- 部下や後輩を育てるとき、あなたは「失敗」をどう捉えていますか?
- 実は、 失敗の意味を決めるのは、出来事そのものではなく、それをどう解釈するかにかかっているんです。
- なぜなら、 同じミスでも「成長の糧」と捉える人と「能力の限界」と捉える人では、その後の行動が180度変わってくるからです。
- 本書は、 「ID野球」で知られる野村克也さんが、データ分析の裏側にある人材育成哲学を語った一冊です。
- 本書を通じて、 データを解釈する教養の力、そして人を動かす言葉の重要性が見えてきます。野村流「再生工場」の本質は、数字ではなく人間理解にあったんです。
野村克也さんは、1935年生まれのプロ野球界のレジェンドです。
選手時代は捕手として南海ホークスで活躍し、三冠王を獲得するなど輝かしい成績を残しました。しかし、野村さん自身が語るように、彼の野球人生は決して順風満帆ではありませんでした。
「私の人生もまた再生の歴史である」という言葉が示すように、数々の挫折と向き合いながら、自らを作り直し続けてきた人物です。
引退後は監督として、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天ゴールデンイーグルスを率いました。特にヤクルト時代には弱小チームを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導き、「野村再生工場」の異名を取ります。
野村さんの指導の特徴は、データ分析を駆使した「ID野球」として知られていますが、その真髄はデータそのものではなく、データを解釈する力にありました。そしてその解釈力の源泉が、膨大な読書によって培われた教養だったのです。歴史書、経済書、科学書、国際情勢、文学まで幅広く読み込み、野球を俯瞰的に捉える視点を獲得していきました。
本書では、そんな野村さんが長年の指導経験から得た「叱り方、褒め方、教え方」の極意が惜しみなく語られています。
「失敗」を「成長」と読み替える――解釈の自由が人を育てる
野村さんは「失敗」という言葉を「せいちょう」と読むんです。
これは単なる言葉遊びではありません。同じ出来事でも、それをどう意味づけるかで、その後の成長軌道が全く変わってくるからです。
失敗を恐がって動けなくなるバッターと、失敗から学んで次に活かせる選手。この違いはどこから生まれるのか。
大切なのは、失敗を次につなげることなのだ。「失敗」と書いて、私は「せいちょう」と読む。失敗を怖がっている、失敗を恐がったらバッターは成長などありえないのである。
ただし、何も考えないで、つまり技術だけで勝負にいったバッターは絶対に許さない。そういう選手は、次も同じ過ちをおかす。手抜きプレーをした選手も同様である。そんな選手はプロとして失格だと私は思う。
つまり、失敗は能力の限界を示すものではなく、成長のための必要なステップなんです。
ここで重要なのは「なるべく教えるな」という野村さんの指導哲学です。
一見すると冷たく聞こえるかもしれません。でも、この言葉の裏には深い洞察があります。
「なるべく教えるな」 なぜか。教えすぎると選手の気持ちはよくわからない。だが、まずはやらせてみる。「あいつはどこまでやれるのか?」と言われようと気にするな。人間は、失敗してこそ自分の間違いに気づくものだ。自分で考えさせてみろ。たとえ聞いたとしても頭には入っていないことが多い。やってみて、失敗してはじめて自分のやり方は間違っているのではないかと考えるのである。
この「気づかせる」という発想が、野村流人材育成の核心です。
まず選手のなかで問題意識が高まるようなアドバイスをし、本人に疑問が生まれるように仕向けることが必要だと野村さんは言います。
まず選手のなかで問題意識が高まるようなアドバイスをし、本人に疑問が生まれるように仕向けることが必要だ。 すると、「どうしたらいいでしょうか?」とコーチに訊いてくるようになる。そのときこそがコーチの出番なのである。徹底的に教え込むのである。
