- 人生において、特に、影響を及ぼす重要な考え方とは何でしょうか!?
- 実は、自分で選べることと選べないことの線引をはっきりさせることかもしれません。
- なぜなら、何にフォーカスするべきかを知ることができるから。
- 本書は、写真家でもあり、がんと向き合う中で、自身の生き方やこれまでの人生について解釈を深められ、多くの人からご相談に答える幡野広志さんによる人生を説く1冊です。
- 本書を通じて、自分の人生のあり方を見つめて、検討することができるでしょう。
過去は変えられないが、捉え方は自由である!?
幡野広志(はたの・ひろし)さんは、1983年東京都生まれの写真家・エッセイストです。2004年に日本写真芸術専門学校を中退後、2010年より広告写真家・高崎勉氏に師事。翌年には「海上遺跡」で「Nikon Juna21」を受賞し、2011年に独立して結婚しました。2012年にはエプソンフォトグランプリで入賞し、写真家として確かな評価を得ます。
2016年に長男が誕生し、翌2017年に多発性骨髄腫を発病。余命宣告を受けてからの経験が、彼の写真や文章の基盤となっています。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『写真集』(ほぼ日)があり、SNSでの発信や相談メール活動なども幅広く展開。
作品や言葉には、「生きること」「死と向き合うこと」「限られた時間の使い方」といった普遍的なテーマが通底しています。
幡野さんは、写真家という枠を超え、生の輪郭をとらえ直す語り部として、現代を生きる多くの人々に問いを投げかけ続けています。
後悔は、なにも変えてくれないのだ。
幡野さんが語るこの一文には、切実な響きがあります。
がんという現実に直面したとき、多くの人が「どうして自分が」と思い、過去を悔やむでしょう。
しかし彼は、その思考に価値を見いだしませんでした。
後悔を反芻し続けても、状況は何ひとつ変わらない。
むしろ限られた時間を浪費する行為だと悟ったのです。
だからぼくは、意識的に過去のおこないを振り返らなかった。「どうして、がんになったんだろう?」という問いは、ほぼ間違いなく「自分のなにが悪かったんだろう?」という自責に変えていく。そして、なにも悪くないはずなのに責め立てるだけの自分を、いたずらに追い込んでいく。
ここに示されているのは、「後悔しない」という意志ではなく、「後悔を選ばない」という態度です。
人は無意識に自分を責めたり、もしあのとき違う選択をしていたらと考えてしまいます。
しかし、幡野さんはその罠を避け、選択の対象から後悔を外したのです。
それは現実を肯定することでも、苦しみを無視することでもありません。
あくまで、自分の時間と意識を何に使うのか、主体的に線引きをしたということです。
この姿勢は、余命宣告を受けた人に特有のものではなく、誰にでも当てはまる普遍的な教えです。
仕事での失敗、人間関係の後悔、日常の小さな「あのときこうしていれば」という思い。
私たちはそれに縛られやすい存在です。
けれども、それに囚われ続けることは、未来の可能性を狭め、現在の自分を弱らせるだけ。
幡野さんの言葉は、そのことを痛烈に突きつけます。
つまり「後悔はなにも変えてくれない」という言葉は、諦めや達観ではなく、よりよく生きるための選択の指針なのです。
過去に執着しないことによって、いま目の前にある人や出来事に集中できる。
その積み重ねこそが、自分の人生を再び選びなおすことにつながっていくのだと思います。
いまここを生きていくということ!?
がんの告知を受けてから、幡野さんは繰り返し「かわいそうだ」と言われ続けてきたといいます。
若いのに、奥さんも子どもも若いのに、残される家族がいるのに──その言葉は善意から生まれたものかもしれません。
けれども本人にとっては、生きようとする姿勢を勝手に不幸の物語に組み込む視線として響いていました。
だからぼくは、声明文のように「ぼくは幸せだ」と書いた。勝手に不幸を押しつけないでほしかったし、お涙ちょうだいのストーリーに組み込まないでほしかった。
この言葉には、境遇を否定するのでもなく、逆に美談に仕立てるのでもない、他者の解釈から自分を守るための宣言が込められています。
幸福や不幸は、周囲の人が決めるものではありません。
同じように、自分自身に対しても「かわいそうな存在」と貼りつける必要はないのです。
むしろ、解釈にとらわれず「その瞬間の気持ちに素直でいること」が本当に大切なのだと気づかされます。
私たちの日常でも、つい「この状況だから不幸に違いない」「あの人に比べて恵まれていない」と思ってしまうことがあります。
ですが、それは一つの見方にすぎず、真実とは限りません。
むしろ、自分の中から自然に湧き上がる感情や衝動に従う方が、よほど誠実な生き方につながります。
幡野さんが「ぼくは幸せだ」と記したのは、状況を美化するためではありません。
それは、他者の物語に囚われないための、そして自分を自分として肯定するための、静かな意思表示だったのです。
みんな、自分のことを話したがっている!?
