中で、能は一つの“見せ物”から、洗練された“芸術”へと進化を遂げていきます。

父・観阿弥のもとで芸を学び、室町幕府の将軍・足利義満に見出された世阿弥は、観る者の心に深く届く舞台づくりを追求しました。その過程で生まれたのが、芸能における「型(かた)」の思想です。

では、具体的にどのような「型」が能の世界で運用されていたのでしょうか。

たとえば、能の代表的な構成形式である「二つ切り(ふたつぎり)」という型があります。これは、物語を前場と後場の二段構成で展開する手法で、前半ではシテ(主役)が旅人などに姿を変え、後半では本性を現すという流れをとります。これは、観客に「伏線」や「余韻」を与える型として定着し、現在の演劇や映画にも通じるような構造を持っています。

また、世阿弥が確立した形式のひとつが「夢幻能(むげんのう)」です。これは、夢や幻の中で語られる世界を舞台化するというもので、時空を超えた物語の展開が可能になります。旅の僧が霊魂と出会い、その語りによって過去の出来事が語られ、終盤には供養や成仏をもって幕を閉じるという形式です。夢幻という枠組みによって、物語は非現実の中で深く心に残る“真実”を伝える構造になっているのです。

こうした型は、単なる形式にとどまらず、「観客との心の距離をどう詰めるか」「どのように感情の移り変わりを表現するか」といった、演出・構成・演技における知恵の集積でもあります。しかも、型とは完成ではなく“始まり”であるというのが世阿弥の見方でした。だからこそ彼は、型を学び、守り、破り、そして超えることの重要性を語り続けたのです。

こうして能は、単なる娯楽や儀式を超え、観る者の精神性に働きかける芸術へと昇華していきました。それはちょうど、表面的な流行ではなく、内面的な意味と価値を持った「ブランド」へと進化する企業の姿とも重なって見えるのではないでしょうか。

しかし世阿弥は、単なる模倣としての型ではなく、「型を磨き、型を破り、型を超える」ことを説きました。ここには、外的な変化に流されず、かといって頑なにもならず、しなやかに本質へと向かう“知の姿勢”があります。

つまり、変化にさらされる時代だからこそ、拠って立つ「型」が必要なのです。そしてその型は、固定されたものではなく、むしろ変化し続けるための“ベースライン”なのだと、世阿弥は喝破したのです。

この考え方は、ビジネスの世界でもそのまま通じるものがあります。たとえば「イノベーション」や「アジャイル」も、実はその根底に“しっかりとした型”があってこそ成立する。大江さんは、その思想を現代に翻訳し、ビジネスの知と結びつけてくれています。

型の導入は、ある種の発明であったに違いありません。

型があるからこそ、人は期待をすることができるし、創作者は、アイデアを練るための土台を得ることができる。そうした相乗効果によって、多くの作品が生み出され、今日まで親しまれています。

実は、この「二つ切り」や「夢幻能」、600年経ったいまでも能の型であり続けているのです。

本質は、関係にあり!?

「関係性」にこそ本質がある──。

明治大学前学長で名誉教授の土屋恵一郎氏は、世阿弥の姿勢についてこう述べています。

「世阿弥の姿勢は常に『関係的』である」

この「関係的」という言葉には、世阿弥の芸術観、そしてビジネスにも通じる根本的なスタンスが凝縮されています。

つまり、観客との関係、組織との関係、そして自分自身との関係など、あらゆる場面で「絶対的な自分」ではなく、「他者との関係の中で自分をどう置くか」を問い続けていたのです。常にまわりとの関係を考えながら生きていこうとするこの態度こそ、実は現代のマーケティングにも直結します。

マーケティングとは、顧客や社会との関係性の中で価値を創り出す営みです。単なる商品やサービスの売り込みではなく、「相手の視点に立ち、相手の欲求や文脈を読み取り、そこに応じて自身を変容させていくプロセス」です。

世阿弥が能において重視した「離見の見」も、まさにこの視点の転換を促すものです。自分自身を外から見る。観客の目を通して自分の演技を観る。この離見の態度は、現代のビジネスにおける「顧客視点」や「ユーザーエクスペリエンス」の発想と通底しています。

そして何より重要なのは、世阿弥が芸の完成ではなく、「飽きられないこと」を重視した点です。

常に観客の心の変化を読み取り、求められる花を変えていく──これはまさに、市場と対話し、変化を受け入れながら価値を更新していくマーケティングそのもの。

世阿弥はある意味でマーケティングの天才でした。

世阿弥は、単なる芸の達人ではなく、「関係性をデザインする天才」でした。そしてその本質は、600年を超えて今なお、私たちのビジネスや創造の営みに光を与え続けているのです。

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学びをやめないための“珍しさ”!?

