先祖が見えると、安心感になる!?『わたしの家系図物語(ヒストリエ)』渡辺宗貴

わたしの家系図物語(ヒストリエ)
  • 自分を客観視してみることについて、なにかヒントになるアクションは?
  • 実は、家系図を調べてみることかも。
  • なぜなら、そこには、自分に至る長い物語があるから。
  • 本書は、出自を考え、自分につながる確実なものごとを得るためのヒントです。
  • 本書を通じて、自分のオリジナリティを見つめる視点を得ます。

ルーツを知ることの意味は?

渡辺宗貴(わたなべ・むねたか)さんは、「家系図作成代行センター株式会社」の代表であり、行政書士としても活躍されています。北海道釧路市のご出身で、もともとは一般的な行政書士業務の一環として、偶然「家系図作成」という業務に出会われたそうです。

自らの戸籍を取り寄せて家系図を作成してみたことが、すべての始まりでした。戸籍取得の煩雑さ、古文書のような筆致の読み解きづらさに直面したことから、これは「誰かの役に立てる仕事になるかもしれない」と気づいたのだといいます。

以来、家系図づくりを専門業務として手がけるようになり、多くの人の「人生の来歴」を形にする仕事を続けてこられました。本書『わたしの家系図物語(ヒストリエ)』は、そんな著者自身の経験と、数多くの事例を通じて得られた洞察が丁寧に綴られた一冊です。

「自分は、どこから来たのだろう?」

この問いに向き合うことは、自己理解の原点に立ち返ることかもしれません。ふと家族のことを思い出すとき、そこには根拠のない安心感が宿っています。それは、記憶や関係性という不確かなものではなく、「戸籍」という公的記録によって支えられた、確かなつながりがあるからかもしれません。

しかし、その“確かさ”にも、実はタイムリミットがあるのです。

戸籍には、150年という保存期限があります。これはつまり、明治時代の戸籍が、いまこの瞬間にも一日一日と破棄されているということ。戸籍が失われれば、家系をたどる道は急速に閉ざされていきます。

今すぐに家系図を作る必要はないとしても、せめて戸籍を取り寄せておく──それだけで、自分自身の「来歴」を未来につなぐ手がかりを残すことができます。

家系図とは、単なる親族一覧表ではありません。血のつながり以上に、記憶と記録と物語を束ね直し、過去と未来を静かに接続する装置なのです。

皆様が本書を読んで、家系図創りのおもしろさや奥深さを知り、今生きている人々の大きなつながりを感じることができたら、著者として望外の喜びです。

家系図をたどるという営みは、自分自身の「ルーツ」を知ることであると同時に、想像を超えた人の連なりに思いを馳せることでもあります。自分という一人の存在に至るまでに、どれだけ多くの人の人生が重なってきたのか──曾祖父母、さらにその先の世代をたどれば、あっという間に数十人、数百人という先人たちがそこに存在します。

そして、系図をさかのぼるほどに見えてくるのは、つながりの偶然性です。何世代か前の“誰か”が違う選択をしていたら、いまの自分は存在しなかったかもしれない。逆に言えば、いまは赤の他人と思っている誰かも、どこかの世代では自分と家族だった可能性がある。

そのことに気づいたとき、血縁や家族のあり方を超えて、「人と人のつながり」そのものを見つめ直すまなざしが生まれるのではないでしょうか。

全ては繋がっている!?

家系図をつくるというと、「何から始めればいいのか分からない」という声も多いかもしれません。本書では、実務に基づいた丁寧な手順が紹介されています。重要なのは、家系図は「情報があれば誰でもつくれる」ということ。そして、その情報は「戸籍」にあります。

まず出発点となるのは、自分自身の「現在の戸籍」。そこから一つずつさかのぼって、親、祖父母、曽祖父母…とたどっていくわけですが、この作業には「除籍謄本」「改製原戸籍」などの取得が必要となります。古いものになると、筆で書かれた旧字体の戸籍を読み解くことになるため、専門的な知識や注意深さも問われます。

戸籍の請求にはルールがあります。たとえば、自分の直系の先祖であれば取得可能ですが、傍系親族や他人の戸籍は基本的に取得できません。これも本書では具体的な例を用いながらわかりやすく解説されています。

調査にかかる時間は、戸籍が散逸していない場合でも最低1〜2か月、長ければ半年近くかかることもあるそうです。なかには、震災や戦災などで戸籍が焼失してしまっているケースもあり、そこから先が「たどれない」こともある──この現実に直面する場面もまた、本書では静かに描かれています。

つまり、家系図をつくることは、単に過去を“探す”だけではありません。「失われていくものに対して、どのような態度で向き合うか?」という姿勢そのものを問われる営みでもあるのです。

こうしたプロセスを通じて、家族という制度や歴史へのまなざしが深まり、さらに「自分はどうつながってきたのか」「どこまでを“家族”と呼べるのか」といった問いが立ち上がってくる──本書の魅力は、こうした実務と思想のバランスの良さにもあると言えるでしょう。

詳しい調査方法については、本書をぜひご覧いただくとして、家系をたどることの面白さについて見つめていくことにしましょう。

以外に多い、名家の子孫

興味深いのは、歴史人口学の知見です。近年の研究では、現代に生きる私たちの多くが、系譜を何十世代もさかのぼれば、古代や中世の「名族」と呼ばれる系統に行き着く可能性が高いことが示されています。

