- どのような主体が、強く生き抜くことができるでしょうか?
- 実は、自らを開き、そして、他者と協力することを選んだ者かも知れません。
- なぜなら、歴史がそう証明しているからです。
- 本書は、OPENというキーワードを起点に、社会を考える1冊です。
- 本書を通じて、拓くことの重要性と可能性を知ります。
人の強さとは?
わたしたち、ホモ・サピエンスは、協力的な生物です。他の多くの動物に比べると人は特に強くもないのに、社会を築き、技術を研鑽し、自然を改造しながら、自分たちが暮らしやすい世界を作っています。
なぜそんなことができるのか?本質的に、人間を捉えたとき、その強さの秘訣は、つながりとそれによってもたらされる協力のおかげであるといいます。
互いがアイデアや知識、労働を出し合いながら、人工的な強さや、衣服や医療という優れたものを得ることを可能にしています。
人は生まれながらの交易者だ。
たえまなく他人とノウハウや頼みごとや財を交換して、自分ひとりだけだった場合の才能や経験に限定された場合より、圧倒的に多くのものごとを形作ることができます。
まったくの他人とすら、新しい提携や協力関係を開始することを、いとも簡単に行うことができます。
そこには、資本主義というロジックやシステムがあるのですが、こちらについては、前回の投稿「【私たちを豊かにするもの?】資本主義が人類最高の発明である|ヨハン・ノルベリ」もご覧ください。
今回の本書『OPEN(オープン):「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る』の主張は、オープンであることの可能性についてです。
オープン性は現代社会を創り出し、それを前進させる。
開いた政府や市場こそが、人の可能性を十分に発揮させ、そして、よりよい社会や暮らしを実現する原動力となります。
すなわち、オープンな社会における政府の役割は、「もっとよいアイデアの探索と、人々が自分個人の計画にしたがって生きて、独自の目標を追求する“自由”を、あらゆる市民に平等に適用させるためのルール体系を通じて保護すること」にほかなりません。
一人ひとりの人格という問題を無視できるほど、人が協力して構成する社会や、生み出す技術は、人類全体に利益をもたらします。閉じた社会が、人民を豊かにできないことが証明するように、人は一定のルールの下で、協力関係にあるときほど、よりよい環境を作る原動力を持ちます。
網の目のようにつながったネットワークを通じて、偶発性を力に変えることを私たちは可能にします。
誰か優秀な人がこの世の中に富をもたらすのではなく、実態としては、偶然を見方にできた者(集団)が、社会を豊かにするイノベーションや改革を進める主体となります。
だれか個人や特定の文化を賛美したり、あるいは、嫉妬したりするのではなく、もしかしたら、ネットワークのどこかで生み出されている偶然性をキャッチしていることに感謝することのほうが、私たち人間が作る協力的な社会において、より素直な感情をもたらすのかも知れません。
ゼロサム vs プラスサム?