というのは、選手が自ら考え、自ら答えを出させることが最高に達しているときだからだ。そんなときの選手は、聞き入れ態勢が整っているが、スポンジが水を吸い込むようにコーチの言うことを聞き、それを自分のなかで消化し、自分のものとして成長させることができるのである。 つまり、一方的に一選手を目見からよく観察し、それぞれの選手に合った再生へと導くような成長を見せることがあるのである。
つまり、一方的な「教育」では人は育たない。
自ら問いを持ち、自ら答えを探す過程でこそ、人は本質的に成長するんです。
そして野村さんは「目標を自ら考えさせる」ことの重要性も強調します。
「将来、どんなバッターやピッチャーになりたいんだ?」「いくら稼ぎたいのか?」つまり、プロ野球選手としてのそれぞれの選手の目標を明確に聞き出すのである。そのうえでこう聞ける。「では、そのためにどうすればいいのか?」と。
依頼心が強ければ強いほど、人間の思考能力は育ちません。指示を待つ人間は、進歩を停止します。逆に、より多くの疑問を抱き、失敗からたくさんのことを学び取る能力に優れた人間のことを、野村さんは「考える力を持つ」選手だと考えています。
失敗から逃げずに、失敗をどう意味づけるか。ここに自己限定を超えて成長していく鍵があるんです。
野村さんは「満足→安協→慢定は再生の最大の敵」と警告します。
満足→安協→慢定は再生の最大の敵 神びょんでいる選手はほとんどが「いわれなき自己限定をしている」と言うのである。「自分はこれだけだ」「自分の力もせいぜいここまでだ」と考えている。
そうならないで、もしかしたら眠っている才能をムダにしてしまうし、伸びるも可能性を何もしないで殺してしまうのか。低いレベルで「安協」してしまうからである。壁にぶつかると、「俺はこんなもんなんだ」と自ら意識して決めつけてしまうのか。中途半端に活躍している選手ほどこの傾向が強い、というより、そんなを考えたなら、中途半端な選手で終わってしまうのである。
この自己限定を打破するのが、失敗を成長と読み替える解釈の力なんです。
データに意味を与える教養――ID野球の真髄は読書にあり
「ID野球」といえば、データ分析を駆使した野村野球の代名詞です。
でも、データそのものに価値があるわけではありません。データをどう読むか、どう解釈するか、そこに指導者の真価が問われるんです。
野村さんは「データとクセの研究で打撃に開眼」したと語ります。でも同時に「もちろん、それまでも自分なりに配球を予想しヤマを張ることはあった。それでもうまくいかないことも多い」とも言っています。
データとクセの研究で打撃に開眼 出てきた結論は「頭を使うこと」だった。私は読みがはずれたらどうすることもできないが、狙い球が来たときは打てる。
もちろん、それまでも自分なりに配球を予想しヤマを張ることはあった。それでもうまくいかないことも多い。では、より正確な理解、より深い洞察が必要なものは何か。 いうまでもない、データである。ピッチャーの配球にはなんらかの傾向があるはずだ。それがわかれば読みが当たる確率は格段に上がる。そう思い至ったのである。
データは手段であって、目的ではない。データを活かすためには、より正確な理解、より深い洞察が必要なんです。
ここで重要なのは、野村さんが「スタートは意識改革」だと明言していることです。
スタートは意識改革 組織づくりで、最初に私が行うことは何か。 それは「意識改革」である。「考え方が変われば(行動)が変わる」。
この言葉はヒンズー教にある。 心が変われば態度が変わる、態度が変われば(行動)が変わる。(行動)が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる。 という教えを私なりに解釈したものだが、意識が変われば野球に対する取り組みが変わり、プレーが変わるという意味である。
つまり、データを活かすためには、まず「見方」を変えなければならない。
その見方を変えるのが教養であり、読書なんです。
野村さんは「無形の力を養う」ことの重要性を説きます。
