- 社会問題を見つめる時、その原因についてどのような解像度が必要でしょうか。
- 実は、脳の機能も実は原因として重要かも。
- なぜなら、一見なんともない人も、実は脳の機能が衰えている、あるいは一般と同じように機能しないこともありうるからです。
- 本書は、ルポライター鈴木大介さんによる実体験も含めた「貧困と脳」に関する実態を説く1冊です。
- 本書を通じて、問題の根幹について可能性の幅をインストールすることができます。
「なぜ?」と実体験が重なる時・・・
著者の鈴木大介(すずき・だいすけ)さんは、1973年生まれの文筆家。
子どもや女性、若者の貧困問題をテーマに、長年にわたり現場取材を重ねてきたルポライターです。
『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)など、現代社会の“見えにくい問題”を描き出す作品を数多く手がけてきました。
しかし2015年、鈴木さんは脳梗塞を発症。
一命はとりとめたものの、以後は「高次脳機能障害」という目に見えにくい障害を抱えることになります。
そこからは当事者としての視点も交え、脳の損傷がもたらす生活困難についての執筆を続けています。
当事者としての代表作に『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)、そして援助職に向けた指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院、シリーズケアをひらく/日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)などがあり、福祉・医療の現場からも高く評価されています。
さらに近著には、父親の変化を通して現代社会の分断を描いた『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス!2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)もあります。
ルポライターとして、そして当事者として。
その両面から社会を見つめる筆致が、本書『貧困と脳』にも息づいています。
印象的なのは、鈴木さん自身が長年抱えていた「なぜ?」の問いの数々です。
ルポライターとして貧困層を取材していた頃、どうしても腑に落ちない違和感があったといいます。
「なぜ彼らは、こんなにだらしないのか。
なぜ、何度も何度も約束の時間を破って遅刻を重ねるのか。
なぜ即座に動かなければ一層状況が悪くなるのが目に見えてわかっている場面でも、
他人事のように過ごしてしまうのか。なぜ、なぜ……」
そうした“なぜ”に向き合いながらも、当時は明確な答えを持つことができなかったと語ります。
しかし2015年、自らが脳梗塞を発症し、高次脳機能障害の当事者となったことで、景色は一変します。
「言うまでもなく、それをそのままに書けば、それこそ自己責任論の燃料になるからだ」と語るように、著者は表層的な「困窮の描写」に留まることなく、理解の解像度を上げる努力を重ねてきました。
「なぜなら2015年5月、『最貧困女子』刊行の翌年に僕は脳梗塞を発症し、
『不自由な脳』の当事者となったからだ。
脳梗塞の後遺症として『高次脳機能障害』という脳の認知機能障害が残った僕は、
かつての取材で『なぜ』と思い続けた彼女たちとほぼ同じ状況に陥ってしまったのだ」
この経験により、「時間を守る」「段取りを組む」「タスクを完了させる」といった、ごく当たり前の行動が、
脳機能によっては“できないこと”であるという実感が生まれました。
私たちは日常で、当たり前に「行動を設計し遂行する」ことができると思いがちです。
けれど、それは“見えない脳の機能”に支えられているにすぎません。
その視点を欠いたままでは、「なぜ困っている人が助けを求められないのか?」という問いに対して、
本当の意味での理解や支援は成立しないのです。
「こうした僕自身の日常的タスクがままならなくなる現実、
そしてこんな焦燥の中で感じる圧倒的な不自由感は、
かつての取材の中で対象者から聞かされていた“困難さ”と重なるものだった」
──この鈴木さんの“気づき”は、従来の自己責任論を根底から問い直す手がかりとなるのではないでしょうか。
「できるはず」と思い込まずに、「できない理由があるのかもしれない」と想像すること。
その想像力こそが、支援の第一歩になるのかもしれません。
新たな論点:貧困は“脳”から始まっているかもしれない!?
本書がもたらす最大の発見は、「貧困の原因を、脳の不自由さという観点から見直す」という視座です。
私たちはつい、貧困を「経済的な失敗」や「環境的な不運」として捉えがちです。
しかし、鈴木さんはそこにもうひとつの層を加えます──それは「不自由な脳」という要因です。
「貧困とは『不自由な脳』(脳の認知機能や情報処理機能の低下)で生きる結果として、高確率で陥る二次症状、もしくは症候群とでも言えるようなものなのだ」
この言葉には、自戒も含まれていると鈴木さんは言います。
なぜなら、取材者であった彼自身が、脳梗塞によって「支援される側」の立場に移ったからです。
そのとき、彼が直面したのは、単なる身体的な障害ではなく、目に見えにくい「認知のズレ」や「判断力の不安定さ」でした。
「“不自由な脳”で生きる結果として、人は高確率で貧困に陥る。
レンジ的で僕の陥った混乱は耐えがたいほど激しいものだった」
記憶の連続性が失われ、タスクが完了できず、段取りがうまくいかない。
その結果、生活が破綻し、社会との接点が次々に失われていく。
もはや「努力不足」では片づけられない次元の“機能的困難”が、そこにはあるのです。
もちろん、鈴木さんが接してきたすべての貧困層が、脳に何らかの障害を抱えていたとは限りません。
しかし、「そういう可能性があるかもしれない」という理解を持つことで、私たちは、貧困を語るときの“解像度”を一段深めることができます。
「彼ら──貧困の当事者は、何かがおかしい、何がおかしいのかわからないが、激しい違和感を覚える。そう感じた原体験は、いくつもある」
取材者として感じた“違和感”と、当事者となったときの“混乱”。
そのふたつが交差したとき、初めて見えてきた「脳と貧困の関係性」は、
支援のあり方、そして制度設計の前提そのものを、根底から問い直すものではないでしょうか。
貧困は、意思や努力ではなく、“認知機能”から始まっている可能性がある。
そうした仮説に耳を傾けることが、分断を超えた「共感的想像力」の出発点になるのです。
貧困に思いを馳せるには!?
