本能が作り出す「孤立の社会」にどう抗えるか!?『世界はなぜ地獄になるのか』橘玲

『世界はなぜ地獄になるのか』橘玲の書影と手描きアイキャッチ
  • なぜ、個人の自由を尊重し、多様性を認め合うはずの現代社会が、これほどまでに生きづらいものになってしまったのでしょうか。
  • 実は、その答えは私たち人間の脳に組み込まれた「本能的なOS」にあるんです。リベラル化が進むほど、このOSが作り出すステイタス競争や孤立の構造が浮き彫りになってしまう。
  • なぜなら、人間は進化の過程で、他者との比較によって自分の位置を確認し、集団の中での生存確率を高める仕組みを身につけてきたからです。この仕組みが、現代の個人主義社会では逆に作用してしまっているんですね。
  • 本書は、この現代社会の構造的な矛盾を、比較言語学や進化心理学の知見を使って解き明かした衝撃的な一冊です。
  • 本書を通じて、私たちは自分の中に潜む「不幸なOS」を理解し、それにどう向き合っていけばいいのかを考えることができます。

橘玲さんは作家・経済評論家として、現代社会の構造的な問題を鋭く分析し続けています。金融・投資分野での豊富な知識を背景に、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』でベストセラー作家となった後、社会学的な視点から人間の本質に迫る作品を数多く発表しています。

本書『世界はなぜ地獄になるのか』は、リベラル化が進む現代社会の矛盾を、比較言語学や進化心理学の知見を駆使して解き明かした力作です。一見理想的に思えるリベラルな価値観が、なぜ多くの人にとって生きづらい世界を作り出してしまうのか。その根本的なメカニズムに迫ろうとする橘玲さんの問題意識が、この書籍の執筆動機となっています。

言語が社会を規定する – 比較言語学から見る世界観の違い

橘玲さんが本書で展開する比較言語学的なアプローチが、実に印象的なんです。

日本語には「相互配慮」システムという概念があり、これは他の多くの言語には存在しない独特の概念だと指摘されています。

一方、英語圏では「自立」や「独立」が重要視され、依存関係は基本的にネガティブなものとして捉えられる傾向があります。

この違いが、それぞれの社会システムや人間関係のあり方を根本的に規定しているわけです。

Jリーグのレフェリーが、「日本語は難しい」という話をしていた。英語なら、相手がメッシやクリスティアーノ・ロナウドでも「ステップバック」といえばホールから離れる。しかし日本語では「下がれ」では命令調になるので、「下がってください」では丁寧だが命令し、「下がってほしい」では曖昧で、「下がってもらう」でも同じように曖昧で、日本語を感じる選手もいるだろう。

この例からも分かるように、言語の構造そのものが社会の人間関係を形作っているんですね。日本語の敬語システムは、相手との関係性や社会的地位を常に意識させる仕組みになっています。

一方、アメリカの交通整理では「上から目線」でも問題にならない。これは個人主義的な文化において、指示を出すことと人格的な上下関係が切り離されているからです。

しかし、ここで重要なのは、どちらが優れているかではなく、それぞれの言語が作り出す世界観が全く異なるということなんです。日本語話者は「相互配慮」の関係性の中で安心感を得る一方で、アメリカ的な「自立」を強制される社会では息苦しさを感じることになります。

リベラル化が進む現代社会では、アメリカ的な個人主義の価値観が「正しい」ものとして輸入されがちです。でも、それが日本語話者の認知構造や感情のあり方と本当に適合するのでしょうか。

言語が思考を規定するなら、私たちは自分の言語的背景を理解した上で、社会のあり方を考える必要があるのかもしれません。

ステイタス競争という人間の性 – シャーデンフロイデと下方比較の罠

橘玲さんが鋭く指摘するのが、人間の本質的な「ステイタス競争」への欲求です。

ステイタスを感知する超高精度のソシオメーター。ステイタス(社会、経済的地位)が健康や寿命に影響するのは、脳が上方比較を接続、下方比較を好むからだ。自分よりステイタスの高い者と比べることに痛みを、ステイタスの低い者と比べることに快感を覚える。これは脳の全末梢だので、心が理性で客観的におさえようとしても、誰もがこの不幸なOS(オペレーティングシステム)を埋め込まれている。

これを読んで、私たちの行動や感情の多くが、実はこの「OS」によって支配されていることに気づかされます。

心理学では、他人の不幸を喜ぶ感情を「シャーデンフロイデ」と呼びます。そして、自分より劣った状況の人と比較して優越感を得る「下方比較」も、人間に備わった基本的な心理メカニズムなんです。