まずは考えることの重要性を認識させ、その力を養わなければならない。そのために私は、「無形の力を養う」ことを説いた。無形の力とは、読んで字のごとく、「かたちのない力」目には見えない力」のことである。 たとえば技術力。これは目に見えるかたちの力が「有形の力」ということだろう。だが、こうした有形の力には限界がある。そのことは、いくら優れた成績をあげている選手ばかりを集めても、優勝できる保証はない。それはいわば、ここにチームスポーツとしての野球の面白さがある。やり方次第では弱者が強者を倒すことができるのである。そして、そのために必要不可欠なのが無形の力
この「無形の力」こそが、データを解釈する力の源泉なんです。
そして野村さんは「指導者は言葉を獲得しなければならない」と強調します。
指導者は言葉を獲得しなければならない また、さまざまな本を読むようになったのもこのころだった。さっかけは監督先生に「本を読みなさい」と諭されたからである。
以来、歴史書をはじめとして、政治経済、科学書、国際情勢、文学まであらゆる本を読んだ。とくに中国の兵法は100冊は読んだだろうか。このとき痛感させられたものだが、ID野球を展開するなかで、選手たちに現況を引用しながらというものだ。私は言葉の大切さを痛感させられたのである。解説や評論、あるいは講演で、まさしく言葉をもって人々をひきつけたり、感動を与えたりできる人材になれるはずではなかったが、指導者になってからはそうはいかない。選手を納得させるには、やはり言葉が必要である。
そして重要なのは、野村さんの言葉の説得力が、読書経験の影響が非常に大きかったことです。
私の言葉にいささかでも説得力があるとすれば、それはこのときの読書経験の影響が非常に大きかったと後悔することもしばしばで、今でも読書を奨励しているのである。
つまり、データを読む力も、選手を動かす言葉も、すべて教養に支えられている。ID野球の真髄は、実は読書にあったんです。
野村さんは「一流の壁」という概念も語ります。
来た球に対応する能力はいわば天性であるから練習でどうにかなるものではない。そこで私はまた稽古を積む自分が、どうすれば自分が、こんな身分自己が、どうすれば三割打てるようになるのか。どうすれば残り自分を越られるか…。
この「壁」を超えるために必要なのが、自分を客観視する力、俯瞰する視点なんです。そしてその視点を与えてくれるのが読書による教養なんです。
データは事実を示すだけ。それに意味を与え、解釈し、戦略に落とし込む。この一連のプロセスに、指導者の教養が深く関わっているんです。
言葉なき指導は伝わらない――愛情を届ける語彙の力
どれほど深い洞察を持っていても、それを言葉にできなければ人には伝わりません。
野村さんは「指導者は言葉を獲得しなければならない」と繰り返し強調します。これは単なる技術論ではなく、人材育成の本質に関わる問題なんです。
「もっとも大切なのは愛情」――野村さんはこう語ります。
もっとも大切なのは愛情 選手をよく観察するというのは、その選手をもっとよく知りたいということでもある。そして、それは言い換えればどれだけ愛情を持って接することができるか、ということだ。
「その選手に対する愛、そして情熱です」そう、再生の根底にあるのは、愛情なのである。
でも、愛情は心の中にあるだけでは届きません。それを言葉にして、相手に届けなければ意味がないんです。
根本にはやはり、「この選手をなんとか一人前にしてやりたい」「成長してほしい」という愛情があったからだと自信を持っていえる。
この愛情を届けるための「語彙」が必要なんです。野村さんは読書を通じて、その語彙を獲得していきました。
野村さんの指導の特徴は「欲から入って欲から離れる」という発想にもあります。
欲だけにこだわってしまってはいけないのである。欲にとらわれてしまっては、それは良いとはいえません。長くはないし、どうしても自己中心的になってしまう。したがって、結果もよくないことがほとんどなのである。ある力量で絶対弱点を克た上でこれを克服するのは並大抵のことではない。とする「よし、欲が出ると、ほんの一瞬打ち方に狂いが生じ、スタンスになってしまう。ピッチャーなら「最後はストライクをとりにくる」と考え、狙い球を絞った。だが、狙い打ちされ、逆転されてしまう……。私自身の経験も含めて、そんなケースを何回も見てきた。
