貨幣経済に取り憑かれないためには!?『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳

『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳の書影と手描きアイキャッチ
  • あなたは「時間=お金」という言葉に、どれほど囚われているでしょうか?
  • 実は、私たちが当たり前のように受け入れているこの価値観こそが、人間が本来大切にすべきものを置き去りにしてしまう元凶なんです。
  • なぜなら、お金を定量的な価値に還元する思考は、人間の時間や自然の営みといった、本来数値化できないものまで「効率」や「利益」という尺度で測ろうとするからです。
  • 本書は、『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデが、1994年にNHKのインタビューで語った内容を書籍化したものです。日本への遺言として残されたこのメッセージは、貨幣経済の根本的な問題を鋭く問いかけています。
  • 本書を通じて、私たちは「お金とは何か」を根源から問い直し、人間らしく生きるための経済システムのあり方を考えることができるんです。

ミヒャエル・エンデ(1929年-1995年)は、ドイツを代表する児童文学作家です。『モモ』『はてしない物語』といった作品で世界的な名声を得ましたが、彼はただのファンタジー作家ではありませんでした。

エンデは生涯を通じて、現代社会における時間とお金の問題に深い関心を寄せ、特に資本主義経済の構造的な歪みについて鋭い批判を展開していました。

本書は、エンデが亡くなる前年の1994年に、NHKのインタビューで語った内容をもとに構成されています。

グループ現代が制作したドキュメンタリー「エンデの遺言――根源からお金を問う」(1999年5月4日放送)の書籍版として、日本の読者に向けた彼の最後のメッセージとなりました。エンデは日本という国に特別な思いを抱いており、この遺言には現代文明への警告と、未来への希望が込められています。

「時間=お金」という呪縛――モモが問いかけたこと

『モモ』を読んだことがある人なら、あの「灰色の男たち」のことを覚えているでしょう。

彼らは人々に時間を貯蓄させようと囁きかけ、結果として人間から「生きる時間」そのものを奪っていきました。エンデはこの物語を通じて、すでに現代社会の病理を予見していたんです。

灰色の男たちは、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」と尋ねる。マイスター・ホラは答える。「死んだ人間だから、しかし、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものである限りは生きているんだよ。ところが灰色の男は、人間じゃないの?」「ほとんどいないはずのものだ」「灰色の男たちは、不正な場所や、生きることのできない場所にすぎない」

この引用が示しているのは、時間を貨幣価値に還元する瞬間、人間は「人間じゃないもの」になってしまうということなんです。

今日の貨幣経済では、「時間=お金」という認識が当たり前になっています。

時給で働き、効率を追求し、無駄な時間を削減する。一見合理的に見えるこの考え方が、実は私たちから「ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間」を奪っているんです。

エンデが『モモ』で描いた灰色の男たちは、まさに現代の金融システムそのものの比喩でした。お金を増やすために時間を犠牲にし、効率化を進めるほど、人間らしさが失われていく。この悪循環こそが、私たちが直面している根本的な問題なんです。

定量的な価値――つまり数値化できる価値だけを追求すると、人間が本来大切にすべき「関係性」「創造性」「余白」といったものが置き去りにされてしまいます。バイカル湖のほとりで魚を獲り、近所の人々と食卓を囲んでいた漁師たちの話をエンデは紹介しています。

紙幣発行が何をもたらしたのか?

一つの実例が、ピンズヴァンガーの著書に出ています。

たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、湖のほとりの小さな村で人々がそこまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を捕り自宅や近所の人々の食卓に供していました。おおむね平和な暮らしを保っていたということです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで捕り尽くされてしまいました。そうしてそうした魚がモスクワでというと、ある日、紙幣発行がなされたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、もちろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。

ここで重要なのは、紙幣発行とローンというシステムが導入された瞬間、持続可能だった生活が破壊されたということです。漁師たちは「効率」を追求し、より多くの魚を獲るようになりましたが、その結果、湖の資源は枯渇してしまいました。

冷凍倉庫も同じです。本来なら腐ってしまう魚を保存できるようになった一方で、「今日必要な分だけ獲る」という自然なサイクルが失われました。すべてが貨幣価値に換算され、「より多く、より効率的に」という論理に支配されるようになったんです。

3つの曲線が示す根本的な不一致

エンデが最も強調していたのは、現代の経済システムが抱える「3つの曲線」の不一致です。

この3つの曲線とは何でしょうか?

