真似る、まなぶ!!『自分を捨てる仕事術 鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド』石井朋彦

『自分を捨てる仕事術 鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド』石井朋彦の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「自分を捨てる」とは、他者への全面的な開放を意味します。スタジオジブリ・鈴木敏夫プロデューサーが若き石井朋彦に伝えた仕事術は、個性や自己実現を重視する現代の常識を根底から問い直します。
 
1.徹底的な真似の実践:自分の意見を捨て、優れた他者を3年間真似し続けることで、本質的な学びを得る2.要請への応答:「何をやりたいか」ではなく「何を求められているか」に応えることで、自分の核が明らかになる
3.関係性の中の自己:「人に見られている自分」こそが本当の自分であり、他者との関わりの中でのみ自分は立ち上がる

  • なぜ私たちは「自分らしさ」や「オリジナリティ」にこれほど執着するのでしょうか。
  • 実は、その執着こそが、成長を妨げ、スランプを生み出す最大の要因かもしれません。
  • なぜなら、自分のなかを探しても、そこには何も見つからないからです。本当の自分は、外に、つまり他者のなかにあります。
  • 本書は、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫が、28歳の若者・石井朋彦に伝えた「何者でもない若者のための仕事術」を記録したものです。「自分の意見を捨てろ」「3年間、真似だけをしろ」――一見、自己否定のように聞こえるこの教えは、実は他者との関係性の中でこそ自分が立ち上がるという、深い洞察を含んでいます。
  • 本書を通じて、「自分探し」や「個性の追求」という現代の常識を根底から問い直し、真に創造的な仕事とは何かを考え直す機会を得られるでしょう。

石井朋彦は、アニメーションプロデューサーです。

28歳のとき、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと出会い、「自分を捨てる仕事術」を伝授されました。高校時代には「研究費」という名目で本や映画を吸収するための資金を与えられるなど、若い頃から文化的な教養を深める環境に身を置いてきました。

鈴木敏夫から受けた最初の指示は、衝撃的なものでした。「自分の意見を捨てろ」「常にノートとペンを持ち歩き、その場で話されたこと、起きたこと、相手の身振り手振りや場の雰囲気も含めてすべて書き残せ」――この教えは、石井が自分の意見ばかり考えて、人の話を聞けていなかったことへの痛烈な指摘でもありました。

宮崎駿が高畑勲の下で20年間真似を続けたという事実を知り、石井は3年間、鈴木敏夫の真似だけをすることを決意します。その過程で、彼は「自分のなかには何もない」という逆説的な真理に到達し、本書を通じてその仕事術を後世に伝えようとしています。

「自分を捨てる」とは、他者への全面的な開放である

「自分の意見を捨てろ」――この言葉を聞いて、多くの人は戸惑うでしょう。個性の尊重、自己表現の重要性が叫ばれる現代において、この教えはあまりにも時代錯誤に聞こえます。しかし、鈴木敏夫が石井朋彦に伝えたこの教えには、創造性の本質に関わる深い洞察が含まれています。

鈴木は石井に、会議で「君の意見は?」と問われたときの答え方まで具体的に指示しました。

それまで話されてきた議論のなかで、自分が「今回の議論に必要」と思った意見(赤丸で囲んだり、☆マークをつけたりしていました)を引き合いに、「○○さんがこうおっしゃいましたが、ぼくもその意見に近くて……」と切り出せばいいのです。

これは単なる処世術ではありません。実は、鈴木自身がこの方法を実践していたのです。彼はじっと相手の意見に耳を傾け、何がいちばん大切かを探しています。ある程度方向性が見えたら、自分自身のアイデアと関連づけて話し始める。石井は気づきました。「おれの真似をしろ」と言った鈴木こそ、相手の意見を自分の意見として取り込む「真似の名人」だったのだと。

最初、石井は自分の意見を鈴木に「横取り」されたような感覚になりました。「自分の意見」「オリジナリティーあふれるアイデア」を生み出すことがクリエイティブだと思い込んでいたからです。しかし鈴木は、不満そうな顔をしている石井にこう言いました。