幡野さんのもとには、多くの「相談」が舞い込んだといいます。
がんや病気を抱える人だけでなく、家庭内の問題や不倫、離婚など、さまざまな事情を抱えた人たちが、自分の気持ちを打ち明けにきたのです。
「この人だったらわかってくれる」とメッセージを送ってくれているのだ。だから、感謝のことばがセットになるのだ。
人は誰しも、心の奥に言えない思いを抱えています。
それを理解してもらえるかもしれない、受けとめてもらえるかもしれない──そうした期待があるからこそ、人は語ろうとするのです。
幡野さんは、その声を真剣に受けとめ、ひとつひとつの相談に耳を傾けてきました。
それはカウンセラーや専門家のように「解決策」を与える行為ではなく、ただ寄り添い、聞き届ける行為でした。
そして、そのことがまた新しい循環を生んでいきます。
放射線治療が終わって歩けるようになったら、彼らを訪ねてまわろう。がん患者の方々、その家族、医療従事者、あるいはその他の「誰にも言えない」ことを抱えた、たくさんの方々。会いにいって話をしてくださっている方も、何人もいる。
ここで示されているのは、相談が「一方的な救済」ではなく、むしろ関係性を介した双方向の営みであるということです。
話す側は自分を解放し、聞く側は他者の物語を受けとめる。
この相互作用によって、人は「自分はひとりではない」と気づき、少しずつ前を向く力を取り戻していきます。
話すことは、単に心の荷を下ろすだけではありません。
むしろ「自分を語りなおす」プロセスそのものであり、それは確かに自分で選び直せる行為なのです。
だからこそ幡野さんは、語る場をつくり、耳を傾けることを大切にしました。
その姿は、聞くこと自体が愛であり、そして自らの人生をもう一度選びなおす営みであることを示しているのです。
命は、「株式」である!?
幡野さんにとって、がんという出来事は「自分を積極的に振り返る機会」になりました。
それは突然訪れたものではありますが、だからこそ強く自分の生き方を見つめ直す契機となったのです。
自分の病気を素直に受け入れているがん患者は意外と多い。いろんな葛藤はあったとしても、最終的には受け入れているし、受け入れざるを得ない。「死ぬということ」を身近に感じ、理想的な死のかたちを考えたり、あるいは「こういう死に方は嫌だ」という妄想を優先したりする。そして後悔の役に立たないことも、患者のほうがよく知っている。
この言葉が示すのは、死や病を意識することが、決して絶望だけを生むわけではないということです。
むしろ、自分の人生を新しく選びなおすためのきっかけになるということ。
そしてこれは、病を得た人だけに与えられるものではありません。
私たち一人ひとりも、必ず「終わり」がある存在だからです。
普段は社会的な役割や礼儀に縛られ、「たかが」と片づけてしまうような思いを抱え込んでしまいます。
しかし死を意識したとき、それまで抑えてきた欲望や不満が姿を現し、本当に大切なことがあらわになります。
確実に言えることがある。人は、がんやその他の危機的状況…に立たされたとき、それまで隠してきた「なにか」が隠しきれなくなってしまうのだ。
この「なにか」とは、過去への未練ではなく、むしろこれからをどう生きたいかという欲求に近いのではないでしょうか。
幡野さんが経験を通じて示しているのは、後悔に囚われるのではなく、「終わり」を前提にしたときにこそ見えてくる、今を素直に生きる力です。
そしてそれは、病を持たなくても、私たちが日常の中で意識的に取り入れられる態度でもあるのです。
「終わり」を意識することで、いま目の前の時間や人間関係がより鮮やかに見えてくる。
その視点の転換こそが、人生をよりよく選びなおすための鍵となるのです。
幡野さんは、命を「株式」にたとえています。
人間の命は、株式のようなものだとぼくは思っている。命は、自分ひとりの持ちものではない。何人もの株主が、ぼくという人間に投資してくれている。
妻や息子、親、友人や仕事仲間──すべての人が、自分に関わり、投資してくれている存在だという視点です。
だからこそ、自分の命をどう生きるかは、独りよがりではなく、関係性の中で責任をもって考えるべきことになります。
一方で、幡野さんは「株式の過半数を持つのは自分」だと続けています。
つまり、周囲の存在や期待に応えようとしながらも、最終的にどう生きるかを決定するのは自分自身だ、という立場です。
この考え方は、人は関係性に生かされている一方で、人生の主導権を放棄してはならないというバランスを示しています。
命を完全に「自分だけのもの」と錯覚して孤立するのでもなく、逆に「他者のため」と過剰に犠牲になるのでもない。
大切なのは、関係性を受けとめたうえで「自分にコントロールできること」にフォーカスし続けることです。
仕事を選ぶこと、誰と暮らすか、誰と人生を分かち合うか──それは最終的に自分で決めてよい。
幡野さんの「株式」という比喩は、その折り合いをわかりやすく教えてくれます。
関係性の中で生きながら、自分の選択権を手放さないこと。
それこそが、人生をよりよく選びなおしていくための態度なのです。
田坂広志さんも、病気を患う中で、自らの人生を振り返られた1人です。田坂広志さんの言葉にふれると人生や仕事について考えを深めることができます。例えばこちらの1冊「意義意味を見出せ!?『人生で起こること すべて良きこと 逆境を越える「こころの技法」』田坂広志」も大変おすすめですので、ぜひお手にとって見てください。

まとめ
- 過去は変えられないが、捉え方は自由である!?――死を意識すれば、後悔という無駄な労力ではなく、いまここから先をどのように作っていくべきか、目を向けることができるでしょう。
- いまここを生きていくということ!?――何より大切なのは、いまここを大切に生きるために、衝動や感情にもっと素直になってみることかもしれません。
- 命は、「株式」である!?――他者と共有しながらも、それでも過半数を持ち、自分の責任において決断していくための比喩です。
