この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【本書の要約】行動経済学の主要理論を「認知」「感情」「状況」の3つのクセとして初めて体系化した実践的入門書。断片的な知識では活かしきれない理論を、構造として理解することで日常の意思決定が変わる。グーグルやアマゾンが活用する最先端の学問を、ビジネスパーソンが明日から使える形で相良奈美香が解説する1冊。
- なぜ朝、着る服を選ぶだけで疲れてしまうのでしょうか。なぜ「90%成功する」と「10%失敗する」では、同じ確率なのに受け取り方が変わるのでしょうか。
- 実は、私たちの意思決定の大半は「クセ」によって動いています。
- なぜなら、人間の脳は効率を重視するあまり、直感や過去の経験に頼って判断する仕組みを持っているからです。
- 本書は、この「クセ」を「認知」「感情」「状況」の3つの視点から体系的に解説した、行動経済学の入門書です。
- 本書を通じて、断片的な知識ではなく構造として理解することで、自分と他者の行動パターンが見えてきます。そして、日常の意思決定を改善する具体的な手がかりが得られるんです。
相良奈美香さんは、日本人として数少ない「行動経済学」博士課程修了者です。オレゴン大学で心理学と行動経済学を学び、同大学ビジネススクールで博士号を取得。その後、デューク大学ビジネススクールでポスドクを経験し、行動経済学コンサルティング会社・サガラ・コンサルティングを設立しました。
その実績が認められ、世界第3位のマーケティングリサーチ会社・イプソスにヘッドハントされ、同社の行動経済学センター(現・行動科学センター)の創設者兼代表に就任します。現在は、ビヘイビアル・サイエンス・グループ代表として、アメリカやヨーロッパで金融、保険、テクノロジー、製薬など幅広い業界に行動経済学を導入するコンサルティングを展開しています。
相良さんの研究は、Proceedings of the National Academy of Sciencesなど権威ある学術誌に掲載され、イェール大学、スタンフォード大学、Uberなどで招聘講演を行うなど、行動経済学の最前線で活躍する研究者です。
本書は、まだ行動経済学が一般に広まる前からビジネス現場で実践を重ねてきた相良さんが、初学者に向けて理論を体系化した初の入門書なんです。
脳の効率化が「認知のクセ」を生む――システム1が支配する意思決定
私たちは毎日、無数の意思決定をしています。朝食に何を食べるか、どの服を着るか、どの仕事から手をつけるか。そのすべてを論理的に考えていたら、脳が疲弊してしまうでしょう。
だから脳は、効率化のために「システム1」という直感的な思考モードを使うんです。
人間の脳は、情報処理をする際に2つの思考モードを使い分けていて、それを「システム1 vsシステム2」と呼びます。カーネマンは、システム1は直感的で瞬間的な判断であることから「ファスト」、システム2は注意深く考えたり分析したりと時間をかける判断であることから「スロー」と呼びました。
システム1は瞬時に判断できる優れた機能ですが、同時に「認知のクセ」も生み出します。
特にシステム1が発動しやすいのは、疲れているとき、情報量が多いとき、時間がないとき、モチベーションが低いとき、気力や意志の力が弱っているときです。つまり、現代のビジネスパーソンが日常的に直面している状況そのものなんです。
このクセが顕著に現れるのが「時間」に関する判断です。
「1年後に100ドルもらうのと、1年1カ月後に120ドルもらうのと、どちらがいいか?」
多くの人は「1年1カ月後に120ドル」を選びます。ところが、最初の質問を「今すぐ100ドル」と「1カ月後に120ドル」に変えると、大半の人が「今すぐ100ドル」を選ぶんです。
この現象を「双曲割引モデル」と呼びます。私たちは、目の前の利益を過大評価し、将来の利益を過小評価してしまう。ダイエットを明日から始める、資格の勉強を来週から始める。こうした先延ばしの背景にあるのが、この認知のクセなんです。
さらに興味深いのは、「快楽適応」という現象です。
快楽適応とは、人は何が起こっても、繰り返しベースラインの幸福度に戻るという理論です。
昇進しても、引っ越しても、新しいものを買っても、私たちはすぐに慣れてしまいます。嬉しいことも嫌なことも、結局はベースラインに戻る。この事実を知っていれば、「これさえ手に入れば幸せになれる」という幻想から自由になれます。
認知のクセは、私たちの判断を歪めます。でも、そのメカニズムを理解していれば、「今、自分はシステム1で判断していないか?」と立ち止まることができるんです。
提示方法が行動を操る――フレーミングとデフォルトの力
同じ内容でも、どう提示されるかで私たちの判断は驚くほど変わります。これが「フレーミング効果」です。
本書で紹介されている実験は衝撃的でした。架空の病気に対する2つの対策を提示します。内容は全く同じなのに、表現を変えただけで選択が逆転するんです。
前の「架空の病気」と同様、「節約」というポジティブな表現の場合は大半の被験者の75%が対策Aを選びました。しかし、「損失」というネガティブな表現の場合は、20%のみが対策Aを選びました。
「90%の確率で成功する」と言われるのと、「10%の確率で失敗する」と言われるのでは、後者の方が強く心に残ります。人間は利益よりも損失に敏感に反応する。これが「プロスペクト理論」の核心です。