世阿弥の名言に「珍しきが花」という言葉があります。

これは「突飛なことをすれば目立てる」という意味ではありません。むしろ本質は逆で、“常に新しい視点を取り入れ続ける者だけが、観客の心に花を咲かせられる”という極めて現代的な問いかけでもあるのです。

「珍しいもの」とは奇抜さや突飛さではない。
単に奇抜なものは、しばしば提供する側の自己満足に陥りかねない。
大事なのは、これまで気づかなかった視点や解釈を織り込んでいくこと──。
そして、「珍しきが花」という極めてシンプルなフレーズに、
顧客心理に対する深い洞察が込められている。

これは、大江英樹さんが本書で繰り返し強調している点でもあります。

私たちもまた、仕事や日常の中でつい「守り」に入ってしまいがちです。慣れたやり方、安心できる関係性、評価されたパターンを繰り返すうちに、気づかないうちに新しさを失ってしまう。

だからこそ、“関係性を使う”ことが重要なのです。つまり、自分を外から見る機会を意識的につくる。新しい人に会い、異なる価値観に触れ、自分のパターンをずらす。世阿弥が言う「離見の見」もまさにこのための構え方です。

関係の中に身を置くことは、不安定で、時に傷つくこともあります。けれども、その揺らぎの中にこそ、次の「花」が生まれる。

常に新しくあるとは、常に変わり続けることではなく、常に関係性に開かれていることなのです。

絶えず学びが大切であるということ──
それは裏を返せば、「常に自らを更新し続けなければ、花は枯れてしまう」ということでもあります。

とはいえ、あまりにも奇抜なことは、観客(顧客)に受け入れられません。
かといって、同じようなことの繰り返しでは、自らの中に飽きが生まれ、成長の実感も薄れていきます。

そこで世阿弥が語るのが、「まずは型から始める」という発想です。
「心がこもっていないものは伝わらない」という感情論に流されるのではなく、
「まずは形を整えよ。技術を磨け。すると、自然と心も伝わっていく」と説く姿勢には、
現代のビジネスにも通じるリアリティがあります。

「仏つくって魂入れず」という言葉に対し、
世阿弥はあえて「まずは形」から入れと考える。
技術を極めていれば、自然と心も宿る──。
その精神は、何をすれば他者に届くのかという問いの根底にあります。

さらに、世阿弥は「学び続けること」こそが、新しい花を咲かせる源だと語っています。

世阿弥は、すべての能芸を研究し尽くした後にこそ「花が生まれる」と言い残す。
学び続けていることそのものが、「新しさ」を生み出す力になるのです。

つまり大切なのは、他者と状況を共有しながら、その関係性の中に自らを投じていくこと。
周囲に開かれた心で関わり、対話し、ズレを経験しながら、自らを柔軟に変化させていくことです。

そのためには、OPENな心と活動が何よりも欠かせません。
それが結果として、他者との関係性を豊かにし、自分の中に「珍しき花」を咲かせる道につながるのです。

600年前の世阿弥が描いた「花」は、まさに現代の私たちが求める「変化の中での自己更新」と「関係性の再創造」そのものではないでしょうか。

OPENなマインドについては、こちらの1冊「【“嫌い”も認めよ?】OPEN:「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る|ヨハン・ノルベリ」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 型を持てば、変えられる!?――変えるべきこと、変えた経緯を認識できます。
  • 本質は、関係にあり!?――関係があれば、自らが変わっていき続けられるのです。
  • 学びをやめないための“珍しさ”!?――変え続けること、変わり続けることを是としましょう。
大江英樹
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