この微妙な心理の変化を、選手に気づかせるためには、豊かな語彙が必要です。「欲が出ている」という状態を、どう言語化するか。それによって選手の気づきの深さが変わってくるんです。
自己限定を捨てさせ、自信を与える
野村さんは「自己限定を捨てさせ、自信を与える」ことの重要性も語ります。
再生というのは、じつはそれほどむずかしいことではないと私は考えている。
まず、彼らは前にいた球団をいわば放り出されたわけだから、悔しさを持っている。「なんとかして見返してやりたい」と思っている。それゆえ、どんなことでもやろうとする。ハングリーイズム素直に聞く。結果を出すためなら、変わることを辞さない。もうひとつ。どこか傷ついている選手には共通して、自信を与えてやればいい。それが再生の第一歩である。
しかし、いわしくもプロに入ってくるような選手なのだから、それなりの力は持っているはずなのだ。ただそれまで、その力を活かす方法を知らなかったり、持てる能力を活かす方法が分からなかったりするケースが多いのである。逆にいえば、それまでの指導者が力を引き出せなかったとも考えられる。したがって、新たな視点や、得意な形を利用しながら一軍で活躍するために足りない力を補い、自信を与えてやればいい。それが再生の第一歩である。
この「自信を与える」という行為は、単なる励ましではありません。選手の可能性を言語化し、具体的なビジョンを示し、そこに至る道筋を描く。この一連のプロセスに、指導者の言葉の力が問われるんです。
野村さんは読書を通じて、歴史、哲学、心理学、経済学など幅広い分野の知識と語彙を獲得しました。そして、それらを野球の文脈に翻訳し、選手に届く言葉に変換していったんです。
「私の人生もまた再生の歴史である」――野村さん自身がそう語るように、彼の指導哲学は自らの経験に深く根ざしています。
私の人生もまた再生の歴史である
テスト生として南海に入団し、二軍暮らしが長く続いた野村さん。そこから三冠王まで上り詰めた経験。監督として弱小チームを日本一に導いた経験。これらすべてが「再生」の物語なんです。
そして、その再生を可能にしたのは、自分を客観視する力、データを読む力、そして何より、自分と他者を言葉で理解する力だったんです。
指導者に必要なのは、技術を教えることだけではありません。選手の可能性を信じ、それを言葉で伝え、自ら気づかせる。この循環を作り出すことなんです。
そのためには、豊かな教養と、それに支えられた言葉の力が不可欠なんです。野村さんの「再生工場」の本質は、まさにここにあったんです。
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まとめ
- 「失敗」を「成長」と読み替える――解釈の自由が人を育てる――野村さんは「失敗」を「せいちょう」と読みます。同じ出来事でも、それをどう意味づけるかで成長軌道が変わるからです。「なるべく教えるな」という哲学の裏には、自ら気づかせることで本質的な成長を促す深い洞察がありました。満足→安協→慢定という自己限定の罠から抜け出すには、失敗を成長の糧と捉え直す解釈の力が必要なんです。
- データに意味を与える教養――ID野球の真髄は読書にあり――ID野球の本質はデータそのものではなく、データを解釈する力にありました。野村さんは歴史書から中国兵法まで幅広く読み込み、「無形の力」を養うことの重要性を説きます。意識改革から始まる組織づくり、そして一流の壁を超えるための俯瞰的視点。これらすべてが読書による教養に支えられていたんです。
- 言葉なき指導は伝わらない――愛情を届ける語彙の力――どれほど深い愛情を持っていても、それを言葉にできなければ選手には届きません。野村さんが「指導者は言葉を獲得しなければならない」と強調するのは、人材育成の本質が言葉による理解と共感にあるからです。自己限定を捨てさせ、自信を与える。その一連のプロセスに、豊かな語彙と教養に裏打ちされた言葉の力が不可欠だったんです。