だれが言ったとか、どうでもいいじゃん

会議の最大の目的は何か。それは、自分ひとりでは何日、何カ月かけても到達できないような発想が、みんなで言葉を交わし合いながら生まれること、その一点のみなのです。「自分の意見」への執着は、実はこの本質的な目的を見失わせます。

「学ぶ」の語源が「真似ぶ」であることはよく知られています。しかし、ここで言う「真似」は、単なる模倣ではありません。宮崎駿は高畑勲の下で20年間、考え方や立ち振る舞い、話し方、字まで真似たといいます。これほど徹底的な真似を通じて、宮崎は高畑の思考のプロセス、判断の基準、美意識の全体を自分のなかに取り込んでいったのでしょう。

「自分を捨てる」とは、ネガティブに聞こえますが、言い換えれば「常に素直でいる」「外に対して心を開いている」ということです。身体を「殻」と捉え、そのなかを「空」にして、他者を取り込んでみる。自分という「身体=殻」のなかをいったん空にすることで、他者の思考や感性がそのまま流れ込んでくる余地が生まれます。

鈴木はよく言っていました。

自分のことばかり考えている人が、鬱になるんだよ

自分のモチベーション、成功、自己実現――そういうものにこだわりすぎる人は、どんどん心が狭くなります。自分への執着が、かえって自分を追い詰めていく。「自分を捨てる」という逆説的な行為は、実は自分を解放し、より大きな創造性へと開いていく道なのです。

目の前の要請に応えることで、自分の「核」が明らかになる

「何をやりたいか」ではなく「何ができるか」「何を求められているか」――この視点の転換は、キャリア形成における根本的なパラダイムシフトを要求します。

鈴木敏夫と宮崎駿、2人の巨匠に共通するのは、自分から今の仕事につこうと思ったわけではない、という事実です。

おれも宮さんもさ、昔から、他人のために仕事してきたんだよ。最初に『アニメージュ』をつくったときも、発売1カ月前に、突然やれと言われてつくった。宮さんも、監督になんてなりたくなかった。一生アニメーターで終わっていいと思ってたんだ。でも、高畑さんの下でずっとアニメーターをやっているうちに、いつのまにか監督になっちゃった

彼らは自分のキャリアプランを描いて、それに向かって突き進んだわけではありません。目の前の要請に応え続けた結果、気づいたら今の位置にいた。この「結果として」という感覚が重要です。

鈴木は、世の中には2種類の人間がいると言っていました。一方は、人生に夢と目標を持ち、そこへ向かって突き進もうとするタイプ。もう一方は、特に目標は持たないが、目の前のことは一つひとつやる、というタイプです。

ジブリ作品のヒロインで言えば、前者が『耳をすませば』の雫、後者が『魔女の宅急便』のキキです。雫は小説家になろうと決意しますが、鈴木は言います。

雫に本当にそういう才能があるかわからないでしょ? 雫が書いた小説を爺さん(西老人というキャラクター)が読んでさ、『君は原石だ』って言うじゃない? でもあれって無責任だよね、もしかしたら雫はこれから、自分に才能がないと知ってものすごく苦しむかもしれないのに

一方、キキについては、こう語ります。

それに引き換えキキにとって『魔女』っていうのは、親から受け継いだ血でしょ? キキは、生まれつき自分が持っている能力を生かすにはどうすればよいか……と考えて、『魔女の宅急便』の開業を決意する。そのなかで、挫折を経験して飛べなくなり、出会いと学びを通して再び飛べるようになる。自分の持ち物を理解して、どう働くかを考え、一歩一歩、その目標に向かって努力する。ぼくはキキの生き方のほうが好きだなぁ

「持って生まれた核を生かす」という発想です。夢や目標を先に設定するのではなく、自分が生まれつき持っているもの、すでに与えられているものを見極め、それをどう生かすかを考える。これは受動的な姿勢ではありません。むしろ、自分という存在をより深く理解し、その特性を最大限に発揮しようとする、きわめて能動的な姿勢です。