現代社会では、SNSを通じて無数の他者と比較する機会が生まれています。インスタグラムで見る華やかな生活、Twitterで流れてくる成功談、LinkedInでの昇進報告。
これらすべてが、私たちのソシオメーターを刺激し続けているのですね。

でも同時に、他者の失敗談や不幸なニュースに、どこか安心感を覚えてしまう自分もいる。これは道徳的に問題があるように思えますが、実は人間の進化の過程で獲得した生存戦略の一部なんです。

リベラル化が進んだ社会では、このようなステイタス競争は「良くないもの」として否定されがちです。しかし、否定したところで、この「OS」が消えてなくなるわけではありません。

むしろ、表面的には「平等」や「多様性」を掲げながら、水面下では激しいステイタス競争が続いている。そのギャップが、現代社会の生きづらさの一因になっているのかもしれません。

重要なのは、この「OS」の存在を自覚的に認識することです。自分の中にある下方比較への欲求や、他者の不幸への密かな安堵感を、まずは正直に受け入れる。

その上で、それに振り回されすぎないような心の在り方を模索していく必要があるんじゃないでしょうか。

言語の粗雑化が招く思考の貧困

橘玲さんは本書で、言語と認識の関係について重要な指摘をしています。

言語で相手に触れるというタブー。すべての社会で、不用意に相手に触れることはタブー(禁忌)とされている。これには物理的な接触だけでなく、メンタルスペースに許可なく踏み込むことも含まれる。わたしが自分らしく生きるのなら、あなたにも同じ権利が保障されなくてはならない。それに加えて、言語を「見る」「規範」や「真実しかけ」ことができるタブーとされている。これは個人を、規範や真実を主張する集団(人種、宗教、住み)の支配的なイデオロギーとして考えられるアイデンティティは清潔な集団(人種、宗教、住み、性的指向など)とみなすのではないだろうか。

この分析を読みながら、現代社会で気になるのが、言語の極端な単純化です。

特に「やばい」という言葉が、あらゆる感情や状況を表現する万能語として使われている現象は、とても興味深いと思っているんです。ここからは、橘玲さんの分析から派生した私自身の考察になります。

「やばい」は、驚き、感動、困惑、危険、素晴らしさ、まずさ。

ほとんどすべての感情を表現できてしまう。

確かに便利な言葉ですが、この便利さの裏側には、思考や感情の解像度の低下があるのではないでしょうか。

言葉は思考の道具です。豊富な語彙を持つことで、私たちは複雑で繊細な感情や状況を認識し、他者に伝えることができます。しかし、「やばい」一語ですべてを済ませてしまう習慣は、その認識力を徐々に削いでいく可能性があります。

発信者も受け手も、「やばい」という曖昧な表現で「何となく通じた気になって」しまう。
でも実際には、具体的な感情や状況の共有は起きていないかもしれません。

これは、橘玲さんが指摘する現代社会の問題と深く関連しているのではないかと思います。リベラル化によって多様性が重視される一方で、実際のコミュニケーションは画一化され、表面的になっているのではないでしょうか。

「自分らしさ」を追求することが推奨される社会で、皮肉にも言語表現は均質化している。

この矛盾が、現代人の孤立感や疎外感を深めているのかもしれません。

言葉に対してもう少し敏感になることが、この状況を改善する一つの手がかりになるのではないかと思います。

自分の感情を「やばい」で済ませるのではなく、もう少し具体的で豊かな表現を探してみる。
相手の「やばい」に対しても、その奥にある具体的な感情や状況を想像してみる。

そうした小さな積み重ねが、思考の解像度を上げ、他者との真の理解につながっていく。そして最終的には、橘玲さんが描く「地獄」のような現代社会を、少しでも生きやすいものに変えていく力になるのかもしれません。

橘玲さんの著書については、こちらの1冊「ハックされるな!ハックせよ!『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』橘玲」も大変刺激的で、おすすめです。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 言語が社会を規定する – 比較言語学から見る世界観の違い――言葉は社会を作る基盤なのです。
  • ステイタス競争という人間の性 – シャーデンフロイデと下方比較の罠――ソシオメーターを意識して、自分が操作されないようにしてみることも大切かも。
  • 言語の粗雑化が招く思考の貧困――「自分らしさ」を追求することが推奨される社会で、皮肉にも言語表現は均質化しており、さらなる孤立化を招いているのかも。
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