ビジネスの現場では、この原理が巧みに使われています。
275ドルのホームベーカリーが売れなかったとき、企業は何をしたか。隣に415ドルの高級モデルを並べただけです。すると、275ドルのモデルが「お手頃」に見えて売れ始めたんです。
275ドルのホームベーカリーだけがあるときには、275ドルが高いか安いのか判断がつきません。3万円を超えると言われると、「パンなら一個数ドルでどこでも売っているし、わざわざ必要ないかな……」と尻込みをしてしまうのもうなずけます。
これが「おとり効果」です。私たちは絶対的な価値ではなく、相対的な価値で物事を判断している。比較対象があるかないかで、同じ商品の魅力が変わってしまうんです。
もう一つ強力なのが「デフォルト効果」です。
オーストリアでは臓器提供の同意率が99%なのに、ドイツでは12%しかありません。この違いは何か。オーストリアは「提供しない人だけがチェックを外す」方式、ドイツは「提供する人だけがチェックする」方式を採用しているからです。
人は、あらかじめ設定されている選択肢をそのまま受け入れる傾向が強い。「デフォルト」の設定次第で、人の行動は劇的に変わるんです。
さらに興味深いのは、数字の見せ方です。
・Aには「○○○ $20.00」と各料理に「$+金額」を表示
・Bには「○ ○ 〇 20.00」と各料理に「金額のみ」を表示
レストランのメニューから「$」マークを外しただけで、客の支払額が増えたという実験結果があります。通貨記号は「お金を失う痛み」を想起させる。その記号を消すことで、心理的な抵抗が弱まるんです。
私たちは「何を選ぶか」を自分で決めていると思っていますが、実際には「どう提示されたか」に大きく影響されています。この事実を知っているだけで、マーケティングの仕掛けに気づけるようになります。
自己理解が関係性を変える――焦点とバイアスを知る意味
認知のクセ、状況のクセを理解しても、まだ足りないものがあります。それが「感情」と「自己理解」です。
人は同じ状況に置かれても、まったく異なる反応を示します。その違いを生むのが、その人の「焦点」なんです。
・促進焦点 成功したいから頑張る
・予防焦点 責任者として失敗したくないから頑張る
同じ「頑張る」でも、動機が正反対です。促進焦点の人は新しい挑戦にワクワクしますが、予防焦点の人は失敗を避けることに意識が向きます。
これを知っていれば、部下や同僚への声のかけ方が変わります。促進焦点の人には「これをやれば、こんな成果が得られる」と伝え、予防焦点の人には「これをやらないと、こんなリスクがある」と伝える。同じ内容でも、相手の焦点に合わせて言葉を選べば、響き方が変わるんです。
もう一つ重要なのが「最大化」と「満足化」です。
・最大化 時間をかけて徹底的にリサーチをする
・満足化 人気トップ10に入っている観光スポットの中から適当に巡る
最大化タイプの人は、完璧を求めるあまり選択に時間をかけすぎて疲弊します。満足化タイプの人は、70点で満足できるため意思決定が早い。どちらが優れているわけではなく、場面によって使い分けることが大切なんです。
スティーブ・ジョブズが黒いタートルネックだけを着ていたのも、オバマ元大統領が3着しかスーツを持っていなかったのも、「選ばない」という選択です。
そこで提案したいのが、「そもそも、その選択に時間をかけるべきか」ということを気に留めることです。おそらく多くを占める「どうでもいいこと」はテキトーに決めましょう。
重要な決断にエネルギーを注ぐために、重要でない選択は手放す。この判断ができるのも、自分が「最大化」タイプだと自覚しているからです。
さらに「楽観バイアス」と「後悔回避バイアス」も、意思決定に大きく影響します。
1.「きっと美味しいだろう」と新しいカフェを試してみる
2.美味しくないかもしれないものにお金をかけたくないので、いつものお気に入りのカフェに行く
前者は楽観バイアスが強く、新しい挑戦に前向きです。後者は後悔を避けたい気持ちが強く、慎重な選択をします。
どちらが正しいわけでもありません。大切なのは、自分がどちらの傾向が強いかを知っておくこと。そして、場面によっては意識的に逆の選択をしてみることです。
行動経済学は、他者を操る技術ではありません。自分と他者の「クセ」を理解し、より良い意思決定をするための道具なんです。
まとめ
- 脳の効率化が「認知のクセ」を生む――システム1が支配する意思決定――私たちの脳はシステム1という直感モードで効率化を図りますが、それが双曲割引や快楽適応といった認知のクセを生みます。疲れているとき、時間がないとき、このクセは強く働きます。メカニズムを知ることで、立ち止まる余地が生まれるんです。
- 提示方法が行動を操る――フレーミングとデフォルトの力――同じ内容でも、ポジティブフレームかネガティブフレームか、デフォルトがどう設定されているか、比較対象があるかないかで、私たちの判断は変わります。状況が人の行動を操る仕組みを理解すれば、マーケティングの仕掛けに気づけるようになります。
- 自己理解が関係性を変える――焦点とバイアスを知る意味――促進焦点か予防焦点か、最大化か満足化か、楽観か後悔回避か。人によって意思決定の傾向は異なります。自分のタイプを知り、相手のタイプに合わせてコミュニケーションを調整することで、より良い関係と決断が生まれます。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