「必要とされているならやってみよう」――このスタンスは、一見すると主体性の欠如のように見えます。しかし実際には、これこそが自分の核を発見する最短経路なのです。なぜなら、他人の得意技を見極めることが、結果として自分を獲得し直すことになるからです。

自分より得意な人がいる仕事は、自分がやる必要はない。その仕事を人に任せることで、自分の得意な仕事に集中できる

この循環が重要です。他者を観察し、その得意技を見極め、自分より得意な人に任せる。そのプロセスを通じて、「では自分は何が得意なのか」が次第に明らかになっていきます。自分探しのために内省するのではなく、他者との関係性の中で、消去法的に、あるいは補完的に、自分の位置が定まっていく。

石井は鈴木から、毎日自分に言い聞かせるべきことを教わりました。

自分より優れた人を真似て、相手と自分自身を知ろう 自分の意見を主張するよりも、相手の話を聞こう。相手の話のなかから、何が大事かを見出すことに集中しよう 何をやりたいか、ではなく、何ができるかを、考えよう 自分がやるのではなく、チームのだれに任せるかを具体的に決めよう

これらの原則は、すべて「自分」から「他者」へ、「内」から「外」へと意識を向けることを促しています。そしてその結果として、逆説的に、自分の核が明らかになっていくのです。

「人に見られている自分」が本当の自分である

「自分がどう思うか、は関係ないんだよ。まわりが石井のことをどう見ているか、ということのほうが大事なんだ」――鈴木のこの言葉は、自己認識の根本を揺るがします。

私たちは通常、「本当の自分」は自分の内側にあると考えます。他人の評価は表面的なもので、本当の自分はもっと深いところにある、と。しかし鈴木が示すのは、まったく逆の視点です。

「自分が見られたい自分」よりも「人が見ている自分」が自分なのです

これは単なる他者依存ではありません。むしろ、自己認識の正確さに関わる問題です。自分が思っている自分像と、他人から見えている自分像のギャップ――このギャップを認識し、後者を尊重することが、より現実的で生産的な自己理解につながります。

石井は、仕事についての本質的なインサイトを得ました。

仕事とはプロジェクトではなく、関わる人間の心そのものである

仕事を進める上で、スキルや知識、プロジェクト管理能力も重要です。しかし最も本質的なのは、関わる人間の顔をしっかり思い浮かべ、その人の心を理解しようとすることです。プロジェクトという抽象概念ではなく、具体的な人間の集まりとして仕事を捉える。この視点の転換が、仕事の質を根本的に変えます。

鈴木は、相手を見抜くためのトレーニングについても語っていました。アニメ業界でよく語られる通説があります。

打ち合わせのときによくしゃべるスタッフは、さっさと引き上げたほうがいい。一方、『できるかどうかわかりませんが、やってみます』という謙虚なスタッフには、任せてみる価値がある

自信がない人ほどよくしゃべる。逆に腕に覚えがある人ほど、謙虚です。この真言は、おそらくすべての業界に当てはまるでしょう。人を見抜く目を養うことは、単に人事や組織運営のスキルではありません。それは、自分自身を相対化し、自分の位置を正確に把握する能力でもあります。

「本来の自分をさらけ出すほうが得」――このアドバイスも、一見矛盾しているように聞こえます。「自分を捨てる」と言いながら、なぜ「本来の自分をさらけ出す」のか。しかしここには矛盾はありません。「本来の自分」とは、自分が思い描いている理想の自分像ではなく、他者との関係性の中で立ち上がってくる、ありのままの自分のことです。

自分を装い、よく見せようとすることは、実は「自分への執着」の一形態です。他人にどう思われるかを過剰に気にして、理想の自分像を演じる。しかしそれは、結局のところ「自分が見られたい自分」に囚われているだけです。