①指数関数的成長(利子・株式経済) お金は利子によって増え続けます。複利計算では、時間が経つほど加速度的に増加していきます。これは「無限の成長」を前提とした曲線です。

②直線的な成長(機械的生産) 工場の生産ラインは、一定のペースで製品を生み出し続けます。量産体制が整えば、ほぼ直線的に生産量を増やすことができます。

③曲線的な成長(自然界・人間) 自然界のすべてのもの――植物も動物も人間も――は、成長して成熟し、やがて衰退するという曲線を描きます。エネルギーも資源も、無限ではありません。

「曲線的成長は成熟して停滞し、衰退しまたは死滅することによって完成します。このモデルは私たちの分析にとってあまり重要ではありません。この重要なのは、この3つの異なる成長モデルのどれも一致しないことでしょう、と彼は言っています。このような異なった成長率の曲線はけっして一致することはないのです。なぜならばそれぞれが違うリズムで働きあるからです。この3つの成長モデルは調和できるのでしょうか、と問いが発せられます。そうではないということは、むしろ当然なので、指数的な成長は破滅的です。指数的な成長は長く使えません」

この不一致こそが、現代社会の歪みの根源なんです。

利子や株式市場は指数関数的に成長することを要求します。投資家は「去年より今年、今年より来年」と、常に成長を期待します。しかし、自然界や人間の体は曲線的にしか成長できません。無限の成長など、あり得ないんです。

エンデが指摘したように、このズレが引き起こすのは「破滅」です。なぜなら、指数関数的成長を維持するために、自然環境やモラルが破壊されるからです。先ほどのバイカル湖の漁師たちの例がまさにそうでした。

さらに深刻なのは、「2つの異なるお金」が混在していることです。

「重要なポイントは、たとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金であるという認識です」

パン屋でパンを買うお金は、「交換手段」としてのお金です。これは実体経済を支える健全なお金の使い方です。
一方、株式市場で扱われるお金は「資本」として機能します。これは利子を生み、投資収益を生み出すことを目的とした、いわば「お金がお金を生む」システムです。

問題は、この2つが区別されていないことなんです。

同じ「お金」という名前で呼ばれているため、私たちはその本質的な違いに気づきにくくなっています。

「お金が介在してくると、つまり貨幣供給者が登場する事情は一変します。プラスの利子が成立してしまうのです。お金はいつまでももっていたいわけです。お金も腐ったりせず、管理もしやすい。ところがいまも、金や銀、紙幣が錆ついて価値を落とすという事もありませんでした。実はこれがお金をもっている者とそうでない者との差を生じます。不足や不平等が生じたのです。小さな会社も大企業も、事業をするには投資が必要です。事業資金が要るわけです。つまりお金がいるのですが、お金をもっている人は少ない。対照的に、例えば、農民は種をまくのを延期できません。ですから、種をまく資金を借りるのを急がれることになります」

ここでエンデが指摘しているのは、「安楽椅子」の問題です。

「お金をもっ者は「安楽椅子」に座ることができ、特っていればいいのです。ここにお金の力の根源がありますが、銀行はそれをもっているのでBANKといわれるわけです」

お金をもっている人間は、ただ座っているだけで費用がかからず、さらにお金を増やすことができます。

一方、お金をもっていない人間――例えば農民や小さな会社――は、種をまくため、事業を始めるために、どうしてもお金を借りなければなりません。

この構造的な不平等こそが、現代の貨幣システムの本質的な問題なんです。ケゼルが「安楽椅子」という言葉で指摘したように、お金をもっているだけで優位に立てるシステムは、結果として格差を生み出し続けます。

株式経済の利潤とは何でしょうか?エンデはこう言います。

「株式経済は重要な企業形態ですが、成長を基盤としています。この経済においては分配された利益が問題であり、株価が課題なのです。株式経済の利潤とは手元に戻ってくる金額であり、それをふつう再投資します。つまり、お金を買うのことなのです。株所有者は将来的な利益向上のためにより多く出資し、さらなる利益を得ようと努力をするわけです。このような基金形態が企業の生成にとっていいものなのか、ということです。基金形態は何を生産するか、という企業目的に多くの出資をすべきではありません。それは企業が株から利益を考えもつようにする、そういうことを、いま、われわれはよく考えなくてはいけないのではないでしょうか」

つまり、株式経済では「何を生産するか」ではなく「どれだけ利益を生むか」が優先されてしまうんです。企業は株主のために利益を最大化しなければならず、そのためには自然環境を破壊しても、労働者を搾取しても構わないという論理が働いてしまいます。

お金は人間がつくったもの――変革の可能性

しかし、エンデは絶望していません。

彼が繰り返し強調しているのは、「お金は人間がつくったものだから、変えることができる」ということなんです。

「エンデは、金融システムは人間がつくりだしたものだから、変革もできるはずであり、同時に過去のさまざまな試みのなかに未来へのヒントがある、と主張しています」

この言葉には、深い希望が込められています。私たちは「資本主義はこういうものだ」と諦めてしまいがちですが、実は金融システムは人間が設計したものに過ぎません。ならば、設計し直すこともできるはずなんです。