たとえば、藤原氏や平家、源氏といった著名な氏族に代表されるような家系は、人口的・統計的に見れば、一定以上の子孫を残しており、その末裔が現代に広く散らばっている可能性が高い。つまり、いまはごく普通に生きている私たちも、「名もなき民」としてではなく、かつて社会の中枢にいた人々の末裔であるかもしれないのです。

これは、家系図の調査が「自分という点」から「歴史という線」への接続になり得るということを意味しています。自分という存在を拡張して捉えることで、歴史との対話が始まる。家系図は、静かで確かな“歴史の入口”でもあるのです。

家系を1代さかのぼると、そこには2人の親がいます。さらにその上には4人の祖父母、8人の曽祖父母…と、世代を遡るごとにその数は倍々に増えていきます。10代前となれば1,024人、20代前では実に100万人を超える祖先の存在が仮定される計算になります。

もちろん、実際には同じ人物が複数の枝に登場する重複(いわゆる「先祖の重複」)があるため、その数はやや縮まりますが、それでもなお「自分という一点」に至るまでに、想像を絶する数の人生が折り重なっていることに変わりはありません。

こうして見えてくるのは、「自分は特別な誰かの末裔なのか?」という問いではなく、「無数の誰かのつながりの結果として、いまここにある」という事実です。

すなわち、中世に生きていた人々の多くは古代・中世名族の子孫であり、そのうち6人に1人を祖先に持つ我々も名族の子孫である可能性がきわめて高い、ということになります。

しかも、その“無数の誰か”のなかには、ある時代に社会を動かした名族もいれば、記録にも残らない農民や商人、市井に生きた人々もいたはずです。そう思えば、家系図をたどるという行為は、単に血のルーツを知るだけでなく、社会の縮図としての「自分」を捉え直す視点を私たちに与えてくれます。

思考の展開──土地が語る、家のもう一つの物語とは!?

「家系図」をたどることは、「血のつながり」を可視化する営みです。しかし、それは決して“人”だけの物語ではありません。地縁という言葉があるように、私たちの家族の記憶には、いつも“土地”が寄り添っています。

先祖は、どんなところに住んでいたのでしょうか。山のふもと?海沿い?どのくらいの広さ?近所も親戚?実は村の顔役だったかもしれません。
先祖が住んでいた土地についての資料を集めることは、先祖を知るうえで大きな手がかりになります。

本書では、家系図の調査に並行して「旧土地台帳」や「地籍図」など、土地に関する古い資料を調べることの重要性も触れられています。

旧土地台帳とは、明治期から登記制度が整う前に用いられていた土地の名義記録。これをたどることで、かつて誰がどの土地を所有し、どう移り住み、どんな生活を営んでいたかが浮かび上がってくるのです。

つまり、家系図が「人の線」だとすれば、旧土地台帳は「場所の面」。この2つを重ね合わせることで、歴史は一気に“立体化”します。

たとえば、家系図で登場した曾祖父が、台帳のなかでは地主として地域に広く土地を所有していたことが判明したり、逆に名字は違っていても、何代にもわたって隣地に住んでいた家との深いつながりが見えてきたり──「この家とこの家、ずっと隣だったんだ」と地図の上で視覚化された瞬間、時間を越えて浮かび上がる“ご近所の歴史”に、思わず心が震えることもあるかもしれません。

土地を調べることは、家系を「見る」ことです。名前だけでは思い描けなかった人の営みが、場所を得ることで生き生きと立ち上がってくる。そのプロセスは、まるで記憶のなかに色と奥行きを与えていくような体験です。

このように、戸籍と土地台帳をパラレルに調査することで、家系図は単なる系譜表から、“暮らしの歴史地図”へと姿を変えていきます。

家系図は、戸籍という記録の集積です。土地台帳は、場所と人の結びつきを可視化する証拠です。どちらも、動かしようのない“事実”の連なりです。

しかし、その一つひとつの記録が、私たちのなかで物語として立ち上がったとき、家系図は単なる系譜表ではなく、「生きた歴史」になります。

この人は、なぜこの土地に住んだのか。この家族は、なぜ代々この職業を選び続けたのか。誰が、どんな思いで、家をつなぎ、土地を守り、別の道を選んだのか──

それらの“事実のあいだ”を想像し、語り直すとき、「家」という存在は、制度や戸籍上の関係ではなく、“時間を共にした物語の共有体”として立ち上がってくるのです。

そして、物語は自分の現在を見つめるための装置にもなります。自分はどこから来て、何を受け取り、どんな価値観とともに生きてきたのか。
その問いに物語として向き合うことが、自分自身の輪郭をよりはっきりと浮かび上がらせてくれる。

わたしの家系図物語(ヒストリエ)』は、そうした「事実と想像の間にある物語の効用」に改めて気づかせてくれる一冊です。

忘れられた過去を拾い集め、目に見えるかたちに変えること。それは、未来へつながる記憶の橋を、自らの手で編みなおす営みなのかもしれません。

まとめ

  • ルーツを知ることの意味は?――想像を超える人の連なりに、思いを馳せる行為となります。
  • 全ては繋がっている!?――今生きる私たちは、これまでもこれからも、全体の中で常に繋がっている存在であると言えるかもしれません。
  • 思考の展開──土地が語る、家のもう一つの物語とは!?――先祖の見ていた風景が見えるようになると、さらに家系図を楽しむ奥深さを得ることになります。
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