一方、本来の自分をさらけ出すということは、他者の評価を気にしないという意味ではありません。むしろ、他者からの評価を素直に受け入れ、「人が見ている自分」を自分の現実として認めることです。これは勇気のいる行為ですが、同時に大きな解放をもたらします。

鈴木の最後の言葉が、すべてを集約しています。

人は、自分のために他者を必要とするし、他者に必要とされる自分が自分なんだよ

自分は、他者との関係性の中でのみ存在します。孤立した「本当の自分」など、どこにもありません。他者を必要とし、他者から必要とされる――その相互的な関係性の網の目の中で、初めて「自分」が立ち上がってくるのです。

この洞察は、個人主義的な自己実現論とは根本的に異なります。自分を完成させてから社会に出るのではなく、他者との関わりの中で自分が形成されていく。自分探しの旅に出るのではなく、目の前の人との関係に誠実に向き合うことで、自分が見えてくる。

「自分を捨てる仕事術」の真髄は、この関係性の中での自己形成にあります。それは受動的な姿勢ではなく、きわめて能動的で創造的なプロセスです。なぜなら、他者を理解し、他者の得意技を見極め、自分の位置を定めていくこと自体が、高度な知的・感性的な営みだからです。

まとめ

  • 「自分を捨てる」とは、他者への全面的な開放である――鈴木敏夫が石井朋彦に伝えた「自分の意見を捨てろ」という教えは、単なる処世術ではありません。宮崎駿が高畑勲を20年間真似続けたように、徹底的な真似を通じて相手の思考プロセスや美意識を自分のなかに取り込む。「自分のことばかり考えている人が鬱になる」という鈴木の言葉が示すように、自分への執着を手放すことで、より大きな創造性へと開かれていきます。
  • 目の前の要請に応えることで、自分の「核」が明らかになる――「何をやりたいか」ではなく「何ができるか」「何を求められているか」という視点の転換が重要です。キキ型の生き方、つまり持って生まれた能力を見極めてそれを生かす道を選ぶこと。他人の得意技を見極め、自分より得意な人に任せることで、消去法的に、あるいは補完的に、自分の得意分野が浮き彫りになります。
  • 「人に見られている自分」が本当の自分である――「自分が見られたい自分」よりも「人が見ている自分」が自分です。仕事とはプロジェクトではなく、関わる人間の心そのもの。他者を必要とし、他者から必要とされる相互的な関係性の中でのみ、「自分」は立ち上がります。自分探しのために内省するのではなく、目の前の人との関係に誠実に向き合うことで、自分が見えてくるのです。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

「自分の意見を捨てる」と、ただのイエスマンになってしまうのではないですか?

本書が説く「自分の意見を捨てる」とは、無批判に従うことではありません。むしろ徹底的に相手の話を聞き、何が本質的に重要かを見極める訓練です。鈴木敏夫自身が実践していたように、じっと耳を傾けて方向性を見出してから発言する。優秀な人ほどイエスマンではなく、率直で正直な人を重用するという指摘もあります。「空気を読まない」特性と素直さは両立するのです。

目標を持たずに目の前のことだけやっていて、本当にキャリアは形成できるのでしょうか?

鈴木敏夫も宮崎駿も、自分から今の仕事につこうと思ったわけではありませんでした。目の前の要請に応え続けた結果、気づいたら今の位置にいた。重要なのは、自分が生まれつき持っている能力(核)を見極め、それをどう生かすかを考えること。他人の得意技を見極めて任せることで、自分の得意分野が明らかになり、結果としてキャリアが形成されていきます。

「人に見られている自分」を重視すると、他人の評価に振り回されませんか?

「人に見られている自分」を認めることは、他人に迎合することとは違います。自分が思い描く理想像と現実のギャップを認識し、より正確な自己理解を得るプロセスです。「本来の自分をさらけ出すほうが得」という教えは、理想の自分像を演じることをやめ、ありのままの自分を他者との関係性の中で認めることを意味します。これは自己認識の正確さに関わる問題であり、むしろ他人の評価への過剰な執着から解放される道なのです。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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