エンデはマルクス主義との違いも明確にしています。

「簡単にいいますと、マルクスは個々の資本家を、国家という唯一の資本家でとって代えれば、資本主義が克服できると考えたのです。これはマルクスがもっていたヘーゲル的幻想にほかならないでしょう。ヘーゲルは国家を神のように扱っていましたから」

エンデが批判しているのは、「誰が資本を所有するか」という問題ではなく、「資本主義システムそのもの」なんです。

「マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスがしようとしたのは資本主義を国家に委託することでした。つまり私たちが過去七〇年間、双子のように見せかけてきた、民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義であって、それ以外のシステムではなかったのです。「社会主義が崩壊した原因はここにあるのでしょう」

マルクスは資本家を国家に置き換えようとしましたが、それでは問題は解決しませんでした。なぜなら、利子を生むシステム、指数関数的成長を要求するシステムそのものが変わっていないからです。

では、どうすればいいのでしょうか?

エンデは具体的なオルタナティブを示唆しています。例えば、地域通貨の導入です。

参加型経済の絆として 素朴で自然的な交換経済ではありますが、貨幣経済のもとでも自由意思による参加が行われる。自由通貨の使い手は同時に生産・流通・消費の担い手である。
市民資本の形成めざして 地域通貨の確保が市民コミュニティの定義を強制するものではありません。が、まさまな仕組みが発案され、自然エネルギーなど持続可能な社会を求めて制度や施設が、情報が市民主導で行われることを理念として

通貨の受手(財・サービスの供給側)も、支払い手(需要側)も、ともに当事者として水平的な協力者の間柄となる。過疎は農業(供給者)と売手(需要者)と売手(需要者)等化されに等しい

地域通貨は、大規模な資本システムとは異なる論理で動きます。それは「交換」のためのお金であり、「安楽椅子」に座って増やすためのお金ではありません。地域の中で循環し、人と人とのつながりを強化する役割を果たすんです。

また、自然エネルギーへの投資も重要です。石油や石炭のように枯渇する資源ではなく、太陽光や風力といった持続可能なエネルギーにシフトすることで、曲線的成長のリズムに合った経済システムを構築できる可能性があります。

「お金は人間がつくったものです。変えることができる」

この一言に、エンデのメッセージが凝縮されています。

私たちは「時間=お金」という呪縛から解放され、人間らしいリズムで生きる経済システムを再設計できるはずなんです。そのためには、まず「お金とは何か」を根源から問い直すことが必要です。

エンデが日本に遺したこのメッセージは、2025年の今、ますます重要性を増しています。気候変動、格差の拡大、精神的な疲弊――これらすべての問題は、指数関数的成長を要求する貨幣システムと無関係ではありません。

私たちには、変える力があるんです。

本当のお金の意味を感じるには、こちらのストーリー「お金の先に、見える「真実」とは!?『きみのお金は誰のため』田内学」をぜひご覧ください。大変おすすめです。

まとめ

  • 「時間=お金」という呪縛――モモが問いかけたこと――エンデは『モモ』で描いた灰色の男たちを通じて、時間を貨幣価値に還元する危険性を警告していました。定量的な価値だけを追求すると、人間が本来大切にすべき関係性や創造性が置き去りにされてしまいます。バイカル湖の漁師たちのエピソードが示すように、紙幣発行とローンの導入が持続可能だった生活を破壊した事例は、現代社会全体の縮図なんです。
  • 3つの曲線が示す根本的な不一致――指数関数的成長(利子・株式経済)、直線的成長(機械的生産)、曲線的成長(自然・人間)という3つの成長モデルの不一致が、現代経済システムの根本的な歪みを生んでいます。パン屋でパンを買うお金と株式市場の資本は本質的に異なるものですが、同じ「お金」として扱われることで、構造的な不平等が見えにくくなっています。「安楽椅子」に座る者だけが利益を得るシステムは、格差を拡大し続けるんです。
  • お金は人間がつくったもの――変革の可能性――エンデが繰り返し強調するのは、金融システムは人間が設計したものだから変えられるということです。マルクス主義が資本家を国家に置き換えようとして失敗したのに対し、エンデは資本主義システムそのものの変革を提案しています。地域通貨や自然エネルギーへの投資など、オルタナティブな試みが未来へのヒントを示しています。私たちには、人間らしいリズムで生きる経済システムを再設計する力があるんです。
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