世界の実態をどう見るか、に、アンテナを立ててみましょう。
ゼロサムゲームとプラスサムゲームという概念で、OPENな社会コンセプトを捉えてみます。
ゼロサムゲームでは、全体の利益は一定であり、誰かが得をすれば、必ず誰かが損をするという考え方が基本です。この世界観では:
- 競争が激しく、他者の失敗が自身の成功につながると考えられがちです。
- 情報や資源は独占的に扱われ、共有されることは少なくなります。
- 短期的な利益を追求する傾向が強くなり、長期的な発展や協力が阻害される可能性があります。
- 社会全体の進歩よりも、個人や組織の利益が優先されがちです。
一方、プラスサムゲームでは、協力によって全体のパイを大きくすることができると考えます。この世界観の特徴は:
- 協力と共創が重視され、他者の成功が自身の成功にもつながると考えられます。
- 情報や資源の共有が促進され、それによって新たな価値が生まれやすくなります。
- 長期的な視点で物事を捉え、持続可能な発展を目指します。
- 個人の利益と社会全体の利益のバランスが取れやすくなります。
OPENな社会、すなわち情報や機会が広く開かれた社会において、プラスサムの考え方はより大きな豊かさをもたらす可能性があります。
OPENな社会におけるプラスサムの考え方は、多面的な利点を社会にもたらします。まず、情報と知識の共有により、資源の重複投資が回避され、効率的な利用が促進されます。これは社会全体の生産性向上につながります。
次に、自由な情報流通が異分野間の交流を活性化し、革新的なアイデアや技術の創出を加速させます。
さらに、多様なスキルを持つ人々の協力が容易になり、個人の能力を超えた相乗効果が生まれやすくなります。また、情報アクセスの平等化により、教育や経済的機会が広く提供され、社会全体の底上げにつながります。
最後に、多様な視点や経験の共有が、複雑な社会問題に対するより優れた解決策の発見を可能にし、社会の持続可能な発展を促進します。これらの利点が相互に作用することで、OPENな社会は全体としてより豊かで発展的なものとなるのです。
世界を「オレたち」と「ヤツら」に分割したいという傾向は、世界をゼロサムゲームだと考え、生産や移動性や貿易でみんなが等しく恩恵を受けることなどあり得ないと思ってしまうと、強化されてしまう。
閉じて、分断の世界ではなく、広がった協調の世界を想定して、ものごとに取り組んでみることに多くのバリューを生み出すヒントを求めることができそうです。
ケーキをいかに切り分けるか、という発想ではなく、ケーキをいかに共に大きくしていくか?という思想を持つことが私たちにとってよりよい世界観が開かれます。
分断の誘惑を退けて?
私たちは、完全に独立した存在にはなりえません。
一人ひとりの人間は、世界のあらゆる場所からくる、アイデア、衝動、伝統のブレンドなのです。だから、過度にゼロイチやオンリーワンにこだわるのではなく、OPENな発想で、より多くの情報を収集して、それを編集して、社会に還元していくという心持ちで、ものごとに向き合ってみるのはいかがでしょうか。
1800年代初頭から、史上初めて、発展が阻止されなかった結果、成長が頭打ち知らずになりました。
ひたすら成長が続いた結果、富が倍増し、その先でも倍増×倍増が続きました。
ほとんどの先進経済では、平均所得は1800年以来、1日3ドルからざっと100ドルに上昇しました。平均的な人物に提供される財やサービスは、少なくとも30倍になったと言えるでしょう。
経済はゼロサムではない。
互いに協力することで、他者の不を取り除き、より低いコストで、他者を満足させることがロジックの資本主義かつ、自由市場において、人間の可能性はひらきます。
この世界観にあれば、ゼロサムではなく、プラスサムゲームの中で、3000%に及ぶイノベーションを継続させることが可能なのです。
市場が比較的自由なときは、どんな取引も、購入も、雇用も、両社がそれを回避するよりもそれを行うほうが利益になると考えない限りは起こらない。ビジネスのパートナーを裏切ったり、破滅させたりしたという評判が立てば、その人は毛嫌いされる。
ある人の利益は、誰か他の人をないがしろにして成り立っているのではなく、両者が両者とも豊かになっているという事実を見つめてみることが重要です。
サム(総和)はプラスであって、ゼロではないのです。それでも私たちは、なぜか直感的にものごとは限られていると思ってしまったり、その結果、相手が好戦的であると捉えてしまったり、自分を裏切るかも知れないと懐疑心を抱いてしまったり、なぜか、分断を促進させるように考えがちです。
実際は、違う場合でもそう思ってしまうのです。
自由は素晴らしいものですが、そのためには、分断を回避するために、自分が「嫌いなもの」についても容認する必要が出てくるということです。
異種的なものといかに付き合いながら、互いの妥協点を見極めて、共にいることができるか。そうした「インクルシーブ」な世界観こそ、これからさらに大切にするべきことかも知れません。
まとめ
- 人の強さとは?――つながり、協力し合うネットワークを作ることができることです。
- ゼロサム vs プラスサム?――誰かの犠牲によってではなく、共に豊かになれる世界が実態です。
- 分断の誘惑を退けて?――嫌いなものとの対話こそ進め、OPENなつながりを維持しましょう。