人は、なぜ貧困に陥るのか。
その理由を、著者は徹底的に問い直します。
「究極的な答えは、働けなくなるから。もしくは働いても暮らしていくのに足るだけの所得を得られなくなるからだ」
本書では、失業、非正規、教育格差、貯蓄不足、家庭の支援体制の欠如、社会政策の不在など、貧困を生み出す多様な要因が丁寧に記されています。
こうした複雑な要素が重なり合い、人は“段階的に”困窮の坂を転がり落ちていきます。
しかし、問題の核心は「再び働く力を取り戻せるか」にあります。
「貧困の最大要因は、やはりシンプルに『働けなくなったから』、そして『再び働く側に戻ることができないから』」
この“戻れなさ”の根底に、著者は「脳の不自由さ」という要素があることを提示します。
段取りがつけられない、時間感覚が狂う、物事の優先順位をつけられない──そうした認知的困難が、回復への行動を妨げ、支援制度の網にもアクセスできなくなる。
「けれど問題は、『脳が不自由』という状況が、残念ながら、パッと見て働『けない』ようには見えないことだ」
目に見えない困難。それゆえに、周囲からは“怠けている”ように映ってしまう。
このミスリーディングが、さらなる孤立と非支援を生み、負のスパイラルを深めてしまうのです。
ここに、脳機能と貧困の間にある“静かな連鎖”が浮かび上がります。
「脳が不自由になる → 働けない → 貧困になる → ストレスや環境の悪化 → さらに脳の働きが弱る」という、相互悪化の循環です。
しかもそれは、見た目ではわからず、制度もまだ十分に対応しきれていない。
この構造を可視化することが、本書の大きな意義のひとつといえるでしょう。
「約束が守れない」「時間に遅れる」「段取りができない」。
もしそれが“怠け”や“自制心の弱さ”ではなく、「脳の不自由さ」によるものだったとしたら――?
鈴木大介さんは、自身が健常だったころの記憶をこう振り返ります。
「健常だった頃の脳でこうした体験をしたことは一切なかったから、当事者となった初期の頃にこの症状を体験しても、
それが“疲れ”なのだとは、全く認識できなかった」
脳性疲労のリアルとは、自覚しようとしてもできないもの。
むしろ症状そのものが、状況を認識する力さえ奪ってしまうのです。それは、当事者にとっても、自分自身の中で「理解できない混乱」であり、他者から見ればなおさら“理解しがたい行動”に映ってしまいます。
「けれどこれが、『脳が不自由』な状況における、脳の疲れの症状なのだ」
たとえば「約束の1時間以上前に現地入りするのが当たり前」だった著者が、
脳梗塞を経験した後には、その「当たり前」が守れなくなる。
「約束ごとのダブルブッキングを何度も繰り返すことなどなかった僕が、同様の事態を何度も経験するようになった」
外見には表れないこの“脳のエラー”を、どれだけの人が想像できるでしょうか。
それが働き方にどう影響し、社会的信頼の失墜や孤立へとつながるか。
想像することは、確かに簡単ではありません。
しかし、本書を読むことで、初めてその存在に“気づく”ことができます。
それだけでも、他者を理解しようとする姿勢、支援の前提を根本から見直す契機になるのではないでしょうか。
「取り返しのつかない信用失墜が自分を消したいような自己嫌悪に苛まれることとなった」
見えない不自由さへの想像力。
それは、思いやりの問題であると同時に、制度設計や組織運営における“実務上の理解”としても、
これからの社会に必要な視座といえるでしょう。
「なぜ、この人は働けないのか」
「なぜ、支援制度を利用できないのか」
「なぜ、日常のタスクを完了できないのか」
それは、意志の弱さでも、怠慢でもないかもしれません。
もしかすると、見えないところで“脳の不自由さ”に苦しんでいるのかもしれない──本書は、その想像力の回路を、読む者に静かに、しかし力強く開いてくれます。
貧困とは単に金銭の欠如ではありません。
支援にアクセスできないこと、誤解されること、自分でも自分がわからなくなること。
そのなかで、誰にも気づかれないまま努力を重ね続け、やがて孤立していく──
そうした見えないスパイラルこそが、本当の「貧困のかたち」なのだと、著者は伝えてくれます。
「見えない努力をし続ける者の努力を無にする理不尽、
そしてそれによって起きる孤立こそが、貧困の本態なのだ。」
この一文は、すべての支援職、経営者、制度設計者に向けた強い問いかけです。
私たちは、他者の“できなさ”をどう見るか。
その「想像力」こそが、社会の包摂力をかたちづくるのではないでしょうか。
まとめ
- 「なぜ?」と実体験が重なる時・・・――脳の機能と貧困が結びつく可能性を著者・鈴木大介さんは実体験をもとに意識しました。
- 新たな論点:貧困は“脳”から始まっているかもしれない!?――脳という可能性を知ることで、当人も同仕様もできないこともあるのであるという気づきを周囲が得ることも可能です。
- 貧困に思いを馳せるには!?――原因にはさまざまあるかもしれない、本人の根深い問題や、周囲の環境なども問題となりうることを知りましょう。
